広田雅将、鈴木裕之:取材・文 奥山栄一:写真
[連載第15回/クロノス日本版 2013年5月号初出]

1955年の登場以来、一貫して耐磁性を誇ってきたIWCの「インヂュニア」。
しかし2013年に行われたコレクションの大刷新では、高耐磁性能に代えて、新素材や複雑機構が強く打ち出されることとなった。
こうした変化を、マーケティング上の理由で説明することはさほど難しくない。
しかし歴史をひもといていくと、頑強さと耐磁性能の両立で試行錯誤を繰り返してきた、インヂュニア本来の在り方が浮かび上がってくる。

INGENIEUR SL Ref.1832 [1976]
後のスタイリングを決めたジェンタ・デザイン

インヂュニアSL

インヂュニアSL Ref.1832
1976年初出。通称“ジャンボ”。ラウンドケースのRef.1808を置き換えるモデルである。8万A/mの耐磁性能と、120mという防水性は前作に同じ。1976年当時の販売価格は2100スイスフラン。これはIWCの18Kゴールド製ドレスウォッチとほぼ同価格であった。総生産数は976本。うち534本がSSケースに自動巻きを載せたもの。自動巻き(Cal.8541ES)。21石。1万9800振動/時。パワーリザーブ約40時間。SS(直径40mm)。IWC蔵。

 1970年代半ば、IWCはデザインに活路を見出すべく、ふたつの決定を下した。ひとつはポルシェデザインとのコラボレーション。もうひとつは外部デザイナーの招聘である。IWCがコンタクトを取ったのは、数々のスポーツモデルを成功させていたジェラルド・ジェンタであった。ジェンタはIWCのために、「ゴルフクラブ」や「ポロクラブ」などをデザインしている。そして「インヂュニアSL」もジェンタの作品である。彼が一貫して好んだのは、薄型のムーブメントであった。しかしIWCが用意したのは直径28㎜、厚さ5.9㎜のキャリバー8541。後に同社は薄いジャガー・ルクルト製のエボーシュを使うようになるが、当時、男性用の自動巻きはこれしかなかったのである。ではジェンタは、この厚い機械をどう料理したのか。

 その手法は彼自身の手がけた、オメガの〝Cラインケース〟と同じアプローチだった。具体的には、ケースの上面をラグの方向に向けて落とし、かつケースサイドを思い切って絞ったのである。結果としてこの時計は、実寸ほどの厚みを感じさせないものに仕上がった。

 IWCの命運をかけてリリースされたインヂュニアSL。しかし「クラシックウーレン」(2000年1月号)の記述に従うならば、その生産数は、クォーツモデルや18Kゴールドモデルを併せても、976本に留まっている。理由の一因は、2100スイスフラン(発表時)というプライスだろう。これはロイヤル オークの3650スイスフランを考えても高価であったし、同一のムーブメントを載せていた前作までのインヂュニアに比べても、2倍以上の設定であった。またそのサイズも当時としては大き過ぎた。商業的には成功をみなかった初代インヂュニアSL。しかしそのデザインは、やがてインヂュニアのアイコンとして定着していくことになる。

インヂュニアSL

(左上)前作Ref.1808などと同じく、リュウズはねじ込み式。ただしパッキンとバネを内蔵した「CAT」から、標準的なものに改められている。リュウズはこれがオリジナルの形状である。(右上)ダイアルに記されたインヂュニアのロゴ。SLには本来、何の意味も持たされていなかった。しかし後年に“スポーツライン”などの通称がつく。なおこの時代でありながら、風防はサファイアクリスタル製。また内側には無反射コーティングが施されていた。(中)“ジェンタ・デザイン”を感じさせるケースサイド。ミドルケースを湾曲させることで、厚みを感じさせない工夫が施されている。ブレスレットはゲイ・フレアー製。(左下)ワッフル状のパターンが施されたダイアル。アイデアは、ロイヤル オークのタペストリー加工と同じだろう。ただし形状とコストを考えたのか、こちらはエンボス仕上げである。なお12時位置のIWCロゴには、書体が長いものと短いものの2種類がある。製造年度の違いと言われているが、おそらくはサプライヤーの違いだろう。当時のIWCは、最低2社のダイアルサプライヤーを併用していた。(右下)ケースバック。ケース自体に厚みがあったため、ジェンタはスクリューバックとねじ込み式のベゼルで、12気圧という防水性を持たせることができた。ベゼル上の5つの穴は、締め付け用の工具を引っかけるためのもの。