1932年の初出以来、シンプルなドレスウォッチの最高峰と称されてきた「カラトラバ」。しかしカラトラバとは何なのか?これを明確に定義することは難しい。ここではその大まかな歩みと、カラトラバの大きな特徴であるケースの造形、そしてインデックスの形状に着目してその再定義を試みることにしたい。

広田雅将:取材・文 吉江正倫:写真
[連載第20回/クロノス日本版 2014年3月号初出]


あらゆるラウンドケースの原点
[カラトラバの定義を巡る一考察]

現在、カラトラバと称するコレクションは非常に多岐にわたっている。しかし狭義のカラトラバとは、Ref.96に始まるバーインデックスのモデルであり、また後に加わった「クルー・ド・パリ」ベゼルのRef.3919程度だったはずである。では、いつどのようにして「カラトラバ」という定義は成立していったのだろうか。

パテック フィリップ Ref.96

Ref.96
1932年発表。ミドルケースと一体化したラグや、立体的なインデックスや針などを盛り込んだ傑作。タンクやオイスターに並ぶ、腕時計デザインの祖である。手巻き(Cal.12-120)。18石。1万8000振動/時。18KYG(直径30mm)。参考商品。

 パテック フィリップを代表するコレクションのひとつが、ラウンドケースの「カラトラバ」である。12世紀に活躍したスペイン騎士団の名前を載くカラトラバの重要性は、紋章であった「カラトラバ十字」が、やがてパテック フィリップのロゴに転じたことを考えれば理解できるだろう。コンプリケーションやノーチラスが注目を集めるようになった今なお、会社のシンボルを戴くカラトラバはパテック フィリップのフラッグシップなのである。

 時計愛好家やジャーナリストならば当然のように知っている、カラトラバというコレクション。しかし高い知名度とは裏腹に、これほど定義が曖昧なものもない。事実、当事者であるパテック フィリップ自身も「カラトラバとは丸型のシンプルな腕時計」と記すのみで、何がカラトラバの構成要素なのかを明確には断言していない。

 筆者はパテック フィリップの〝広範な〟定義にあえて異を唱えるつもりはない。しかしカラトラバというコレクションが広がりを見せるようになった現在、改めてその定義と歴史を振り返る必要はありそうだ。

 一部コレクターたちの見解に従うならば、狭義のカラトラバとは、1932年のRef.96に端を発する、ラウンドケースにバーインデックス、そしてドフィーヌ型ハンドを備えたモデルとなる。加えてそれは、側面を大きくえぐり、かつケースサイドと一体化したスレンダーなラグを持っているはずだ。ただ一部のコレクターにはラウンドケースでスレンダーなラグを持つものがカラトラバ、という意見もあり、つまりはブレゲ数字を備えたRef.96も、カラトラバに含めることができるだろう。ともあれパテック フィリップが狭義の「カラトラバ」スタイルを好んだことは紛れもない事実で、過去にはRef.96、2545、570、3796、3923といった傑作が存在し、現行品ではRef.5196や5127などがこのデザインを今に受け継いでいる。

パテック フィリップ Ref.96SC

Ref. 96 SC
1950年代までのパテック フィリップは、文字盤にさまざまな試みを行った。そのひとつが本作。極めてクリーンな文字盤は、後のRef.5296で再現された。手巻き(Cal.27SC)。1万8000振動/時。SS(直径30mm)。1934年発表。参考商品。

 もうひとつの「カラトラバ」を挙げるならば、ローマ数字に細長いラグを備えたモデルとなる。初出は1980年代後半のRef.3919であり、カタログモデルで探すならば、直径が拡大した5119となる。真性のピューリタンはこれをカラトラバとは認めたがらないが、今ではこれも典型的なカラトラバ・スタイル、と見なされている。

 発表当初はカラトラバと定義されていないし、多くのコレクターから異論があることを承知でいうと、1940年代以降に作られたありふれた手巻きや自動巻きも、現在の区分でいうカラトラバに該当する。代表作は60年代の自動巻きモデル、Ref.3445あたりだろうか。

 なぜ定義は混乱したのか。パテック フィリップ現名誉会長のフィリップ・スターン氏が、そのいきさつを直接説明してくれた。

「カラトラバという名称は、かつて社内でのみ使っていたものでした。ご覧いただければ分かるように、カラトラバのリュウズには十字が施されていますね。そこでカラトラバと言いならわすようになった。社内で使っていた称号を外に出すようになったのは、1980年代のことですね」

 60年代後半以降、パテック フィリップは「ゴールデン・エリプス」(68年)や「ノーチラス」(76年)といったサブネームを持つモデルを数多くリリースした。おそらくはこういった新作との整合性を取るため、「カラトラバ」という名称を、ラウンドケースの時計に与えざるを得なかったのではないか。

パテック フィリップ Ref.570

Ref.570
Ref.570といえば、名機Cal.27SCを搭載したセンターセコンドというイメージが強い。しかし普通のスモールセコンドモデルも存在していた。サイズは大きめの35mm。手巻き(Cal.12-120系)。18石。1万8000振動/時。Pt。1941年発表。参考商品。
パテック フィリップ Ref.2572

Ref.2572
極端に短いラグは、かつての薄型時計にしばしば見られたデザイン。時計を薄く見せることのできるこの手法は、2012年のRef.5123で復活した。手巻き(Cal.10-200)。18石。1万8000振動/時。18KRG(直径35mm)。1950年発表。参考商品。

 カラトラバというコレクションが案外「若」かったことは驚きだが、これがパテック フィリップの代表作として認識されるに至った要因は、決して無視できるものではない。それがケースデザインの非凡な完成度である。

 1932年のRef.96に先立つこと20年、パテック フィリップは腕時計のケースにさまざまな試みを行った。黎明期ならではの試行錯誤だろうが、96までの20年間に、パテック フィリップはケースとラグの関係性について、相当な経験を積んだのだろう。筆者の知る限り、ケースの造形にこれほどトライ&エラーを行ったメーカーは、ほかにヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ ピゲ、そしてカルティエなどを数えるのみだ。

パテック フィリップ Ref.3445

Ref.3445
1960年代を代表する傑作モデル。極端に細いインデックスと針は、この時代のトレンドをなぞったもの。今ではこれもカラトラバに定義される。自動巻き(Cal.27-460 M)。37石。1万9800振動/時。18KYG(直径35mm)。1961年発表。参考商品。
パテック フィリップ Ref.3919

Ref.3919
1980年代に登場した新しいカラトラバ。ラグとミドルケースを一体化しないオフィサー・スタイルも、今やカラトラバに含めていいだろう。手巻き(Cal.215 PS)。18石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約44時間。18KYG(直径33.45mm)。参考商品。

 Ref.96に始まる狭義のカラトラバとは、ラグとケースを有機的に結合させて懐中時計の影響を廃しようとした初期の試みであり、その中で最も成功した一例であった。腕時計デザインの金字塔ともいうべき1914年のカルティエ「タンク」や31年のロレックス「オイスター パーペチュアル」も、カラトラバ同様、ケースとラグを一体化させたデザインを持っていたことは、いくら強調してもしすぎることはない。

 あくまで伝聞だが、90年代にA.ランゲ&ゾーネを率いた故ギュンター・ブリュームラインは、カラトラバの特徴はラグの造形にある、と喝破していたそうだ。少なくとも彼は、カラトラバとは違うラグを新しいドイツ製の高級時計に与えようと試み、やがてそれはA.ランゲ&ゾーネの個性に転じた。40年代のヴァシュロン・コンスタンタンもブリュームラインと同じ見解を持っていたに違いなく、カラトラバのスタイルが完成して以降の同社は、明らかにパテック フィリップとは異なるラグを採用するようになった。

 Ref.96に始まり、今や多彩なバリエーションを持つに至ったカラトラバ。このコレクションはどのような経緯で起こり、どんな過程で発展していったのだろうか。主要モデルとともに、振り返ってみることにしたい。