ジラール・ペルゴ/ヴィンテージ 1945

1930年代、アメリカ市場に再参入を果たしたジラール・ペルゴは、レクタンギュラーウォッチに活路を見出した。さまざまなデザインが試みられ、リリースされていった中で、1945年に発表されたあるモデルに、名伯楽として知られた故ルイジ・マカルーソは注目した。彼が現代的に仕立て直した時計が、傑作「ヴィンテージ 1945」である。

広田雅将:取材・文 吉江正倫:写真
[連載第28回/クロノス日本版 2015年7月号初出]


アールデコの外装をまとった立体デザインの嚆矢
1940’s Square Watch

1940年代製 角型時計
1940年代に作られた角型時計は、後年に「ヴィンテージ 1945」としてリバイバルされる。この個体はオリジナルのひとつ。金張りを混在させたケースは、いかにも1940年代風だ。ただし文字盤が書き換えられており、原型は分かりにくい。手巻き(Cal.GP86)。17石。SS×18KPG張り。非防水。ジラール・ペルゴ蔵。

 1928年、当時勢いが衰えつつあったジラール・ペルゴを、時計メーカーのMIMOが買収した。買収の理由は定かでないが、おそらく、18世紀の創業という伝統が欲しかったのだろう。事実、買収以降の同社は、1791年創業という打ち出しを強めていった。

 新しくオーナーとなったオットー・グラエフはアメリカ市場に注力。しかし完成品にかかる高額な輸入関税を避けるため、1932年、ニューヨークに組み立て工場を設けている。スイスから輸入したムーブメントを、アメリカ製のケースに入れて完成させる。これは当時ポピュラーな手法だった。しかしジラール・ペルゴは他社と多少違っていた。通常、外部のケースサプライヤーはせいぜい2社である。対して同社はケースサプライヤーに、ワーズワース、スターウォッチカンパニー、キーストーンなど多くを使った。狙いは供給の安定よりも、さまざまな形のケースを得ることだった。というのも当時のアメリカでは、レクタンギュラーをベースとした、いわゆる異形ケースがポピュラーだったのである。結果、この時代に作られたジラール・ペルゴの多くが、少し変わったレクタンギュラーケースを持つようになった。

 加えて幸いにも、MIMOはレクタンギュラームーブメントを持っていた。ベースはFEF86。MIMOではこれを、ジラール・ペルゴ向けにキャリバー86としてリリースした。アメリカ市場を強く意識した1930年代以降のジラール・ペルゴ。アールデコデザインのレクタンギュラーモデルが多く生まれたのは、当然だっただろう。そしてその中のひとつが、やがて「ヴィンテージ 1945」として注目を集めることになる。

(左上)ヴィンテージ 1945に受け継がれた最大の要素が、付け根を一段太らせたラグ。なぜこういうデザインになったのかは不明だが、当時ジラール・ペルゴは、アメリカのケースメーカーなどに依頼して、さまざまな形状のケースを製造していた。おそらくその中のひとつが、この独特のラグを持つケースなのだろう。(右上)6時位置から見た様子。時計の中心から、段を下げるようにケースサイドに向かっていくデザインがよく分かる。この時計がしばしば「アールデコ風」といわれる所以だ。(中)ケースサイド。湾曲を付けたケースは、この時代にしばしば見られるもの。ただし搭載するムーブメントを反映して、ケースバックはフラットである。(左下)ゴールドトップの様子がよく分かるバックケース側からの眺め。SSの外周に18KPGを張ったものである。なおこの形状のケースは、多くがアメリカ市場で販売された。そのためケースはアメリカ製である。しかしこの個体のケースは、おそらくスイス製。理由は、アメリカ製のケースには必ず付いている、”Gold filled”の刻印がないため。興味深いことに、ジラール・ペルゴは、アメリカのメーカーに作らせたケースとまったく同じものを、しばしばスイスのメーカーにも作らせた。(右下)四角く切られたスモールセコンド。文字盤はリフィニッシュされているため、デザインの詳細は不明である。