2001年のブランドローンチ以来、高級時計業界を席巻してきたリシャール・ミル。目を惹くのは斬新なデザイン、途方もない高価格、そして大胆なマーケティングだが、躍進の理由は別にある。リシャール・ミルの核にあるプロダクトに対する哲学を、同社の代表作であるトゥールビヨンを通して俯瞰することにしたい。

広田雅将、鈴木裕之:取材・文 三田村 優:写真
[連載第29回/クロノス日本版 2015年9月号初出]


RM 001 Tourbillon [2001]
ムーブメント自体をビジュアル要素とした先駆者

RM 001 トゥールビヨン
記念すべき第1作。リリースは2001年8月。最初期の12本はマイショー製、後期の5本はチタン製の地板を持つ。香箱の左に見えるのはパワーリザーブ表示、右はトルクインジケーター。手巻き(Cal.RM001)。23石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約70時間。18KWG(縦45×横38.3mm)。限定17本。日本未入荷(生産終了)。

 腕時計のF1を標榜し、彗星のごとく現れたリシャール・ミル。その第1作が2001年発表の「RM 001」である。最大の特徴は文字盤を廃したこと。これはスケルトンウォッチの定石だが、ミル氏はムーブメント自体をデザインすることで、トゥールビヨンに新しい造形を与えてみせたのである。

 1990年代以降、各社は分厚いケースの立体化に努めてきた。フランク ミュラー然り、ブライトリング然り。第三者として見ると、その方法論をムーブメントにまで押し広げたのがRM 001だったと言える。しかしこの時計の新しさは、造形以上に、設計の方法論にあったのではないか。ミル氏はこう述べる。

「この時計はムーブメントとケースと文字盤を同時にデザインした。ほかの時計にあるようなムーブメントのスペーサーは不要だ」

 すべて同時にデザインする発想は、この時計に類い希な立体感と統一感を与えた。加えて、自らの時計がガジェットになることを好まなかったミル氏は、製造元にも一流を揃えた。ケースはドンツェ・ボーム製、トゥールビヨンムーブメントはAPルノー・エ・パピ製。これは筆者の私見だが、リシャール・ミルの成功は、APルノー・エ・パピを選んだ時点で約束されたようなものだった。そもそも同社のムーブメントは信頼性と精度に優れている。とりわけ壊れない点で、少なくとも当時、ルノー・エ・パピのトゥールビヨンは傑出した存在だった。2001年夏に発表されたモデルは即完売。うち不良で戻ってきたのは1本のみ。しかもリュウズの再調整が必要なだけだったとミル氏は語る。RM 001の大成功を受けたリシャール・ミルはファンクションセレクターを加えたRM 002を発表。続いてデュアルタイム付きのRM 003をリリースした。快進撃の始まりである。

(左上)特徴的な香箱受けと、その左右に置かれたトルクインジケーター及びパワーリザーブ表示。「もちろん、美観は重要だ。しかし機能はより重要だ。だからトルクインジケーターを採用した」(ミル氏)。リシャール・ミルのトゥールビヨンは、すべて香箱の回転をわずかに速くしてある。理由は、ギア同士の固着を防ぐため。APRPが開発したこのアイデアを、リシャール・ミルはいち早く採用した。(右上)トゥールビヨンの受け。車のサスペンションに見立てた彼は、意図的に強固な受けを廃して、片持ちとした。(中)ミル氏が言う「スーパーエルゴノミック」な造形を持つケース。2本の太いリブを加えたのは、彼曰く、ケースの耐久性を高めるため。リブで剛性を持たせる発想を、彼はレーシングカーから得た。(下)ムーブメント。2番車、3番車、キャリッジを一枚の板で固定するという、斬新な構造を持つ。ただし変形を防ぐため、リブを加えたのがリシャール・ミルらしい。またこのムーブメントの基本設計は、一時期ジュリオ・パピらが株主であった、1990年代初頭のクラーレ・エ・パピ製トゥールビヨンにさかのぼる。「枯れた設計」を持つため、リシャール・ミルのトゥールビヨンは、第1作から高い信頼性を持つようになった。