ブランパン/フィフティ ファゾムス

スキューバダイビングの黎明と共にあった
〝潜水時計〟の先覚者

1953年にリリースされたフィフティ ファゾムスは、CEOのジャン-ジャック・フィスターとフランス海軍に所属するふたりのダイバーが作り上げたものだった。深海でも実際に使える時計という彼らの要求は、このモデルに、極めて高度なスペックを与えることとなった。

ジャン-ジャック・フィスター

1950年から80年までブランパンのCEOを務めたジャン-ジャック・フィスター。これは南フランスでのダイビングシーンを撮った写真である。

 1950年にブランパンのCEOとなったジャン-ジャック・フィスターは、時計メーカーの経営者である以前に、経験を積んだダイバーであった。53年に完成したフィフティ ファゾムスとは、まず、彼の経験を反映したものだった。

 当時ロレックスの社長を務めていたルネ・P・ジャンヌレも同様にダイバーであり、彼は53年にプロトタイプが完成し、54年にお披露目なった「サブマリーナー」に多くのアドバイスを加えた。ただジャンヌレと違い、フィスターは海に未来があることを確信する、一種のビジョナリストだった。事実、彼は「Our future is underwater(私たちの未来は深海にあり)」(55年)という著作を記すほど、海に魅せられていたのである。

 彼の気分は、フィフティ ファゾムスというユニークな名前によく表れている。フィスターはフィフティ ファゾムスという風変わりな名前を、シェイクスピアのロマンス劇「テンペスト」から転用した。劇中、空気の妖精であるエアリエルは、ファーディナンド王子にこう呼びかける。「full fathom five thy father lies」(五尋の海底に汝の父はありき)。彼はこの台詞から、ファゾムスの部分を採り、当時のダイバーが潜れる最大深度と合わせて命名したという。奇しくも、フィフティ ファゾムス、つまり91.5mは、新しいダイバーズウォッチの防水性能にほぼ同じだった。

 ただフィスターの深海に対する情熱も、ヴィルレのケースメーカー、パウリ・フレールの社長だったジャン・パウリと、それ以上に、フランス海軍の卓越したダイバーだった、ロベール〝ボブ〟マルビエ大尉とクロード・リフォ中尉を欠いて、実を結ぶことはなかっただろう。50年、マルビエとリフォはフランス海軍にエリートダイバーの部隊を設立し、ダイビング機器の選定に取りかかった。しかし提供されたLIPの潜水時計は、彼らを失望させるだけだった。30個のプロトタイプをテストしたマルビエは、すべての時計を返却する際、「溺死」と言い放った。

フィフティ ファゾムスの特許資料。フィスターは、ロック付きの回転ベゼル、二重にシーリングされたリュウズ、そしてふたつに分割された裏蓋で特許を得た。なおこれはアメリカの特許。スイスでは、1957年の7月31日に特許を取得している。

ブランパンは当時、新興国の日本でも、フィフティ ファゾムスのケース構造に関する特許を得た。

 彼らは理想的なダイバーズウォッチを製作すべく、あらゆる時計メーカーにコンタクトを取ったが、パートナーを見つけることは困難だった。フィスターの隣人であるパウリが航空時計用のケースを作っていたように、この時代、多くの時計メーカーは、海よりも空に目を向けていたのである。事実、某時計メーカーのCEOは「ダイビングウォッチに未来はない」と言った。

 見かねて手をさしのべたのは、彼らにダイビング機器を提供するスピロテクニック社だった。責任者のジャン・ビラレムはジャン-ジャック・フィスターにコンタクトを取り、理想的な潜水時計を探すふたりのダイバーに引き合わせた。話し合いの結果を、マルビエはこう記す。「最終的に、ブランパンが私たちの理想とする、黒文字盤に大きな数字と、円、三角、四角で構成されるクリアなインデックスを持ち、文字盤同様のマーキングが施された回転する外部ベゼルを持つ時計を提供することで合意した」。その際マルビエは、フィスターに次のような要求を加えたという。「すべてのマーカーは、羊飼いにとっての北極星のように光ること」。

 フィスターは20本のプロトタイプを完成させ(彼はあらかじめ、1000個の防水時計用ケースをパウリに発注していた)、マルビエとリフォに提供した。結果は驚くべきもので、まずはフランス海軍、やがてはアメリカ、スペイン、ドイツ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、パキスタンがこのダイバーズウォッチの採用を決めたのである。

フィフティ ファゾムス バチスカーフ

フィフティ ファゾムス バチスカーフ[1956]
1956年に発表されたスポーツアクティビティモデル。ダイヤモンドカットで仕上げられた立体的なインデックスを持つが、これはエンボス加工によるもの。アプライドでないのは、インデックスの剥落を嫌ったためか。自動巻き。直径37mm。参考商品。

 ダイバーであるフィスターが骨子を整え、そこにマルビエとリフォが高い要求を加えた結果、フィフティ ファゾムスは非凡な性能を持つに至った。ロレックスが特許を持つねじ込み式のリュウズは採用できなかったが、ブランパンは、リュウズのパッキンを二重にするアイデアで高い防水性能を与えた。また押し付けながら回す誤作動防止ベゼルには、海で遭難しかかったフィスターの経験が反映されていた。いっそう驚くべきは、耐磁性能を高める軟鉄製のインナーケースを組み込んだことだった。いくつかの潜水機器が強い磁気を発することは、当時、ごく一部のプロダイバーにしか理解されていなかったのである。あるいは耐磁性を与えた理由は、磁気機雷を刺激することを恐れたためかもしれない。

 フィフティ ファゾムスが各国海軍に用いられるほどの防水性能を持てた最大の理由は、裏蓋の構造にあった。パッキンの性能が今ほど良くなかった当時、ねじ込み式の裏蓋は、しばしば裏蓋のパッキンをねじれさせ、防水性能を悪化させた。対してフィスターは、裏蓋をはめ込み、外周に置いた金属リングを回して締め上げることで、パッキンの変形を防いだ。パッキンの性能が向上した現在、この手法はもはや一般的ではない。しかし有用だったことは、後にソ連のダイバーズウォッチが模倣したことからも明らかだった。ちなみにフィスターは、2分割された裏蓋の構造で特許を得た。しかし共産圏でしか提供されないソ連製のダイバーズウォッチは、ブランパンのケース構造を模倣しても、特許に抵触しなかった。

 潜水器具を提供するスピロテクニックとつながった結果、フィフティ ファゾムスは高名なダイバーたちの目に留まるようになった。そのひとりが、ジャック=イヴ・クストーである。スピロテクニックは、フィフティ ファゾムスを、自社の潜水器具の名称である「アクアラング」という名称で販売し、クストーはそのモデルを、映画「沈黙の世界」の撮影で用いた。56年にカンヌ国際映画賞を獲得したこの映画は、多くの人々に深海に対する関心をかき立てることとなっただけでなく、フィフティ ファゾムスに注目を集めさせたのである。

フィフティ ファゾムス Mil-Spec1

フィフティ ファゾムス
Mil-Spec1[Late1950s]

1950年代後半製。アメリカ海軍に納入された「ミルスペック1」モデル。ただし文字盤の表記は“TORNEK-REYVILE”ではなく、通常の“BLANCPAIN”。そして民間向けモデルに同じく、ポリッシュされたケースと、穴の開いたラグを持つ。自動巻き。直径41mm。参考商品。
フィフティ ファゾムス LIP

フィフティ ファゾムス
LIP[Mid1950s]

1950年代製。LIP銘で納入された、ごく初期のミルスペックモデル。文字盤上の○は紙製で、ケース内の湿度が上がると色が変わる。1950年代以降、ブランパンはさまざまなメーカーを通じて、フィフティ ファゾムスを納入した。自動巻き。参考商品。

 フィフティ ファゾムスが一層飛躍したきっかけは、アメリカ海軍での採用だった。アメリカの代理店である、アレン・V・トルネクを介して、ブランパンはアメリカ軍にフィフティ ファゾムスを提供した。その名称は、「トルネク-レイヴィル」。ブランパン銘でなかった理由は、アメリカ軍に納入するサプライヤーがアメリカ国内の企業に限られていたためだ。そのため、ブランパンは納入業者のトルネクと、ブランパンの別名であるレイヴィルを足した別名で納入した。

 フィフティ ファゾムスの性能が広く認められたのは、59年にアメリカ海軍が行ったテストにおいてだ。この試験に対して、ブランパンは12本の「フィフティ ファゾムス ミルスペック1」を提供。レポート結果は次の通りだった。「表面だけでなく、水の中でも酷使しショックを与えた(中略)極めて大きな表示により、約150フィートの潜水が可能である。この時計の主な用途はスキューバダイビングであり、深水度を測るために、時間を知ることが非常に重要だ。外部のリング(回転ベゼル)はすぐに、不可欠な機能と見なされるに至った。ダイバーが明らかに窒素酔いしている状態でも、この特徴により、たちまち時間を読み取れる」。アメリカ海軍が設けた5つの基準をすべて満たしたダイバーズウォッチは、フィフティ ファゾムスだけだった。結果を受けて、アメリカ海軍は611本ものミルスペック1を発注した。

 以降も、フィフティ ファゾムスはプロフェッショナル向けのダイバーズウォッチとして、主に各国の海軍で用いられた。アメリカ海軍との関係は20年以上にわたって続いただけでなく、60年代後半には、旧西ドイツ海軍の要請により、「BUND ノーラディエーション」や「BUND 3H」を開発した。

フィフティ ファゾムス Bund 3H

フィフティ ファゾムス
Bund 3H[1970s]

1970年代に製造された、旧西ドイツ海軍向けのモデル。特徴的なベゼルのシングルインデックスは、リブリーザーを用いた長時間潜水用に簡素化されたもの。裏蓋には「6645-12-171-4162 BUND」の刻印あり。自動巻き。直径41.8mm。参考商品。
フィフティ ファゾムス Bund No Radiation

フィフティ ファゾムス
Bund No Radiation[Mid1960s]

1965年から70年にかけて製造された、旧西ドイツ海軍向けのモデル。裏蓋には「BUNDES WEHR 6645-12-149-5012」の刻印がある。文字盤の6時位置に見えるのは、夜光塗料に放射性物質を使わない“No Radiation”のロゴである。自動巻き。直径41mm。参考商品。

 ちなみにフィフティ ファゾムスとロレックスのサブマリーナーでは、どちらが先にリリースされたのか。さまざまな説があるが、信頼できる資料によると、先に発表されたのはフィフティ ファゾムスである。53年にブランパンはフィフティ ファゾムスをフランス海軍に納入したが、ロレックスがサブマリーナー(Ref.6204)をお披露目したのは、翌54年のバーゼル・フェア(現バーゼルワールド)だった。確かにロレックスは53年にプロトタイプ(Ref.6200)を製作し、テストを行ったが、製品版の発表は54年である。

 フィスターの退陣と共に、フィフティ ファゾムスの歴史はいったん途絶えることとなる。しかし97年に華々しく復活した。このモデルが大きな成功を収めた理由は、ヒストリーがあるだけでなく、当時唯一と言っていいほど、高級な外装を持っていたためである。この、ハイスペックで高性能なダイバーズウォッチという方向性は、同社がスウォッチ グループに加わって以降、さらに加速した。それを象徴するのが、2003年に発表された〝50周年限定版〟である。この際にベゼル表面のプレートがサファイアクリスタル製に変更され、同社の革新性の一端を示した。

フィフティ ファゾムス 50周年限定版

フィフティ ファゾムス 50周年限定版[2003]
右モデルをブレスレットに換装したバリエーション。文字盤に50thアニバーサリーとある本作は、2003年に50本のみ生産された。コレクターズピースのひとつである。自動巻き(Cal.1151)。2万1600振動/時。パワーリザーブ約96時間。SS(直径40.3mm)。300m防水。参考商品。
フィフティ ファゾムス 50周年限定版

フィフティ ファゾムス 50周年限定版[2003]
1953年のファーストモデルを思わせる限定版。回転ベゼルの素材は、プラスティックからサファイアクリスタルに変更された。ストラップを交換できるツールが標準で付属しており、ラバーもしくはブレスレットに換えられる。これはダイビングスーツの上から着けられるラバーストラップ。参考商品。

 サファイアの採用を決めたのは、02年にCEOとなったマーク・A・ハイエックである。ダイバーだった彼は、しばしばプレキシガラス製の風防を、歯磨き粉で磨いて傷を落としたという。しかしそれが〝モダン〟でないことを知るハイエックは、風防だけでなくベゼルも、傷が付きにくいサファイア製に改めさせた。その際、回転ベゼルをドーム状に盛り上げたのも、彼のアイデアだった。ダイバーの彼は、平たいサファイアが、見た目を平板に見せるだけでなく、割れやすいことを理解していたのである。加えてハイエックは、このモデルにもうひとつのアイデアを加えた。簡単に交換できるストラップである。03年の発表時にハイエックは、1953年の開発に携わったロベール・マルビエと共に、この仕組みの有用性をデモンストレーションしてみせた。

フィフティ ファゾムス バチスカーフ

フィフティ ファゾムス バチスカーフ[2017]
バチスカーフに加わった青文字盤モデル。ケース素材はTiである。ケースサイズはSS版と多少異なり、直径は38mm、厚さは10.77mmとなった。シリコンヒゲゼンマイを採用。自動巻き(Cal.1150)。28石。パワーリザーブ約100時間。300m防水95万円。

 50周年モデルの成功を受けて、ハイエックは第3世代の開発を急がせた。それは従来のフレデリック・ピゲ製ムーブメントではなく、まったく新しい自社製ムーブメントを載せていた。基本的なデザインと構成は、2003年の限定版に同じ。しかし5日間という長いパワーリザーブは、このモデルに卓越した等時性をもたらした。なおベースムーブメントとなったのは、約8日間のパワーリザーブを持つ手巻きの13R0である。ではなぜブランパンは、自動巻き化にあたってパワーリザーブをあえて約5日に短縮したのか。13R0は、耐磁性の高いチタン製のテンワを持っていた。しかし軽いテンワは、強い衝撃を受けると等時性が悪化する。そこでブランパンは、比重の重いグリュシデュール(ベリリウム合金)に変更し、スポーツシーンでの耐衝撃性を大幅に高めたのである。テンワがチタンでないと耐磁性は悪化するが、軟鉄製のインナーケースを持つフィフティ ファゾムスでは、それもまったく問題にならなかった。

フィフティ ファゾムス オートマティック

フィフティ ファゾムス
オートマティック[2017]

2017年の限定モデル。過去のミルスペックモデル同様、文字盤にはケース内への浸水を示す紙のパッチが当てられる。自動巻き(Cal.1151)。28石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約96時間。SSケース(直径40.3mm)。300m防水。世界限定500本。139万円。
フィフティ ファゾムス オートマティック

フィフティ ファゾムス
オートマティック[2017]

2017年に発表された追加モデル。Cal.1315がシリコンヒゲゼンマイ搭載になったため、耐磁ケースが省かれた。またケース素材をTiに替えた結果、約30%軽くなった。自動巻き。35石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約5日間。直径45mm。300m防水。154万円。

 以降もブランパンは、フィフティ ファゾムスコレクションの拡充に努めた。13年には汎用性の高いバチスカーフを追加したほか、17年には、かつてのミルスペックを思わせる小ぶりなモデルを追加した。このモデルのムーブメントは1315ではないが、直径が40.5㎜と控えめなため、取り回しはなお軽快だ。

 現在、各社はダイバーズウォッチの高級化に努めている。しかしフィフティ ファゾムスほど質感に富み、また興味深いエピソードを持つ時計は希だろう。フランス海軍向けに作られたプロ向けのダイバーズウォッチ、フィフティ ファゾムス。リリースから半世紀以上を経て、この時計はダイバーズウォッチの規範とも言えるまでに成長を遂げたのである。



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