ハイジュエリーだけでなく、高級時計の分野でも大きな存在感を見せるハリー・ウィンストン。時計好きが注目するのは複雑なオーパスだが、むしろ同社らしさを象徴するのは、「HW プルミエール・バイレトログラード パーペチュアルカレンダー」に始まるレトログラードシステムだろう。そもそもはジャン-マルク・ヴィダレッシュの個人的な好みによる機構だったが、同社はこのメカニズムに磨きをかけ続け、今やハリー・ウィンストンのアイコンにまで成長させたのである。
星武志:写真 Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
[クロノス日本版 2020年3月号初出]
超複雑機構と融合したレトログラード表示の可能性
Histoire de Tourbillon & Opus Series
他社では、表示方法のひとつでしかないレトログラード機構を、ハリー・ウィンストンは磨き続けた。それをもっともよく示すのが、2015年と18年に発表された、ユニークな超複雑時計ふたつである。共通するのは、レトログラードがなければ搭載できなかった付加機構を載せている点だ。
レトログラードをオフセットさせることで、3軸トゥールビヨンを極大化させた大作。第1のキャリッジは300秒、第2のキャリッジは75秒、第3のキャリッジは45秒で1回転する。手巻き(Cal.HW4504)。パワーリザーブ約50時間。18KRG(直径46.5mm、厚さ20.84mm)。3気圧防水。世界限定10本。6950万円。
針を回転させるのではなく、扇状に動かすレトログラード。その軸を文字盤の外周に置けば、時計の中心部には大きな余白を設けることができる。さまざまな表示を持つ複雑時計にはうってつけの機構だが、衝撃に弱く、調整も困難なため、採用するメーカーは決して多くなかった。しかし、バネを解析する有限要素法が時計メーカーに普及した1990年代半ば以降、レトログラードは実用的なメカニズムとして見直されるようになった。
89年に時計産業に参入して以降、ハリー・ウィンストンは、このメカニズムを磨き上げてきた。そもそもはレトログラードモジュールを開発したジャン-マルク・ヴィダレッシュの個人的な試みだったが、同社がスウォッチグループの傘下に収まった現在、ハリー・ウィンストンは、レトログラードを自身のアイコンであると明確に謳うようになった。
ユニークで、かつ表示の自由度を高められ、また複雑機構にも向く。そんなレトログラードの魅力を前面に押し出したのが、2018年発表の「イストワール・ドゥ・トゥールビヨン 9」である。搭載するのは、3軸トゥールビヨンに加えて、レトログラード式ジャンピングアワーと分表示。時分表示をオフセットさせることで、6時位置の3軸トゥールビヨンを大きくしたのは、ジャガー・ルクルトの「ジャイロ・トゥールビヨン」シリーズや、フランク ミュラーの「ギガ・トゥールビヨン」に同じ。しかし、レトログラードの採用により、キャリッジをさらに大きくしたのが本作の魅力である。また、時分針を同じレイヤーに置くことのできるレトログラードの特徴を生かし、文字盤と風防のクリアランスをギリギリまで詰めてみせた。
ハリー・ウィンストンが手掛けるレトログラードの設計は、極めて洗練されている。時分針を帰零させるのは、シンプルな直線状のバネ。バネ力の調整は難しいが、簡潔な造形を狙って採用したのだろう。かつて、確実に作動することだけが求められたバネ類は、今や、造形までコントロールできるようになったのである。加えて、それぞれの針は、レトログラードで動かしているとは思えないほど太い。部品配置の妙が際立つ本作だが、レトログラード機構も、明らかに完成度が高い。
空前の超大作。3枚の可動ディスクでGMTと日付と星を、レトログラードで分を表示する。9時位置のスライダーで表示する機能を選択。12時位置のプッシュボタンで日付とGMT表示の早送りが可能だ。手巻き(Cal.HW4601)。18KWG(直径54.7mm、厚さ21.9mm)。3気圧防水。世界限定50本。4980万円。
レトログラードであることをいっそう強調したのが、15年に発表された「オーパス14」である。それ以前、オーパスは独立時計師とのコラボレーションモデルだった。しかし、発表時にハリー・ウィンストンCEOのナイラ・ハイエックはこう語っている。
「新しいオーパス14は以前とは違います。時計師の誰それが作ったというタイムピースではありません。オーパスとは、時計自体が人格を持っている時計なのです」
独立時計師ではなく、スウォッチ グループが総力を挙げて作り出したオーパス14。本作で強調されたのは、何にもましてハリー・ウィンストンらしさであった。製作に携わったのはブランパンと、新興のムーブメント工房であったテロス ウォッチデザインを率いるフランク・オルニー、ジョニー・ジラルダンのふたり。モンブランで「メタモルフォシス」の設計に携わった時計師たちだ。
オーパス14は、スペックだけを見ると、かつてないほど複雑なモデルである。部品点数は1066点。グランソヌリ並みに部品が多い理由は、3枚のディスクを格納し、ジュークボックスよろしく引き出してそれぞれの要素を表示するためだ。内蔵するのは、ローカルタイム、GMT、日付、そしてハリー・ウィンストンのサインを刻んだ星の4つ。このうち3つのディスクがスライドして、文字盤上に現れる。ジュークボックスのようなメカニズムばかり注目されるが、時間と分表示がオフセット配置できなければ、こんな大掛かりな超複雑機構を搭載することは、間違いなく不可能だっただろう。
加えてこのモデルは、ブランパンのホモロゲーションに従って、厳密なテストを受けた。ジョニー・ジラルダンは説明する。「遊びの感覚は重要です。しかし腕で壊れないことが絶対に不可欠でした。ですから50Gの耐衝撃テストを4500回行いました」。レトログラードはもちろん、3枚のディスクを収めたマガジンを上下させ、アームを水平に動かし、かつ現時点の日付やローカルタイムを示すためにディスクを回転させるムーブメントが、50Gの衝撃に耐えられるのだ。以降のハリー・ウィンストンが、レトログラードをいっそう用いるようになったのは当然だろう。
今や、より高い実用性を持つに至ったハリー・ウィンストンのレトログラード機構。その機構の確実さは、超複雑機構においてさえ、レイアウトの自由度を保証する、大きな武器となったのである。
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