ジャガー・ルクルト/メモボックス Part.2

今や、アラームウォッチの代名詞的存在となったメモボックス。1950年に発表されたこのコレクションは、アラーム時計への採用が難しいとされた自動巻きや防水ケースをいち早く採用することで、唯一無二のアラームウォッチに変貌したのである。また、メモボックスの進化は、やがて不可能と思われたアラーム付きのスポーツウォッチを完成させたのである。

メモボックス

星武志:写真 Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
広田雅将(本誌):文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2022年3月号掲載記事]


深海から響く警告音
~スポーティーに進化してゆくアラームウォッチの軌跡~

他社のアラームムーブメントに対して、明らかなアドバンテージを持っていたメモボックス用のムーブメント。ジャガー・ルクルトはその個性を伸ばすことで、アラームウォッチの可能性を広げ続けた。同社の向かったひとつの方向性が、「ディープシー・メモボックス」に始まるスポーツウォッチへの搭載である。

メモボックス・オートマティック

メモボックスの名を一躍高めたのが、1959年発表の「メモボックス・オートマティック」(E855)だ。ローターが110°しか回らないハーフローターの採用で、裏蓋のピンを叩いて音を鳴らす設計をそのまま採用できた。これはフルオリジナルの個体。参考商品。

 1950年代に加速したアラームウォッチの開発競争。引き金を引いたのはヴァルカンだった。47年、同社は初の腕時計アラームウォッチとなる「クリケット」を発表。49年には「アラーム付き腕時計」で複数の特許を取得している(CH259170、CH264494ほか。ただし、前者はヴァルカンの2次資料でしか確認できない)。

 直径33mmというサイズにもかかわらず、使える音量を持つクリケットは、時計関係者だけでなく、市場からも高い評価を得た。ユージン・ジャケは名著『Technique and History of the Swiss Watch』(53年初刊)でクリケットをこう評する。「この時計は本当の需要を満たし、大きな成功を収めたように思われる。かなりのヘビースリーパーはさておき、ほとんど普通の人には役に立つだろう」。とりわけこの時計を好んだのは、実用性を重視するアメリカ市場だった。

 アメリカ市場での売れ行きが、決定的な影響を持っていたこの時代、スイスの時計メーカーは、ヴァルカンが切り開いた新ジャンルを無視できなくなった。50年以降、各社はさまざまな腕時計用アラームムーブメントをリリース。その中で、ひときわ目立っていたのがジャガー・ルクルトと、エボーシュメーカーのA・シルトだった。対してヴァルカンは、これらのメーカーに対して特許侵害の訴訟を起こしたが(最終的な決着は63年とヴァルカンは記す)、アラームウォッチ開発の流れは阻止すべくもなかった。

 ヴァルカンのアラームムーブメントは、ひとつのリュウズでアラーム用と時計用のムーブメントを巻き上げるものだった。加えて、アラームをセットするとリュウズが飛び出すアクションに特徴があった。この特許を回避したのがA・シルトである。同社はアラームと時計部分を完全に切り分け、それぞれにリュウズを付けたのである。

メモボックス・オートマティック

E855にはさまざまなバリエーションが存在した。これは針とインデックスの中心に黒い線をあしらった「ジェンタ風」のデザインを持つモデル。アメリカ向けの「ルクルト」には派手なケースを与えたジャガー・ルクルトだが、アメリカ外には実用時計然としたデザインを与え続けた。

 ではジャガー・ルクルトのアラームウォッチ「メモボックス」はどうだったのか。アラームの構成はA・シルトに似ていたが、リュウズを引き出してアラームをセットするA・シルト(スイス特許CH286923)に対して、リュウズを押し込むとアラームを作動させる点が違っていた。引くか押すかだけの違いでしかなかったが、リュウズをぶつけてもアラームがオフにならない上、ケースの気密性を高められるというメリットは、やがてメモボックスに決定的なアドバンテージをもたらすことになる。

 メモボックスに関する重要な特許をいくつか挙げたい。ひとつは51年5月30日に公開された「アラーム付き腕時計」(CH274907)である。これは音を出す構造に関するもので、おそらくはヴァルカンとの差異を強調したものだった。より注目すべきは、52年1月31日に公開された「アラーム時計」の特許(CH280561)だろう。これは針ではなく、回転するディスクでアラームの時間をセットするというアイデアに対する特許だった。

 ジャガー・ルクルトは機構だけでなく、デザインでも差別化を図ろうと考えた。事実、60年代当時の取扱説明書にはこういう記述がある。「有名な小さなアラームセット用の三角形:ジャガー・ルクルトだけの特別な機能」。ちなみに、この時期のジャガー・ルクルトは、回転ディスク以外にも、アラームに関するさまざまな特許を出願している。52年のCH285846は、時計の裏側にアラームのセット時間を表示するものだった。もっとも、こちらは腕時計ではなく、アラームクロックに関するものである。

 50年に発表された初めての腕時計用アラームムーブメントが、手巻きのキャリバー489だった。バリエーションはPもしくはKのふたつ。前者は耐震装置がパラショックで、後者はキフショックだった。両者に性能上の違いがないことを思えば、リスク回避のためにサプライヤーを分けたのだろう。489の直径は27.12mmで、厚さは5.2mm。翌51年にはマイナーチェンジ版のキャリバー601もごく少数生産された。

メモボックス

[1950]メモボックス
1950年発表のメモボックスのファーストモデル(Ref.3150)はケースとラグを一体化させたデザインに特徴があった。最初期の広告にはReminds(記憶) ‒ Warns(警告)‒ Awakens(目覚め)というモットーが記された。手巻き(Cal.PもしくはK489)。18KYG。参考商品。

 当初のジャガー・ルクルトが、ヴァルカンに強い対抗意識を持っていたことは疑う余地もない。それを示すのが、メモボックスというコレクション名である。ヴァルカンが「クリケット」という分かりやすい名称を与えたように、ジャガー・ルクルトも、メモボックスというペットネームで、消費者への浸透を図ったのである。なおメモボックスとは、ラテン語のmemoria(記憶)とvox(音)からなる造語だ。加えて53年、ジャガー・ルクルトは、新しいアラームムーブメントのキャリバー814を発表した。基本的な設計は489/601に同じだが、ムーブメントの受けが一体化されたのが大きな違いだ。あえて変更したのは、同社が自動巻きアラームムーブメントの開発を進めていたからだろう。自動巻きのモジュールを重ねるには、土台となる受けは一体型のほうが向く。また、一体型の受けは生産性にも優れていた。

 50年代当時、ケースの内側にあるピンを叩いて音を鳴らすアラームウォッチに、自動巻きを載せることは不可能と思われていた。主ゼンマイを巻き上げるローターとピンが干渉するためだ。対してジャガー・ルクルトは、当時でさえ時代遅れと見なされていたハーフローター自動巻きを搭載することで、この課題をクリアした。ローターの回転角はわずか110度。しかし、手巻き機構と一体化された自動巻き機構は、小さな腕の動きにもよく追随した。

 ちなみに、自動巻きを搭載した腕時計アラームに関しては、すでにA・シルトが特許を取得(52年12月25日公開、CH287622)していた。もっとも同社が取得したのは、ラチェット式の自動巻きだったようだ。メモボックスの片方向巻き上げハーフローターは、設計が簡単なことに加えて、この特許を回避するためだったとも考えられる。ともあれ56年に完成したキャリバー815は、世界初の自動巻きアラームムーブメントだった。直径は31.64mm、厚さは7.05mm。

メモボックス・オートマティック

[1956]メモボックス・オートマティック
メモボックスの完成形が「メモボックス・オートマティック」。写真は、1970年代に製造されたE875だ。搭載するCal.K916はアラームウォッチとしては随一の全回転ローターに加えて、2万8800振動/時もの高振動を誇った。自動巻き。18KYG(直径37mm)。参考商品。

 なおこの時期、ジャガー・ルクルトはアラームの表示ディスクでさらに特許(59年7月31日公開、CH340196)を得た。これは針ではなく回転ディスクでセット時間を表示するという、メモボックスのデザインを生かしたものだった。特許には次のような一文がある。「駐車時間やパーキングの更新時間を知らせるなど、非常に有効な機能である」。58年に、ジャガー・ルクルトはこの特許に基づいた「メモボックス・パーキング」を発表。続いて世界の都市名を記した「メモボックス・ワールドタイム」をリリースした。

 メモボックスがアラーム時計の世界標準となったのは、59年のキャリバー825搭載機(E855)からだ。このムーブメントは、自動巻きアラームのキャリバー815に日付表示を加えたものだった。また、ケースの防水性能が改善された結果、時計としての実用性も大きく向上した。自動巻きに続いて防水ケースを採用することで、メモボックスは他社製アラームウォッチを大きく引き離したのだ。

メモボックス GT

1960年代後半になると、ジャガー・ルクルトはメモボックスに新しいデザインを加えるようになった。これは珍品の「メモボックス GT」(E861)である。68年から71年まで製造。ムーブメントはCal.K825。もっとも厚いケースは時代遅れになろうとしていた。

 ケースの裏側のピンを叩いて音を鳴らすメモボックスには、そもそも防水性に優れるねじ込み式の裏蓋を採用できない弱点があった。裏蓋がずれて固定されると、ハンマーと裏蓋に固定されたピンが噛み合わなくなるためだ。対してジャガー・ルクルトは、裏蓋をはめ込み、外周にあるリングをねじ込んで押さえることで対処したのである。

 そもそもメモボックスのムーブメントは、リュウズを押し込むとアラームが起動し、引き上げると止まるという特徴を持っていた。そのため、アラームをセットするとリュウズが飛び出すヴァルカンや、リュウズを引き出してアラームを作動させるA・シルトに比べて気密性が高かった。この強みを強調したのが、59年の防水アラーム時計「メモボックス・ディープシー」である。リングで裏蓋を保持するケースの構成はキャリバー825に似ているが、防水性能は500フィート(ヨーロッパ版はなぜか200m防水)に高められた。もっとも、このモデルはベゼルが回転式ではないため厳密にはダイバーズウォッチとは言えない。世界で初めてのアラーム付きダイバーズウォッチは、61年のヴァルカン「クリケット・ノーティカル」だった。

メモボックス・ディープシー

[1959]メモボックス・ディープシー
E855のケース構造を進化させたのが、防水時計の「メモボックス・ディープシー」(E857)である。59年にはアメリカ市場向けに、翌60年にはヨーロッパ向けに発売された。写真は前者。1061本が製造されたと言われる。自動巻き(Cal.K815)。SS(直径39.8mm)。500フィート防水。参考商品。

 おそらくは、このモデルに刺激を受けたのか、ジャガー・ルクルトは両方向回転ベゼルを持つダイバーズアラームウォッチの「メモボックス・ポラリス」を発表した(65年)。メモボックス・ディープシーとの大きな違いはケース構造。前作のリング固定ではなく、なんとはめ込み式の裏蓋に変更されていた。設計としては「退化」だが、ピンを正確な位置に固定することを考えれば、やむを得ない選択だった。ただし、これに懲りたのか、ジャガー・ルクルトは、アラームムーブメントを載せたダイバーズウォッチの製作を、おそらく70年には中止してしまう。

 この時期に、ムーブメントも進化した。傑作814の後継機が手巻きのキャリバー911(日付あり、64年)と910(日付なし、65年)である。ムーブメントの直径は29.38mm、厚さは前者が5.6mm、後者が5.15mm。サイズの拡大により910系は、部品のレイアウトに無理がなくなったほか、整備性も改善されたのである。

メモボックス・ポラリス

[1965]メモボックス・ポラリス
裏蓋をはめ込み式に変更したのが、「メモボックス・ポラリス」(E859)である。直径は42mmに拡大されたほか、回転式のベゼルと日付表示が追加された。65年と68年モデルがあり、写真は後者。1714本が製造されたと言われている。自動巻き(Cal.K825)。SS。200m防水。参考商品。

 続いて70年には自動巻きのアラームムーブメントが、全くの新規設計を持つキャリバー916に置き換わった。裏蓋のピンを叩いて音を鳴らすのは今までに同じ。しかし、ローターが全回転になり、また防水性能の高い、ねじ込み式の裏蓋に対応できるようになったのである。加えてこのムーブメントはジャガー・ルクルト初の、2万8800振動/時という高い振動数を持っていた。初めての高振動をあえてアラーム時計に与えた理由は、おそらく、アラームの振動が精度を悪化させることへの対処だろう。

 同社は自動巻きを加えることでアラーム時計の実用性を高めたが、発表の時点でさえ、ハーフローター自動巻きは新しいものとは言いがたかった。巻き上げ効率は高かったものの、消費者たちはハーフローターがバネで戻る感触を好まなかったのである。しかし、裏蓋に立てたピンを叩いて音を鳴らすメモボックスに、全回転ローターは載せられない。対して、ジャガー・ルクルトは全回転ローターをボールベアリングで支えることでローターの中心部に空洞を作り、そこに裏蓋から飛び出たピンを差し込んだ。ピンが裏蓋の真ん中にあれば、裏蓋をどれだけねじ込んでもピンの位置はずれない。この設計は、以降のメモボックス用ムーブメントに踏襲された。

 最後の進化はゴングである。メモボックスが澄んだベル音を持てるようになったのは、94年に、916の後継機であるキャリバー918がリリースされて以降である。97年にはその手巻き版のキャリバー914が追加され、すべてのジャガー・ルクルト製アラームウォッチは、独特の「スクールベル」を持つようになった。

メモボックス・トリビュート・トゥ・ポラリス 1968

[2008]メモボックス・トリビュート・トゥ・ポラリス 1968
自動巻きアラームムーブメントの完成形がCal.956。それを搭載したのが本作だ。衝撃に強い956はスポーツウォッチに向く。768本限定の「1968」と130本限定(SSとPt 各65本)の「1965」があった。写真は前者。自動巻き。SS(直径42mm)。200m防水。参考商品。

 2008年には、918の進化版である956がリリースされた。フリースプラングテンプを持つこのムーブメントは、強い衝撃を受けるスポーツウォッチにはうってつけのものだった。ジャガー・ルクルトが、まずスポーツモデルの「メモボックス・トリビュート・トゥ・ポラリス 1968」に載せたのは当然だろう。

 ちなみにジャガー・ルクルトは、07年に918のフリースプラング版であるキャリバー912をリリースしていた。その改良版にあたるのが、キャリバー956だった。956の衝撃への配慮は際立っている。テンプ受けを見ると、先端は⊥状に広がっている。左右の棒は、ヒゲゼンマイの変形防止ガードである。アラームの鳴っている状態で強い衝撃を受けると、ヒゲゼンマイが大きくたわむ可能性がある。対して912と956では、ヒゲゼンマイの外周に壁を作り、そこにヒゲゼンマイが当たるようにしたのである。ロレックスやオーデマ ピゲもこのアイデアを採用するが、筆者の見る限り、一番有用だったのは、956ではなかったか。次ページでは、さらに改善された956と、その搭載モデルである「ポラリス・マリナー・メモボックス」を見ていこう。これは時間をかけて実用性を高めてきたメモボックスの、究極と言ってよい時計なのだ。

マスター・メモボックス・トリビュート・トゥ・ディープシー

[2011]マスター・メモボックス・トリビュート・トゥ・ディープシー
2011年には「メモボックス・ディープシー」も復刻された。オリジナルにならって、文字盤も2種類ある。これはロゴからも明らかなようにアメリカ仕様。自動巻き(Cal.956)。SS( 直径40.5mm)。100m防水。世界限定359本(ヨーロッパ仕様は959本)。参考商品。



Contact info: ジャガー・ルクルト Tel.0120-79-1833


ジャガー・ルクルト/マスター・コントロール Part.1

https://www.webchronos.net/iconic/57173/
ジャガー・ルクルト ゴングの移植でいよいよ完成を見た 機械式アラームの決定版

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腕時計用のアラーム機構。その歴史と代表的モデル

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