数多くのアイコンを持つロンジンにあって、ひときわ輝く存在がアワーアングルウォッチだ。かのリンドバーグの協力から生まれた本作は、1930年代にはパイロットの必需品となり、80年代以降は、ロンジンのアイコンとなった。時代の要請を受けて変わり続けるアワーアングル。その全容を明らかにする。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Hiroyuki Suzuki
Special Thanks to hiro1491
[クロノス日本版 2023年5月号掲載記事]
HOUR ANGLE WATCH Ref.3210[1931]
腕時計に測位機能を持たせた初代モデル
1931年に発表されたアワーアングルウォッチのファーストモデル。写真の個体は1938年製。ケースは非常に珍しい18KYG製である。針合わせは古典的なダボ押し。41年にはCal.37.9/Nを搭載したRef.4365に進化した。手巻き(Cal.18.69N)。15石。1万8000振動/時。ロンジン蔵。
アビエーションの黎明期、時計にさまざまな機能を加えようという試みがあった。そのひとつが、ロンジンの「アワーアングルウォッチ」である。これは言わば、マリンクロノメーターの腕時計版で、時間を知るためではなく、現在地を測定するためのツールだった。正確なクロノメーターを用いて、現在地との時差を割り出すと、今いる場所の経度と緯度が分かる。18世紀以降、世界中に海運網が張り巡らされるようになった理由だ。これを転用すれば、航空機の位置も割り出せるのではないか。
その理論を生み出したのは、アメリカ海軍で航空航法の権威となっていたフィリップ・ヴァン・ホーン・ウィームス。それを実際に、時計に落とし込んだのが、世界で初めて大西洋の単独横断飛行に成功したチャールズ・オーガスタス・リンドバーグだった。ほぼ勘のみでパリまで飛行したリンドバーグは、後にウィームスの下で、航空測量の技術を磨くことになった。
その共同作業がもたらしたのが、経度と緯度を割り出せるアワーアングルウォッチだった。直径47.5mmというサイズは、高精度な懐中時計用ムーブメントを搭載したためだ。この大きなサイズにより、回転ディスクを使ったセコンドセッティングや、位置を知るためのアワーアングルも使いやすくなった。なお実際の使用時には、六分儀やアルマナック(暦)との連動が不可欠だ。経度の測定には正確な時計に加え、六分儀、アルマナックの組み合わせが必要で、緯度の測定にも同様に六分儀が必要になる。
ラジオによる無線航法がようやく実用化された1930年代、簡易に位置が分かるアワーアングルウォッチは、多くのパイロットにとって歓迎すべきツールのひとつとなった。後にロンジンは、さまざまなバリエーションを加え、アワーアングルウォッチをひとつのコレクションとして完成させることとなる。
腕に巻く簡易フライトコンピュータ
~アワーアングルの原理と歴代機の変遷~
時間を秒単位で分割すれば、より正確な位置が分かる。フィリップ・ウィームスが1920年代に航空の世界に持ち込んだ概念を、弟子であるチャールズ・リンドバーグは時計に落とし込んだ。回転するベゼルで位置を測るアワーアングルウォッチの誕生である。なぜ、リンドバーグはウィームスのアイデアを時計に加えようと思ったのか? さまざまな資料から、その理由を考えてみたい。
1919年に国際航空連盟(FAI)の公式サプライヤーとなったロンジンは、航空時計のジャンルでノウハウを蓄積するようになる。大きな進歩が見られたのは23年のこと。同社は、ヌーシャテル大学時計研究所で教授を務めるアドリアン・ジャクロの協力を得て、気圧が精度に及ぼす影響を調査した。また同年には、職長のエドモン・ショパールをフランスの科学家であるジャン・ルカルムのモンブラン登頂に同行させ、高高度の環境が時計にどのような影響を及ぼすかを調査させた。その結果が、26年の冷蔵室設置である。おそらく時計メーカーとしては初となる冷蔵設備により、ロンジンは社内で航空時計のテストを行えるようになったのである。
以降ロンジンは、アビエーションのジャンルで、多くの名声を得ることになる。ロアール・アムンゼンによる北極点飛行(26年)、ジョン・ヘンリー・ミアーズらによる世界一周飛行(28年)、そしてフーゴー・エッケナーによる南極および北極大陸飛行(28〜29年)などである。そうした中で最も輝かしいものが、フィリップ・ウィームスとのコラボレーションで生まれたセコンドセッティングウォッチ(27年)と、チャールズ・リンドバーグの協力で誕生したアワーアングルウォッチ(31年)のふたつだった。
1910年代に普及した航空機は、20年代以降、速度と飛行距離を劇的に延ばした。それに伴い、航法も一新された。当初一般的だったのは、地上を見て位置を確認する地文航法(パイロッティング)だった。しかし、夜間や洋上では使えないため、やがて飛行速度や方向から自機の位置を割り出す推測航法(自立航法、デッドレコニング)が使われるようになった。しかし距離が長くなると推測航法では、どうしても機位の把握が難しくなってくる。その理由は風向きやコンパスの不良、そして不正確な航路図のためだった。
次の時代に普及したのは無線機だった(開発は24年)。アワーアングルの理論を打ち立てたウィームスは、自著“AIR NAVIGATION”(1942年/第三版)の中でこう記している。
「優れた無線設備が装備されている場合、航空機のおおよその位置は、指向性のあるふたつ以上の無線局からの方位で割り出せる。もちろんこれは、無線が適切に機能し、また無線ビーコンや無線局が近くにあるかによる」
ウィームスは同著の中で、それぞれの航法に適した距離も記している。200マイル以内は地文航法、200マイル以上400マイル以内は地文航法、推測航法、無線の併用。400マイル以上はさらに天測航法(セレスティアル・ナビゲーション)を加えるとした。
彼が特に重視したのが天測航法だった。「これまでに成功を収めた、洋上飛行のほとんどが、天測航法を用いたものである。天測航法と無線の併用は、風やコンパス、その他の問題に左右されることなく、実際の位置を決定する唯一の方法である。天測航法は1927年以前、一般的に用いられていた手法だったが、位置を決めるのに10分から15分の時間を要した。もっとも、この分野は過去10年間で大きな進歩を遂げており、最新の機器を用いて位置を決められるようになった。所要時間は日中なら5分、夜間なら2分。必要な計器はチャート、六分儀、そして正確な時計と、観測データを正確な位置に変換する方法である」。日中より夜間のほうが、所要時間が短いのは、星を使っての計測が可能なためだ。
天測航法のサポートに正確な時計を使うというアイデアは、18世紀にジョン・ハリソンがマリンクロノメーターで実現させたものだ。考え方は、今のタイムゾーン表示に同じである。グリニッジ天文台の時刻をマリンクロノメーターに移し、現在地の太陽の位置から真太陽時を測り、ふたつの誤差から現時点の経度を知る。もっとも、船と航空機では速度が違うため、天測を航空機上で行うのは難しかった。
ウィームスはこうも記している。「海で使われる“水冷式”の(天測)航法は、原理的には正しいものの、空で使うには遅すぎるし扱いづらい。私たちがナビゲーションの経路を探すには“空冷式”の方法を用いる必要がある」。空冷式とは、つまるところ、より正確で迅速な位置測定となる。ジョークの質はともかくとして、この“空冷式”を追求したウィームスが完成させたのが、セコンドセッティングの可能な時計だった。これは、文字盤内の回転ディスクを回すことで、正確に秒合わせが可能なもので、無線を併用すれば、理論上はかなり正確に自機の位置を割り出せた。
「時計を正確に作動させることは、ナビゲーションで最も難しい問題のひとつ」とウィームスが記した理由は、「日差が30秒/日もある時計を使った場合、赤道付近では7.5マイルもの誤差が生じる」ためだった。しかし、「セコンドセッティングウォッチは正確な秒を設定できるような工夫が施されているため、普通の航空時計で必要とされる(時間の)修正を必要としない」。
ではなぜ、時間のズレが距離のズレになるのか? 1日=24時間は、360度に等しい。360度を24時間で割ると、経度換算で15度になる。従って、時、分、秒に15を掛けると、時間を経度に変換できる。仮に時間が9時00分00秒であれば西経135度00分00秒となり、4時15分22秒であれば、西経63度50分30秒になる。これが時角、つまりアワーアングルの意味である。
ウィームスは、これも併用することで天測航法をシンプルにした他、秒単位で時間を合わせることにより、理論上は極めて正確な機位を割り出せるようにした。彼はセコンドセッティングによほどの自信があったのだろう。“AIR NAVIGATION”では正確な時計のサンプルとして、自身が開発したロンジンとウィットナー(もともとはロンジンの北米市場における総代理店。後にウィットナー銘の時計も生産された)の航空時計を示している。
ウィームスはこうも記している。「ナビゲーションに使う時計は、可能な限り丁寧に扱う必要がある。筆者は最初に作られた一対のセコンドセッティングウォッチ(編注:27年のロンジン製)を約15年間使い続けている。1日に2秒から3秒の誤差を生じるが、その値が把握できていれば問題はない」。
面白いのは彼のナビゲーションウォッチに対する考え方だ。彼は無線を使って、ナビゲーションに使う時計を適切に調整する必要性を強調する一方、航空時計のみに頼ることをこう戒めている。「ナビゲーションウォッチに過度の価格(せいぜい100ドル)を払う必要はないが、優れた機構は持つべきだ」。
1927年5月20日から21日(現地時間)に、単独で大西洋の横断に成功したチャールズ・リンドバーグは、ナビゲーションの「英雄時代」を代表するパイロットだった。スピリット・オブ・セントルイス号でパリに向かうにあたって、彼は原始的な地文航法と推測航法のみに頼った。リンドバーグは洋上飛行に向く天測航法をあえて選ばなかったとされるが、実のところ、天測航法のノウハウを持っていなかったのではないだろうか? 事実、リンドバーグが航空家として熟達し、世界を飛び回るようになるのは、リンドバーグ夫人が航空六分儀の使い方を熟知して以降である。それ以前のリンドバーグは、彼の言葉を借りると「純然たる技量と度胸とにより、布と木とワイヤの塊を飛ばした」パイロットでしかなかったのである。
もっとも、一躍アメリカの英雄となったリンドバーグを世間は放っておかなかった。28年4月、アメリカ政府の要請で彼はウィームスに会い、最新の航法を学ぶようになった。洋上で航空機を運用する場合、無線を使うのは難しく、天測航法を進化させるしかない。ウィームスの所属するアメリカ海軍が、空母の運用を本格化させたことにより、天測航法の研究家だった彼は、この分野での権威となりつつあった。つまり大西洋横断で名声を得たリンドバーグにとって、ウィームスはうってつけの教師だったのである。
ウィームスの学びが結実したのが、1931年のアワーアングルウォッチ(Ref.3210)だった。これはウィームスの発明したセコンドセッティングウォッチ(27年)に、やはり彼の広めたアワーアングルによる位置測定を回転ベゼルに加えたものだった。アワーアングルに限らず、リンドバーグが関わった発明の多くは、簡易に使えるものばかりだった。リンドバーグはウィームスウォッチにアワーアングル表示を書き込んだ「ルーシー」を完成させ、後に回転ベゼルで表示するというアイデアに発展させた。回転ベゼルを持つアワーアングルのプロトタイプが完成したのは30年12月20日。翌年9月20日には意匠登録が申請された。
Ref.3210の後継機が、41年から製造されたRef.4365で、少なくとも戦後までは製造されていた。4時位置のダボ押しが廃され、代わりに回転ディスクを操作するリュウズが加えられている。手巻き(Cal.37.9/N)。16石。1万8000振動/時。SSケース(直径47.5mm)。
もっとも、リンドバーグの師匠であったウィームスは、アワーアングルの機構に懐疑的だったのではないか。“AIRNAVIGATION”の初版で、彼はアワーアングルウォッチのプロトタイプを紹介しているものの、この段階で時計に求めていたのは正確さであり、簡単に使えるアワーアングルではなかったようなのだ。しかし、容易に位置を把握できるアワーアングルウォッチは、アメリカ市場がスイス時計に門戸を開いた36年以降、アビエーションウォッチの代表作となった。
1931年に発表された初代アワーアングル(ウィームスモデル)の直径は47.5mm。しかし、40年頃以降のリンドバーグモデルでは、小径の手巻きムーブメントを用いたモデルも追加された。直径32.0mmや33.0mmといった小さなモデルがヒットした理由は明らかだろう。パイロットたちは機能性だけでなく、使いやすさも重視したのである。
1920年代に考案した「ウィームス・システム・オブ・ナビゲーション」で航空航法の権威となったウィームスは、以降もさまざまな機構を考案したが、非現実的なものも多かった。そのひとつが、1929年に出願し、35年に発行された「ナビゲーターの時間管理方法およびそのための装置」(米国特許US2008734)である。これはクロノメーター級の精度を安価に提供する時計だったが、脱進機またはムーブメントをふたつ内蔵した、極めて複雑なものだった。
ロンジンも、アワーアングルウォッチをさらに進化させた機構を研究していた。1939年に発行された「グリニッジ子午線に対する太陽または他の星のアワーアングルを決定するために使用されることを目的としたタイムピース」(スイス特許203730)には、3本の針でアワーアングルを表示するクロノグラフのアイデアが記されている。しかしこれもパイロットには現実的ではなかった。ウィームスとアワーアングルが残ったのは、結局のところ、その使いやすさのためだった。
ウィームスが洗練させた天測航法は1930年代以降、航空業界の標準となった。しかし第2次世界大戦が始まると、その重要性は相対的に下がっていった。複数の基地から発信される電波を用いた、無線航法が広まったためである。またウィームス自身も、パイロットを支援する別のアイデアに目を向けるようになった。彼がフィリップ・ダルトンとともに開発した初期のフライトコンピュータは、やがてパイロット向けの回転計算尺であるE-6Bに結実してゆくことになる。
アワーアングルウォッチが再び注目されるのは1987年のことだ。リンドバーグの大西洋横断60周年を記念して、ロンジンはいくつかのアワーアングルをリリースしたのである。ひとつはCal.L876.2(オリジナルが搭載した18.69Nとほぼ同じ)の47.5mmサイズ、もうひとつはCal.L989を載せた自動巻きだった。前者はまさにオリジナルのアワーアングルが載せたものと同寸のムーブメント、後者はロンジンがついに完成させた、薄型高精度自動巻きだった。敢えてETAベースではなく、自社製ムーブメントを選んだところに、ロンジンのアワーアングルウォッチに対する想いが見て取れよう。これらの成功を経て、ロンジンはアワーアングルのバリエーションをさらに増やしていくことになる。
さらにアワーアングルの重要性が増すのは92年以降。ロンジンの歴史を強調するため、アワーアングルを含むヘリテージコレクションが拡充されたのである。同社がいかにアワーアングルを重要視していたかは、文字盤を見れば分かるだろう。当時、自動巻きを載せたすべてのロンジンは日付表示付きだったが、その唯一の例外はアワーアングルだったのである。
Ref.3210を思わせる直径47.5mmモデル。青焼き針も復活した。ダボ押しのように見えるプッシャーを押すと、ハンターバックが開閉する。自動巻き(Cal.L699)。24石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約46時間。SSケース(直径47.5mm、厚さ16.3mm)。
ロンジンのアイコンという重責を担うこととなったアワーアングルは、日付表示が省かれただけでなく、ムーブメント以外はオリジナルにほぼ同じに設計された、直径47.5mmの復刻版までリリースされたのである。それを可能にしたのは、グループ企業であるETAとの密接な関係だった。ロンジンが作った昔のムーブメントを引っ張り出すのではなく、最新のETA製エボーシュを、ロンジンエクスクルーシブに仕立て直すことで、手頃な価格と高い信頼性、そして他にはない独自性まで満たしたのである。
パイロット向けのツールとして生まれ、やがてロンジンのアイコンへと成長したアワーアングルウォッチ。Part.2では、ふたつの記念碑的モデルを見てゆくことにしたい。
2017年発表の限定版。基本は右のモデルに同じだが、スナップバックの採用でわずかに薄くなり、ケース素材も軽量なチタン製だった。自動巻き(Cal.L699)。24石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約46時間。Tiケース(直径47.5mm、厚さ14.9mm)。世界限定90本。
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