チャペックが150年ぶりに光の街パリへ帰還、メゾン・ブヘラ内にショップをオープン

2023.12.28

チャペックは、150 年ぶりにフランスの首都、パリのBucherer 内にブティックをオープンした。2023年が終わりに近づく中、Czapek& Cie.は過去とのつながりを新たにしたうえでのオープンとなる。ただし今回は、第二帝政時代の社交界の頂点であったマドレーヌ寺院とオペラ座の間、カプシーヌ大通り12 番地にあるスイスの高級時計販売専門店 Maison Bucherer(メゾン・ブヘラ)内でのショップである。

チャペック


Czapek& Cie.(チャペック時計会社)の起源

1811 年、ボヘミアで生まれた優秀なウォッチメーカー、フランソワ・チャペックは当初、ロシア占領に対する蜂起の失敗後、彼と同じくスイスに移住した同じポーランド人のアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックと関係を持っていた。6 年間の契約が終了すると、二人は別々の道を歩むことになる。1845 年5 月1 日にフランソワ・チャペックは Czapek& Cie.(チャペック時計会社)を設立し、同社はすぐにウォッチメイキングの世界における名門ブランドとしての地位を確立した。あらゆる古典的なテクニックを採り入れ、見事なフランケ・エナメルや崇高なギョーシェ装飾を施したオリジナル・デザインの素晴らしい作品を提供することで、何世紀にもわたるハンドクラフトの作品に革命を起こしたのだった。

チャペック

 当時のエリートには広く知られ、高く評価されていたこの起業家精神にあふれたウォッチメーカーは、同じくポーランド人のパートナーとともにジュネーブのブティックに加えて、2 つのブティックをオープンした。最初の販売拠点がワルシャワに開設された。これによりポーランド国外移住者の二人は祖国とのつながりを保つことができた。二つ目の拠点は、当時ロンドンと並んで繁栄するためには欠かせない場所の一つであったパリのヴァンドーム広場25 番地に設立された。

チャペック

 製作された時計の多くは第二帝政下の貴族の注目を集め、1858 年12 月11 日付の Le Monde Illustré(ル・モンド・イリュストレ)の記事には、チャペックがナポレオン3 世お抱えの時計師になったと記されている。このことが間違いなく1860 年ころ、フランソワ・チャペックをジュネーブからパリに向かわせた要因にもなった。社は発展し続けたが、その後1870 年の戦争でのパリ封鎖、そして1871 年の「パリ・コミューン」の血なまぐさい暴動が、今日でも主要なコレクターたちによって高く評価される時計を製造していたこの名門企業に影響を与えた。Czapek& Cie. は、2015 年、このブランドが真のウォッチメイキングにおける宝の山であると確信した3 人の起業家によって復活し、現在では数々の名門ブランドの中で自らの未来を創造している。


Contact info: ノーブル スタイリング Tel.03-6277-1604


増大する顧客からのリクエストに対応するため、チャペック社が念願の自社工房をラ・ショードフォンに設立

https://www.webchronos.net/news/81994/
「チャペック」からダブル・エスケープメントを再解釈した「プラス・ヴァンドーム コンプリシテ」が発表

https://www.webchronos.net/news/101290/
【2022年 新作】チャペックのフォーブル・ド・クラコヴィシリーズより、2つの新しい限定モデル


https://www.webchronos.net/news/77047/