シリコン製ヒゲゼンマイのテンションを変える?
シリコン製ヒゲゼンマイに触って精度を変えるという時計業界の常識を覆す仕組みが「スピレート™システム」だ。テンプ受けにある丸い部品を回すと、シリコン製ヒゲゼンマイにつくテンションスプリングの圧力が変わり、ひと目盛りでは0.1秒、一周360度で±5秒以内の微調整が可能だ。
聞けば簡単に思えるが、シリコンヒゲゼンマイを触る緩急調整システムは、世界初だ(オメガは2021年に特許を申請しているとのこと)。ヒゲゼンマイの外周にあるテンションスプリングという部品を曲げて圧力を変えるだけだが、オメガで開発部門の副社長を務めるグレゴリー・キスリングはこの設計が大変だったと語る。「計画が始まったのは10年前。DRIEプロセスにより、ようやくヒゲゼンマイに適切なジオメトリーを与えられるようになった」。
また、このスピレート™システムにはビートエラーの調整機能も付いており、より正確な精度調整が可能になった。ちなみにビートエラーの調整機能は、A.ランゲ&ゾーネやグラスヒュッテ・オリジナルのそれに似ているが、オメガのシステムでは、ヒゲ持ちをを固定したプレートをネジで頑強に固定できる。理論上は衝撃にも強いだろう。なお、ヒゲ持ちの素材はステンレスとのこと。
開発期間は10年間、大変なのはヒゲゼンマイの設計
まったく新しいスピレート™システムについて、キスリングはこう説明する。
「今までのフリースプラングは、時計の遅れ進みを調整するためにテンワの上にあるネジ(オメガのそれは14KWG製)を回す必要があった。しかし触るとテンワの片重りが変わり、精度に影響が出てしまう」。
この新しいシステムはあくまで微調整のシステムだが、テンワの重さのバランスを大きく変えることなく、精度を追い込むことが可能だ。少なくとも、片重りが減ると、機械式時計にはつきものの姿勢差誤差も減らせるだろう。加えて、オメガはシリコン製ヒゲゼンマイの設計を進化させることで、ヒゲゼンマイの変形に伴う姿勢差誤差を極力抑えることに成功した。「10年前のヒゲゼンマイは、ニヴァロックスとジオメトリーが同じだった。しかし、今は別物だよ」。
メリットはより精度を出せること
最後の微調整をヒゲゼンマイのテンションだけで調整するスピレート™システムは、理論上はメンテナンス性に優れるし、整備期間も短くできるだろう。しかし、オメガ社長のレイナルド・アッシェリマンは「今のところメンテナンスの期間は短くならない」と語る。むしろ、精度を追い込める方が重要とのこと。
テンワを触ることなく、ユーザーの好みに応じて、精度を追い込めるというのは、今までのフリースプラングテンプ付きにはない大きな特徴だ。精度にうるさい人も、このシステムを載せたムーブメントなら、満足できる結果を得られそうだ。アッシェリマンはこれを「カスタマーコンセントレーション」と語った。
理論上の可能性は無限
シリコン製のヒゲゼンマイを持つにもかかわらず、テンワの錘をいじることなく、普通の機械式時計のように緩急を調整できるスピードマスター レーシング。この時計が驚くべき精度を持つ理由だ。しかし、このスピレート™システムにはさらなる可能性がある。むしろ長期的には、こちらの方が重要かもしれない。
あくまで理論上だが、スピレート™システムを使えばフリースプラングテンプには不可欠とされてきた、テンワの錘を完全になくせる可能性があるのだ。グレゴリー・キスリングが「理論上は可能」と語ったように、仮にフリースプラングテンプから錘を追放することができたら、機械式時計の精度はさらに向上するし、フリースプラングテンプは当たり前のように普及する可能性が高い。現時点では、精度の追い込みに使われるスピレート™システム。しかし、その可能性は非常に大きい。
外装だっていいぞ
現在のオメガらしく、スピードマスター スーパーレーシングの外装も優秀だ。見るべきところは多いが、いくつかポイントを挙げたい。ひとつは、2層に分かれたブラックダイヤル。上層・下層ともにPVD処理が施されているが、下層のみは表面に保護用のクリアラッカーを吹いてあり、光の角度によって印象を大きく変える。ここ最近、オメガはブラックのラッカー仕上げを好んできたが、今後はPVD+クリアラッカーに変わるかもしない。なお、文字盤の時に薄いPVD処理(約5ミクロン程度)を施すには、下地を完全にフラットにする必要がある。聞けば「完全な鏡面処理を施した後にPVDを施してある」とのこと。鏡のように文字盤を磨く、というのは最近のオメガが好む手法でもある。
また、セラミックス製のベゼルには、非常に鮮やかなイエローのグランフーエナメルが施されている。キスリングは「ブラックやレッドのエナメルは難しくない。ただしイエローは大変だった」と語る。高温で変色するエナメルに、鮮やかな色を与えるのは非常に難しいが、オメガはそれをやってのけたのである。しかも、一点物ではなく、大量生産のスピードマスターで、だ。
もうひとつ見るべきは、グラデーションが施されたクロノグラフ針である。聞けば、スプレーでグラデーションを付けているとのこと。しかし、塗膜は均一で、側面にもきちんと色が回っている。正直、スプレーで塗っているにしては、良すぎる針だ。これもまた、今のオメガの実力を示すディテールと言えるだろう。
結論:高精度なクロノグラフが欲しい人はガチで買い
シリコン製ヒゲゼンマイを触るという「禁じ手」で、より精密な調整を可能にしたスピードマスター レーシング。将来の大きな可能性はひとまずさておいて、今までのマスタークロノメーター以上の高精度をたたき出せるのは魅力的だ。磁気に強く、驚くほど高精度な本作は、使えるクロノグラフを探している人にはうってつけのモデルといえる。ただし、スピレート™システムの複雑さを考えると、生産本数は決して多くはなさそうだ。煽るつもりはないが、興味のある方は急がれたし!
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