Helmut Sinn
1916-2018
2018年の2月14日に、ジンの創業者にして、現在ギナーンの社長を務めるヘルムート・ジン氏が亡くなった。筆者はついに会うことがなかったが、彼と、彼の作った時計には思い出がある。以下、散文的だがつらつらと書いてみたい。
大学の在学中に、初めて買ったのがジンの「103」だった。ムーブメントは手巻きのETA7760で、なぜか日付と曜日表示がついていた。買ったのは確か1993年だったから、ヘルムート・ジンが携わった最終期のモデルだろう。94年に、彼は自ら創業したジンを離れることとなる。
1916年に生まれたジンは、39年にパイロットの免許を取り、大戦中は爆撃団に所属していた。戦地で負傷したのち、彼はインストラクターとなり、90年代までパイロットであり続けた。戦後、彼はラリードライバーとなり、モータースポーツ用の計器に魅せられるようになった。ジンは1961年にジン特殊計器株式会社を創業。やがて彼の作る時計は、その品質の高さから、西ドイツ軍をはじめとする、NATO各軍でも使われるようになった。
ジンは『フランクフルター・アルゲマイネ』紙のインタビューに対して、創業の理由をこう答えた。「私は仕事がなかった。そこで多くのスペースと素材を使わない何かを探していた」。確かに、場所を取らない腕時計は、起業の対象としてはよい選択だったに違いない。
ジンのビジネスモデルは、同じような時計を作る他社と同じだった。高品質なエボーシュを買い、それを良くできた外装に合わせる。しかしジンの作った時計が、軍やパイロットから信頼を得た理由は、ある一点で、他社と異なっていたためだった。具体的にいうと、会社の社長でありながら、彼は出荷されるすべての時計を検品したのである。規律と正確さを好むジンの性格は「ジンは壊れない」という評価を、その時計にもたらしたわけだ。事実、筆者の103は、どんなにラフに使っても、決して壊れることがなかった。品質にうるさい日本の時計店が、喜んでジンの時計を取り扱ったのも納得だ。
もっとも、そのジンも後継者には恵まれなかった。事実、彼の娘はバンクーバーに、息子はスイスにいる。彼は家族の誰もが、航空の世界にも時計作りにも興味を持たなかったことを残念がっていたが、彼の起こしたビジネスは、やがてIWC出身のローター・シュミットが拡大することとなる。
ジンは自分のことを、「あまりにもラフで率直だった」と評価する。そんな彼の姿勢が、家族をビジネスから遠ざける遠因となったことは想像に難くない。しかし反面、彼のそんな厳格さは、多くのファンを、世界中、とりわけフランスに持つことになった。それがベル&ロスを創業したカルロス・ロシロと、ブルーノ・ベラミッシュである。ジンに魅せられ、やがて時計メーカーを起こす若い起業家に対して、ジンは懇切丁寧なアドバイスを与え続けた。果たせるかな、ベル&ロスの時計は、ジンに同じく、フランス軍に使われるほど高い品質を得るようになったのである。そのロシロは、「生みの親」であるジンについてこう語った。「バーゼルワールドの初日は、かならずヘルムート・ジンと語るんだ。毎年だよ」。
一時計ファンとして、ヘルムート・ジンの死去は本当に残念である。しかし彼が残したものは、ローター・シュミットや、ロシロ、そしてベラミッシュなどが繋いでいくに違いない。機会があったら、ジンの残したものについて、ベラミッシュから直接話を聞いてみようと思っている。(広田雅将)