今回はA.ランゲ&ゾーネの好意で、かのゼンパー・オーパー(Semperoper Dresden)の裏側から、天井にぶら下がった5分時計を見る機会を得た。たぶん、メディアで見たのは世界初だと思います。ちょっと長くなるけど、5分時計にまつわるあれこれを書いてみます。
※世界初と書きましたが、WatchMediaOnlineさんがすでにあげていますね。大変良い記事なので、一読をお勧めします。
旧東独にあるドレスデンはかつてザクセン王国(19世紀まではザクセン公国)の首都だった街だ。日本で例えるなら金沢だろう。17世紀はドイツ最大の領土を持つ強国だったが、いかんせん地理的条件が悪かった。北にはイケイケの軍事国家、プロイセンがあり、南は当時最強のハプスブルグ帝国に面していた。両者の間でにっちもさっちもいかなくなったザクセンは、博打のような軍事的冒険を繰り返し、やがてミニ国家に転落してしまった。
もっとも、戦争に負けたことはザクセンにとって良かったのではないか。小ドイツに覇を唱えるという夢をあきらめた王国は、19世紀以降、文治国家に転換して成功を収めたのだから。それを示すのが識字率である。教育に注力した結果、ザクセン王国の識字率は、全ヨーロッパの中でプロイセンに並ぶほど高くなった(19世紀半ばにアメリカの教育学者が褒めている)。もしも領民の8割以上が文字を読める国でなかったら、アドルフ・ランゲはド田舎のグラスヒュッテに時計会社を設立しようとは思わなかっただろう。
また、教育が行き届き、健全な中産階級が育った結果、ドレスデンの市民たちは芸術を楽しむようになった。ドレスデンにはすでにヨーロッパ最大級のオペラ劇場があったが、どうもこれは貴族向けのものだったらしい(この劇場は1849年の暴動で燃えた)。そこでオペラをじゃんじゃん公演するための劇場として、新しくゼンパー・オーパーが建設されることとなった。お披露目は1841年の4月13日。そこに据え付けられえたのが、ランゲと、義父のグートケスが作り上げた巨大なデジタル時計こと、通称「5分時計」だった。
ではなぜ、ゼンパー・オーパーは劇場内にこんな時計を設けたのか。今も昔も、オペラはカップルで見るものだ。当時の女性はオペラに熱中したが、男はだんだん飽きてくる。さっさと帰りたいので、懐中時計の蓋をパカパカ開けて時間を確認する。ザクセン王はその開閉音が嫌いだったようだ。王は、男どもに時計を触らせないよう、一目で時間がわかるクロックを作れと命じた。王の命令は絶対である。宮廷時計師のグートケスとランゲが開発の任に充てられた。
ちなみに、蓋をパカパカ開けて文字盤を確認するハンター型の懐中時計は、貴族と大ブルジョアが好んだスタイルである。19世紀以降は、新興ブルジョアたちが、風防がむき出しになったオープンフェイス型を好んで買うようになるが、当時のドレスデンではまだ普及していなかったと見える。ザクセン地域の経済成長は、つまり新興ブルジョアの台頭は、ゼンパー・オーパーが落成して以降ではなかったか。
そのゼンパー・オーパーは、1869年の大火事で丸焼けになり、グートケスとランゲの5分時計も灰になってしまった。しかし、ドレスデン人の“彼らのオペラハウス”に対する愛情はやみがたく、その数年後には再建された。その際、5分時計を作り直したのは宮廷時計師だったトイプナーである。ただ作り直したとはいえ、彼はランゲとグートケスの5分時計を忠実に復元した可能性が高い。最初の5分時計は火事で燃えてしまったが、彼らの製作した縮尺模型は残っていたからである。
再興なったゼンパー・オーパーは再度火事に巻き込まれる。1945年2月13日のドレスデン爆撃で、ゼンパー・オーパーは外壁だけを残して朽ち果て、5分時計も灰になってしまった。余談になるが、昔ザクセン州の環境大臣とちょっと話をする機会があった。彼はザクセン人の特徴として、執念深さを挙げた。なるほど、彼らは、戦争に負けても、街が焼尽され尽くしても、不死鳥のようによみがえってきた。1985年、ザクセンの人々は州政府が傾くほどの予算を費やして、ガワだけ残されたゼンパー・オーパーを再建した。ちなみにドイツ統一時に、東独政府が共産圏諸国に抱えていた負債は4900万ドイツマルク。対してゼンパー・オーパーの再建には、6000万から8000万ドイツマルクを要したそうだ。
話は5分時計に戻る。ゼンパー・オーパー再建の際、5分時計の復元も問題になった。参考になる設計図も縮尺模型ももはやない。しかし、5分時計の縮尺模型がハワイで見つかり、再現が可能になったという。この模型は、現在ツウィンガー宮殿の「数学物理学サロン」に展示されている。
ゼンパー・オーパーの舞台裏から小さな螺旋階段をひたすら登ると、狭い屋根裏部屋に出る。そこに巨大な5分時計があった。昔の動力源は滑車だったらしい(10分の1模型はゼンマイ駆動である)が、今はモーターである。しかし、見た限りで言うと、5分時計の機構自体はグートケスとランゲが作った初作にほぼ同じだ。IWCの初代「パルウェーバー」を思わせる、実に簡潔なデジタル表示機構だ。
責任者曰く「5分時計は間近で見ていいが、表示には触ってくれるな」とのこと。「落成当時、5分時計が鮮やかすぎるという苦情があった。そのため、デジタル表示に被った埃をあえて残したままにしてある」という。確かに、埃がはげた部分を見ると、デジタル表示は実に鮮やかだ。
もし、ドレスデンのゼンパー・オーパーに出かける機会があったら、ぜひ5分時計をチェックされたし。あの時計こそ、ザクセン人の執念を象徴する存在であり、A.ランゲ&ゾーネが、5分時計をモチーフにアウトサイズデイトを作ったのも、なんだか納得だ。(広田雅将)