“良い時計の見分け方”をムーブメントから解説。良質時計鑑定術<穴石編>

FEATURE本誌記事
2024.07.08

「良い時計」の基準は、人によってさまざまだ。しかし分かりやすいポイントとして、仕上げやつくりが挙げられる。本記事では、機能部品でありながらもムーブメントの美観に貢献している穴石から、良い時計を見分けていく。

“良い時計の見分け方”をムーブメントから解説。良質時計鑑定術<ブリッジの仕上げ編>

https://www.webchronos.net/features/117506/
“良い時計の見分け方”をムーブメントから解説。良質時計鑑定術<面取り編>

https://www.webchronos.net/features/117558/
“良い時計の見分け方”をムーブメントから解説。良質時計鑑定術<ペルラージュ編>

https://www.webchronos.net/features/117671/
奥山栄一:写真 Photographs by Eiichi Okuyama
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2020年5月号掲載記事]


「良い時計」をムーブメントの“穴石”から見極める

Cal.28

ヴティライネン「Cal.28」
優れた仕上げを持つCal.28は、穴石も凝っている。実用上のメリットはあまりないが、丸みのある立体感と鮮やかな色味の穴石は、高級時計ならではのディテールだ。現在、こういった穴石を手に入れるのは極めて難しくなっているが、スイスの高級時計は、過去の伝統に従って、最上級の穴石を採用し続けている。なお、完全に面取りされた肉厚のネジにも注目。量産品とはまったく異なる仕上げを持つ。

 機械式ムーブメントを見る上で欠かせないのが、ムーブメントの抵抗を減らす赤いルビーだ。本来は純粋な機能部品だが、他の仕上げ同様、見た目や色などで、グレードは細かく分かれている。最上級に位置付けられるのは立体的な形状を持つミ・グラスの穴石。ただし、量産向けの穴石が悪いものとは限らないことも、穴石の面白さである。


穴石をどう見るか?

Cal.Logical One

ローマン・ゴティエ「Cal.Logical One」
高級時計に相応しいのは、ドーム状に成形されたミ・グラスの穴石である。安価なものとの違いは、石の上部に平面を持たないこと、そして内側に深い油溜まりを持つことだ。当然、完全な鏡面を持つことが条件となる。また、昔の基準からすると、色味は鳩の血(ピジョンブラッド)を思わせるほど濃いものが良いとされている。本作の穴石は、その条件を満たしたものである。

 機械式時計の見どころのひとつが、ムーブメントに埋め込まれたルビーだ。そもそもの役割は輪列の抵抗を減らすためのベアリングだが、見た目や仕上げなどで、いくつかのグレードに分かれている。

 1890年頃、オーデマ ピゲは、製作するムーブメントのグレードを4つに分けた。上から、エクストラ、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲである。項目は10 個に分かれており、その中には穴石の基準もある。同社の資料に従うなら、最上級のエクストラは、「均衡の取れたサイズ、濃い赤色、オリーベ穴の穴石は慎重に固定されていること、受け石は入念につや出しされ、慎重に組み込まれていること」とある。対してⅠグレードは、高品質だがエクストラに比べて色が淡く、Ⅱは良質、Ⅲは良質だが数が少ない、とある。ムーブメントの仕上げ同様、穴石のグレードも分かれていたのである。

Cal.PF110

パルミジャーニ・フルリエ「Cal.PF110」
完全なミ・グラスではないが、Cal.PF110も良質な穴石を持っている。穴石の上面はフラットに見えるが、丁寧に磨かれているため、写真が示す通り、ドーナツ状になっている。面白いのは穴石の固定方法。右ページのローマン・ゴティエ同様、歯車と穴石のアガキ(隙間)を調整しやすくするためか、わずかに穴石を高く固定している。なお、このモデルも上のCal.28同様、ネジの仕上げは非常に良い。

 安価な穴石と、それ以外を分ける最低限の条件は、ホゾに当たる部分が、丸く成形されているかどうか、である。これをオリーベという。通常輪列の穴石がオリーベを持つことはほぼないが、天真を支える穴石など、重要な部分がオリーベだと、軸の抵抗は大きく減る。19世紀のオーデマ ピゲが、エクストラの穴石に「オリーベ穴の穴石」と明記した理由だ。また、高級時計用の穴石は、人工ルビーとは言え、鮮やかな赤色が望ましいとされている。フィリップ・デュフォーが言うところの「鳩の血(ピジョンブラッド)」色だ。

Cal.9SA5

グランドセイコー「Cal.9SA5」
クレドール「叡智I」を除いて、長らく穴石の形状に無頓着だった日本製の高級ムーブメント。しかし、2020年発表のCal.9SA5は、珍しく部分的に立体的な穴石を採用した。これは、ダブルバレルの香箱真を支える穴石である。とはいえ、ミ・グラスではなく、油溜まりを大きく取った穴石だ。平たい上面を残したのはおそらく、受けに穴石を圧入する際の容易さを考慮したためだろう。
Cal.P.3000

パネライ「Cal.P.3000」
グランドセイコー同様の穴石を持つのが、パネライのCal.P.3000である。油溜まりを深く取っているため立体的に見えるが、上面は平板である。香箱真に使う穴石は、輪列のそれとは違って、クリアランスを厳密に調整する必要がない。そのため深く圧入することで、穴石をより立体的に見せている。また、穴石の周囲をダイヤモンドカットで浅掘りすることで、立体感をいっそう強調する。

 また、穴石は形状によってもグレードが分かれる。最上級なのは、立体的な形状を持つミ・グラス型の穴石だ。また、実用上のメリットはさておいて、サイズが大きいほど良いとされる。何をもってミ・グラスとするかは人によって意見が異なるが、穴石の上面がフラットでない、あるいは平面が少ないことが条件のひとつと言えるだろう。もっとも、立体的なミ・グラスの穴石は加工時の歩留まりが非常に悪く、人件費の安かった1960年代以前でさえも、多用されたとは言いがたい。事実、かつてH.モーザーを復興させたユルゲン・ランゲは「ミ・グラスの穴石は歩留まりが50%しかない」と述べた。現在、こういった穴石を使う主なメーカーには、ローマン・ゴティエ、ヴティライネンなどがある。

Cal.L093.1

A.ランゲ&ゾーネ「Cal.L093.1」
シャトンに固定した穴石を採用するのが、A.ランゲ&ゾーネである。穴石の固定精度が上がった現在、こういったディテールに意味はない。しかしランゲは、ビス留めのゴールドシャトンをアイコンとして用いてきた。実用上のメリットはないが、シャトンのおかげで穴石が大きく見えるという効果がある。穴石は、上にわずかに平面を残したミ・グラス風である。穴石を正確に固定するためか。
Cal.01

ブライトリング「Cal.01」
複数の歯車を内蔵するクロノグラフは、穴石の取り付け精度が、普通の3針モデルなどに比べてシビアになる。それを示すのが、Cal.01の穴石だ。極端に上面を広く取ったのは、圧入時の歪みを抑えるため。高級時計とはまったく異なるディテールだが、実用的なクロノグラフと考えれば、この穴石の選択はまったく正しい。立体的だからといって、良いとは限らない一例である。

 なお、ある程度の価格帯の機械式時計では、穴石を固定する穴の周囲は必ず磨かれている。その深さによって「露天掘り」(デグーヴェルト)、「浅掘り(クルズュール)」、そして機械で周囲を軽くさらっただけの「C面掘り」の3種類に分かれる。立体的な穴石を持つムーブメントは、例外なく穴の処理が露天掘りである。立体的な穴石と、外周を深く掘り込んだ穴周りの組み合わせは、ムーブメントに最大限の視覚的効果をもたらす。なお現在A.ランゲ&ゾーネが多用する穴石を固定するシャトンも、露天掘りの考えに近い。

Cal.α

Cal.α
よく出来た工業製品というディテールを持つノモスグラスヒュッテ。当然ながら、穴石は上面が平たい標準的なものである。かつてはチェコ製の穴石を採用していたが、現在はスイス製となった。上面が平たいため、機械での圧入に適している。事実、現在のノモスは、基本的にほとんどの穴石を自動機械で圧入するようになった。平たい穴石に否定的な意見もあるが、穴石の取り付け精度は高くなる。
タンジェント 35「春」

ノモス グラスヒュッテ『タンジェント 35「春」』
自社製のCal.αを搭載したベーシックなモデル。基本設計は1960年代のプゾー7001にさかのぼるが、トリオビス緩急針などの採用により、クロノメーター級の優れた精度を持つ。カーフストラップは草木染めの「槐樹」である。手巻き(Cal.α)。17石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約43時間。SSケース(直径35mm)。3気圧防水。日本限定60本。26万円(税込み)。(問)大沢商会 Tel.03-3527-2682

 これより安価なものになると、穴石の形状はフラットになる。また、穴周りの処理も、軽くさらっただけのC面掘りとなる。ただし、フラットな穴石が悪いとは言えない。均一に力をかけやすいため、地板や受けに精密に圧入しやすいのだ。そのため、量産型のムーブメントは、大多数が、フラットな形状の穴石を持っている。近年、量産メーカーの中には、穴石のセッティングを自動で行うメーカーが増えてきたが、これもフラットな穴石だからこそできること、と言えるだろう。

Cal.ETA6498-1

Cal.ETA6498-1
すっかり現代的な見た目を持つ今の“ユニタス”だが、ディテールには昔ながらの懐中時計らしさが残る。その最も分かりやすい例が、極めて大きな油溜まりを持つ2番車の穴石だ。ムーブメントのデザインは今風に仕立て直されたが、このディテールは、おそらく数十年もの間、変わっていないはずである。油の質が悪かった時代、負荷のかかる部分の穴石は大きな油溜まりを持つのが常だった。
ヘリテージ 2018

ティソ「ヘリテージ 2018」
創業165周年を記念してリリースされた手巻きモデル。古典的な“ユニタス”ことETA6498を搭載する。筋目仕上げが施された文字盤も、クラシカルな趣をたたえる。11万円という価格も大変に魅力的だ。手巻き(Cal.ETA6498-1)。17石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約46時間。SSケース(直径42mm、厚さ11.35mm)。5気圧防水。11万円(税込み)。(問)ティソ Tel.03-6427-0366

穴石の見分け方

穴石の見分け方

 軸の抵抗を減らす穴石の例。なお実際にはすべての穴石が、油を溜めるためのへこみである「油溜まり」を持っている。しかし分かりやすさのためにあえて省いた。

 ❶は標準的な平石である。形状が平たいほか、軸と接触する面がフラットである場合が多い。そのため、ホゾと穴石が接触した際の抵抗が大きい。

 ❷は高級機の天真などに見られるもの。側面を丸く加工したオリーベを採用している。軸との接触面積が小さいため、抵抗は大きく減る。

 そして❸が上面をドーム状に加工したミ・グラスである。上面が盛り上がっているため、視覚的効果が得られる。また、こういう穴石は、鮮やかな赤色を持っている場合が多い。

 ❹は天真とその穴石。内側が大きくへこんでいるのは油溜まりである。図のように天真が円錐状で、穴石もオリーベだと、姿勢差誤差は小さくなる。


ノモス グラスヒュッテ「タンジェント ネオマティック」をレビュー。ポイントは自社製ムーブメントとバウハウスデザイン!

https://www.webchronos.net/features/91176/
【時計オタク向け】現代クロノグラフの進化を、歴史的ムーブメントとともに理解する

https://www.webchronos.net/features/115481/
“良い時計の見分け方”をディープに解説。良質時計鑑定術<ケース編>

https://www.webchronos.net/features/111211/