2022年、「アカデミー・フランセーズ」の会員として文学評論家のアントワーヌ・コンパニョンが選ばれた。アカデミー会員は礼服と剣を着用するのだが、この剣の製作をジュエラーのブシュロンが担当した。ブシュロンが作り上げたコンパニョンの剣と、歴代のアカデミー・フランセーズの剣について紹介しよう。
2023年8月9日公開記事
350年以上の歴史を持つ「アカデミー・フランセーズ」
フランスの国立学術団体であり、フランス学士院を構成する5つのアカデミーのひとつであるアカデミー・フランセーズ。1635年にリシュリュー枢機卿によって設立されたこの団体は、フランス語の保護を使命としている。
その規約によれば、彼らの目的は「フランス語に対して一定の規則を与え、純粋化を図り、科学と芸術を扱うに十分な表現と対応を可能とする」ことだ。そのため、定期的に「アカデミー・フランセーズ辞典」と呼ばれるフランス語の辞書を編纂、更新しており、その初版は1694年にさかのぼる。
アカデミー・フランセーズは、化学者、哲学者、小説家など、さまざまな背景を持つ40名の会員で構成されている。会員たちはパリにある本部へ、毎週木曜日に集まって会議を行う。
2022年にアカデミー・フランセーズ会員に選ばれたアントワーヌ・コンパニョン
2022年、このアカデミー・フランセーズの会員に選ばれたのが、文学評論家で作家のアントワーヌ・コンパニョンだ。彼はフランス国立の特別高等教育機関「コレージュ・ド・フランス」の名誉教授を務め、作家のマルセル・プルーストや16世紀の哲学者であるモンテーニュを専門としている。
1950年、ジャン・コンパニョンとジャクリーヌ・テルランダンの息子としてブリュッセルに生まれたアントワーヌ・コンパニョンは、軍に所属していた父の任地であるロンドン、チュニジア、そしてワシントンで子ども時代を過ごした。
1960年代後半にフランス国立軍事学校で中等教育を受け、1970年に理工科学校「エコール・ポリテクニーク」へ入学し、橋梁と道路の設計士となる。しかし25歳のとき、文学への情熱に目覚め文学研究を志した。
自らを「文学の独学者」と呼ぶ彼は、1977年にフランス文学の博士号を取得している。最初の論文を発表した後、1978年から1985年にはエコール・ポリテクニークで教鞭をとり、1980年から1981年にはイギリス・ロンドンのアンスティチュ・フランセ・デュ・ロイヤル・ユニでも教鞭をとった。
コンパニョンは1985年に論文を書き上げた後、ニューヨークのコロンビア大学の教授となった。その後、1989年から1990年にかけてフランスのメーヌ大学で、1994年から2006年はソルボンヌ大学、2006年から2020年はコレージュ・ド・フランスで教授を務めた。モンテーニュ、ボードレール、プルースト、コレットに関する著作をはじめ、文学評論および文学史など多くの著書がある。
アカデミー会員の象徴である剣
アカデミー・フランセーズの会員は、その地位を示す伝統的な象徴である、グリーンの礼服と腰につけた剣によって識別される。礼服とは異なり、剣は必須ではないが、メンバーの個々の人柄によって解釈は幅広いものとなっているのだ。
多くの場合、剣は選出された人物の人生と、アカデミー会員に選ばれる理由となった著作を象徴するシンボルをあしらったオーダーメイドである。そして、プライベート・セレモニーで友人たちから贈られるのだ。
これまで数多くの著名な人物やブランドが、アカデミー会員の剣の製作を担ってきた。1955年には芸術家ジャン・コクトーのためにカルティエが、1994年にはバレエの振付家モーリス・ベジャールのために、レジオンドヌール勲章の公式メーカーであるアルテュス・ベルトラン社が剣を製作した。
このほかにも、映画監督のジェラール・ウーリーのために造形作家のピエール=イヴ・トレモワが、実業家のジェラール・ル・ファーのためにジュエリーブランドのメレリオが、医師で小説家のジャン=クリストフ・リュファンのために彫刻家のウスマン・ソウが、哲学者のシモーヌ・ヴェイユのために画家で彫刻家のイヴァン・テイマーが、小説家のアンドレイ・マキーヌのためにショパールが、それぞれ剣の製作を担ってきた。
ブシュロンがコンパニョンのために製作したガラスの剣
今回、アントワーヌ・コンパニョンの剣の製作を担当したブシュロンは、パリのヴァンドーム広場に最初に拠点を置いたジュエラーである。ブシュロンはこのプロジェクトに1年をかけてのぞんだ。
シンプルですっきりとしたデザイン、というコンパニョンの要望をもとに、ブシュロンは柄から剣身まですべてが透明なガラスで作られた剣を製作した。クリスタルガラスのブロック使いで有名なブシュロンは、その技術の粋を最大限に生かした、洗練された仕上がりを実現した。
一方、この特別なオーダーは、ブシュロンにとっても前例のない挑戦となった。精巧さと堅牢さを保ちつつ、この規模のプロジェクトを成功させるには、さまざまな技術が必要であったのだ。
工房では、最初にデジタルで剣のデッサンが作成され、次に3Dプリンターで蝋型が作成された。ガラスのひとかたまりから、細い剣を作り出す行程もひとつの挑戦だったのである。
まず、既存の機械では荒削りが行えなかったため、ブシュロンは剣のために新たな機械を製作した。ボリュームの調整が終わると、今度はガラス彫刻の職人を招集し、刻印を施す作業を担わせた。
これは、焼成窯の温度を上げたり下げたりして微調整する、職人たちが代々受け継いできた稀有な技術と、羽のペン先の細部に施された宝石彫金技法によって達成された。つまり、革新的な技術と歴史的な技術を組み合わせることにより、この特別な剣が完成したのである。
ガラスの剣にあしらわれた、コンパニョンを象徴するシンボルたち
伝統に則り、アントワーヌ・コンパニョンの人生に敬意を表した、いくつかのシンボルが剣を飾っている。柄の部分にあしらわれた羽毛は、彼の職業である作家を意味している。繊細な羽の描写や、アントワーヌ・コンパニョンの手へのなじみを考慮して、彫刻は入念に行われた。
剣身部分には、マルセル・プルーストの代表作『失われた時を求めて』からアントワーヌ・コンパニョンが選んだ短い抜粋「Zut, zut, zut, zut!」が刻まれている。これは、マルセル・プルースト直筆原稿の文字だ。
柄頭には、コンパニョンが好むルネサンス期の画家、ハンス・ホフマンの水彩画をもとにしたハリネズミがあしらわれている。
ハリネズミというのは、ギリシャの詩人アルキロコスの格言「キツネはさまざまな手を弄するが、ハリネズミはひとつの効果的な方法を知っている」の象徴でもある。また、このカボションの形状は、ブシュロンを代表する指輪状の香水のフォルムを反映している。
このハリネズミは緻密な作業を要した。彫刻家が手作業で型を削り出し、ボリューム感が出るようハリネズミのモチーフをあしらった。これは宝飾品製作で用いられる蝋抜きの技術で、ガラスに直接彫り込まれている。
この剣のプロポーションは、アントワーヌ・コンパニョンが1970年に卒業したエコール・ポリテクニークにちなんで、ポリテクニークの制服である剣を模している。また、コンパニョンの剣の柄には螺旋状の彫刻が施されているが、これはポリテクニークの剣の柄を飾る鎖をオマージュしたものである。
従来の宝石と貴金属で飾られた剣とは一線を画し、ブシュロンとアントワーヌ・コンパニョンは、象徴的価値を持つこのガラスの剣で、新しい美学への道を開いたのである。
ブシュロンがこれまでに手がけた、アカデミー会員の剣
技術と創造性を駆使したオブジェであるアカデミー・フランセーズ会員の剣は、伝統的に金属細工師や宝飾師によって作成されてきた。本作は、ブシュロンにとって4作目となるアカデミー会員の剣だ。
最初の作品は、1938年にアカデミー・フランセーズに選出された作家ジェローム・タローのために、1940年に製作されたものである。当時は、創業者の息子であるルイ・ブシュロンが製作を担当していた。
高等師範学校の生徒であったジェローム・タローは、1946年にアカデミー・フランセーズに選出された弟のジャンと共作で小説を書いている。第1次世界大戦前は、小説家で政治家のモーリス・バレスの秘書を務めていた。ヴェルメイユと真珠、マザー・オブ・パールに飾られた剣は、アーティストであるエドモンド・モーリス・ペローのデッサンをもとにブシュロンが製作した。
ブシュロンは、1958年にもアカデミー会員に選出されたエドゥアール・ボンヌフウの剣を担当している。政治家だった彼は、いくつもの省庁のトップを務め、1970年代から80年代にかけてフランス学士院の院長も務めてた人物だ。
マット仕上げのゴールドの剣の柄には貝とラピスラズリの地球儀があしらわれ、剣身には国民議会の建物と彼のイニシャル「EB」が配されている。
もうひとつのアカデミー会員の剣は特に象徴的だ。それはブシュロンがジャック=イヴ・クストーのために製作したもので、アカデミー会員に選出された翌年の1989年に本人に届けられた。
海軍士官、海洋学者、映画監督として有名なクストーは、海洋調査船カリプソ号で50回以上の海底探検を行った。彼の剣は「エクスカリバー」と呼ばれ、クリスタル、ロッククリスタル、ヴェネチアンガラス、ゴールド、エナメルで作られている。
1989年には、ブシュロンは外交官や作家として活躍したピエール=ジャン・レミの剣を製作した。彼の業績で特筆すべきは、バスティーユのオペラ座創設や、ヴィラ・メディチのディレクター、そして国立図書館の館長が挙げられる。
彼の息子によってデザインされた剣は、ヴェルメイユ、象牙、漆でできている。そして、ピエール=ジャン・レミの人生が要約された本がモチーフとしてあしらわれている。バラとアザミは、フランス大使として着任したイギリスを想起させ、ラベンダーは彼の故郷であるプロヴァンスを象徴している。
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