創業以来、パイロットウォッチを軸に開発を進めてきたジンにとって、それは彼らのアイデンティティーを表現する重要な存在である。先ごろ、代表的なシリーズ「903」と「103」に新バージョンが登場したが、一体どんな進化を遂げたのか?そんな疑問を解明しつつ、ジンの真骨頂であるパイロットウォッチの魅力に迫ってみよう。
名畑政治:文 Text by Masaharu Nabata
竹石祐三:編集 Edited by Yuzo Takeishi
[クロノス日本版 2024年11月号掲載記事]
進化を続けるナビゲーションクロノグラフ
ダークブルーのダイアルを採用した新作。インダイアルとインナーベゼルはシルバー仕上げ。蓄光素材入りのハイブリッドセラミックスを採用した立体的なインデックスと時分針を装備する。自動巻き(Cal.LJP L110)。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。SSケース(直径41mm、厚さ14.5mm)。20気圧防水。84万1500円(税込み)。
(左)903.St.II
ブラックダイアルを備えた「903」の最新モデル。ドイツ工業規格DIN 8310準拠の20気圧防水に加え、DIN8309準拠の4800A/mの耐磁性能を保有する。こちらはレザーストラップ仕様だ。自動巻き(Cal.LJPL110)。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。SSケース(直径41mm、厚さ14.5mm)。20気圧防水。77万円(税込み)。
ドイツ国防軍パイロットにして飛行教官でもあったヘルムート・ジンが1961年、自らの名を冠してドイツ・フランクフルトに設立したHelmut SinnSpezialuhren(ヘルムート・ジン特殊時計)を源流に持つ、ドイツ生まれの時計メーカー、ジン。彼らにとって極めて大切なロングセラーモデルのひとつに「903」がある。
このモデルが誕生した70年代、時計界はクォーツウォッチの登場によって大変換期を迎えており、スイスを中心として多くの時計メーカーが倒産したり、別資本へ譲渡されたりすることを余儀なくされた。ジンの903は、そんな時代の波に翻弄されたモデルのひとつ。その原点は航空用回転計算尺をベゼルに装備して50年代に誕生したパイロットウォッチの名作だが、それを開発したスイスのメーカーが経営危機に陥った際、デザインの権利とムーブメントなど、部品供給の使用権をジンが買い取ることで903の製造が行われることとなったのである。
回転計算尺とはパイロットやナビゲーター(航空士)がフライトプランを作成する際に用いるアナログ式の計算機。一般には英語で「slide rule(スライド・ルール)」と呼ばれるように、目盛りを刻んだ2枚の板をスライドして各種の計算を行うスタイルが知られているが、実は17世紀、最初に開発されたのは目盛りを刻んだ2枚の円盤を回転させて計算を行う回転式計算尺であったという。
そこでこの回転計算尺を時計の外周部に導入し、計算を行うというアイデアは、まず懐中時計において実現した。やがて腕時計の時代となり、40年代には通常の3針時計に回転計算尺を導入したモデルが登場。次いで同様の回転計算尺をクロノグラフ腕時計に搭載したモデルが開発され、それが発展することで、50年代に30分と12時間の積算計を持つ3インダイアルの高機能なクロノグラフに航空用回転計算尺を採用した、本格的なパイロットウォッチが誕生したのであった。つまり、ジンの903とは、この50年代に誕生した本格パイロットウォッチの正統な後継モデルなのである。
その後もジンは、903を途切れることなく製造し続けてきたが、長年にわたって作り続けられるロングセラーモデルだけに、搭載されるムーブメントが変更されたり、外装がマイナーチェンジされたりするなどの変遷がある。こうした歴代モデルの中でも特に印象に残っているのが、90年代に製造された手巻きのレマニア製クロノグラフムーブメントを搭載するモデルだろう。
この時代の手巻きモデルでは、3つのインダイアルが中心部に寄っているのが特徴。それはムーブメントの構造に由来する仕様である。しかも通常の12時間表示のモデルだけでなく、24時間表示のモデルも製造された。その大きな特徴はダイアルの頂点が24時ではなく昼の12時となっていること。そのため短針がダイアルの上半分で昼の時間帯を示し、下半分で夜の時間帯を示すという独特のスタイルを採用していたのである。
その後、903はスイスのラ・ショー・ド・フォンに拠点を置くムーブメント製造会社ラ・ジュー・ペレが製造した自動巻きクロノグラフムーブメントを搭載する「903.ST.AUTO」へと進化。このモデルでは4時と5時のインデックスの間に日付表示窓を設け、10時位置に設置されたリュウズでインナーベゼルを回転させて回転計算尺での計算を行うというシステムが採用された。
そして2024年、903は大幅なリニューアル、というよりも完全な再設計がなされ新しく生まれ変わった。それがここで紹介する「903.St.II」および「903.St.B.E.II」である。
搭載するムーブメントはラ・ジュー・ペレ製のキャリバーLJP L110。以前のモデルにあった10時位置のリュウズは廃止され、ベゼルリング自体を操作して計算を行うという誕生当時のスタイルが復活した。そのため前モデルではベゼルのノッチ(刻み)がやや穏やかだったが、新しいバージョンではノッチが深く刻まれ、グローブを嵌めた手でも容易に操作できるよう配慮されている。
また、ベゼルのスムーズな操作を実現しつつ、20気圧という高い防水性を実現している点も特筆に値する。これにより日常生活はもちろんのこと、アウトドアシーンにおいても安心して着用することができるはずだ。
さらにダイアルの12時のアラビア数字インデックスおよびバーインデックスと時分針には、高濃度の蓄光素材を含むハイブリッドセラミックスを採用。この新しいダイアルでは立体的なインデックスが全体で強い光を放つため、夜間や暗闇において、上面だけでなく側面からもその存在をはっきりと確認でき、高い視認性を実現している。
このような、高い機能を備えた新しい903。それは1970年代にジンが受け継いだベースとなるモデルの遺伝子を正しく継承しつつも、より高い次元へとステップアップすることを目指した、パイロットウォッチのひとつの到達点と言えるだろう。
ジンとパイロットクロノグラフの歴史
両方向回転式のパイロットベゼルや衝撃耐性に優れた強化アクリル製風防を採用した古典的クロノグラフ。ポリッシュ仕上げのステンレススティールケースを採用し、ダイアル外周部にはタキメータースケールを印字する。手巻き(Cal.SW510M)。23石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約56時間。SSケース(直径41mm、厚さ14.8mm)。20気圧防水。世界限定1000本。68万2000円(税込み)。
1961年に創業したジンが創業当初から作り続ける古典的クロノグラフのスタイルを現代に伝えるモデルが「103.St.Ty.Hd」である。このモデルでは“トリコンパックス”と呼ばれるダイアルレイアウトが採用されており、それは3時位置にクロノグラフの30分積算計、6時位置に12時間積算計、9時位置にスモールセコンドを置くスタイルのこと。しかも自動巻きムーブメントが一般化した現在において、手巻きのクロノグラフムーブメントを採用する、ある意味、頑固な仕様だ。確かに、装着すれば自動的に主ゼンマイが巻き上がって作動し続ける自動巻きは便利だが、人と時計との結びつきをより強く感じられるのは、手巻きムーブメントならではの魅力。装着前に必ずリュウズで主ゼンマイを巻き上げる行為は、時計と付き合ううえでの重要な儀式である。
さらに魅力的な曲面を持つ強化アクリル製風防が103.St.Ty.Hdのクラシカルな表情を倍加させるが、注意深く観察すると新しい103.St.Ty.Hdには格段に進化した部分を見いだすことができる。そのひとつがリュウズガード。時計の最も脆弱な部分といえるリュウズを保護するガードは、1960年代にはなかったもの。また、約56時間のパワーリザーブや20気圧の防水性、耐圧性も、現代の要望に見合った仕様だ。
実はジンが手巻きムーブメントを搭載する103シリーズのモデルを発表するのは、およそ20年ぶりとか。つまり世界限定1000本の103.St.Ty.Hdとは、その空白期間を埋める、実に魅力的な最先端の機能を備える古典的クロノグラフなのである。