クォーツショックの余波を受けて、シャフハウゼンにあったH.モーザーの名は一度消滅している。しかし、ハインリッヒの曾孫にあたるロジャー・ニコラス・バルジガーが、当時IWCの時計師だったユルゲン・ランゲ博士とトーマス・シュトラウマンの協力を得て、2005年に「H.モーザー」を新生。同時にランゲ博士を中心として、ムーブメントのキーパーツを自製するための工房「プレシジョン・エンジニアリング」をドイツに立ち上げている。現在は、シャフハウゼンの隣街にある工業地域、ノイハウゼンに移築されたこの工房が、新生H.モーザーの性格を決定づけたといってもよい。後年に起こるETA2010年問題を引き合いに出すまでもなく、脱進機部品のアソートメントから、ヒゲゼンマイまでを自製できる工房は、現在のスイスでも数社しか存在しないのだ。
H.モーザーが作るテンワは、ベリリウムカッパーの丸棒から切削で仕上げられてゆく。マスロットやチラネジも同様だ。プレアッセンブリー後に行う片おもりの調整は、自動計測器を用いて“アンバランス量”を測定。チラネジやチラ座には一切触れず、テンワの裏側を少しずつ削って仕上げる。最終的には、追い込んだアンバランス量を基準にテンワのグレードが決められる。例を挙げると、“アンバランス量2”(=2μm・cm)であれば高級機用のテンプ。普及機用でも“アンバランス量4”(=4μm・cm)までは追い込む。さらにテンワの重量で仕分けされ、強さを合わせたヒゲゼンマイと組み合わされて、テンプとなる。
ヒゲゼンマイの製造セクションは、圧巻のひと言だ。オリジナルは約600kgの塊だというPE4000合金を圧延し、直径0.6mmの線材(丸断面)に仕上げ、さらに直径0.08mmまで絞ってゆく。直径0.6mmから0.08mmまで絞る段階で、元の長さが約50mの丸材であれば、約500mまで引き延ばされることになる。超音波洗浄を2回、水道水による洗浄を1回、さらに蒸留水での洗浄を経て、いよいよヒゲゼンマイの母材となる、板材へと圧延されてゆく。最終的な厚さは0.1ミクロン。この作業が行われるブースは、厳格な温度管理がなされており、限られた技術者しか入室が許されない。