一大ブームとなったラグジュアリースポーツウォッチが定番化した後、新たなトレンドとして注目されているのがドレスウォッチだ。かつては使いにくいところもあったこの定番ジャンルは、現在は実用性を伴って、劇的に進化している。そんな新時代のドレスウォッチを、『クロノス日本版』2024年1月号(Vol.110)で再考した。その特集記事をwebChronosに転載。第1回は、「装着感」からドレスウォッチを定義する。
Photographs by Eiichi Okuyama, Yu Mitamura, Masanori Yoshie
加瀬友重、広田雅将(本誌):取材・文
Text by Tomoshige Kase, Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Tomoshige Kase, Yukiya Suzuki (Chronos-Japan), Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2024年1月号掲載記事]
新時代のドレスウォッチ Chapter 1 装着感
年々曖昧になりつつある「ドレスウォッチ」という定義。しかし、良い着け心地は、今なおドレスウォッチと他の時計を大きく分ける要素だ。もっとも、シンプルなドレスウォッチの場合、その条件は決して多くない。短い全長、薄いケース、そして低い重心である。では各社は、どのような工夫を各モデルに施しているのか。最新のドレスウォッチを例に、各社の解決策に目を向けたい。
①短い全長
最新のドレスウォッチに共通するのが、短い全長である。ケースは拡大したのに、腕なじみが良くなっている理由には、短く切ったラグがある。かつてのドレスウォッチはできるだけラグを伸ばそうと試みた。しかし、今や各社が目指すのは、その真逆だ。短いラグでもドレッシーに見せる秘訣は、角度を付けて、大きく落とし込むという方法論にある。

1990年代から2000年代にかけて、多くのドレスウォッチは、できるだけ長いラグを持とうとした。長いラグは時計をドレッシーに見せるだけでなく、平たいサファイアクリスタル風防を持つ時計に立体感を加えることができたからだ。ジェラルド・ジェンタはこの方法論を嫌ったが、この時代のジラール・ペルゴを筆頭に、モーリス・ラクロアなどのブランドが、時計のケースに長いラグを組み合わせた。
一方、近年のトレンドはちょうど真逆だ。具体的には時計は大きく、ラグは短く、だ。好例は、オメガ「デ・ヴィル トレゾア パワーリザーブ」だろう。ケースの直径は40mmだが、ラグが短いため、時計の全長はわずか44.8mmしかない。細腕の人にもよくなじむ理由だ。

コーアクシャル脱進機を搭載し、耐磁性能の強化とメンテナンスサイクルの長期化を実現。裏からネジ留めしたベゼルと短いラグが、全体のボリュームを抑えている。工作精度の高さをうかがわせる輪郭のはっきりしたケースにツートンカラーのダイアルを組み合わせた、モダンドレスウォッチの筆頭。しかし、しっかりとマスター クロノメーターを取得している。手巻き(Cal.8934)。29石。2万5200振動/時。パワーリザーブ約72時間。SSケース(直径40mm、厚さ10.07mm)。3気圧防水。(問)オメガお客様センター Tel.03-5952-4400
ちなみに、かつての長いラグが主流だった時代は、ラグを腕側に曲げて、着け心地を良くする手法が定石だった。しかし、重い時計ならさておき、薄いドレスウォッチにそこまでの配慮は過剰だ。加えて、盛り上がったドーム風防が普及した結果、ラグで無理に立体感を演出する必要もなくなったのである。
オメガのトレゾアを筆頭に、オーデマ ピゲの「コード 11.59 バイ オーデマ ピゲ」、そして最新版のIWC「ポルトギーゼ・オートマティック40」などに共通するのは、短いラグを短く見せない配慮だ。いずれもラグとミドルケースに厚みを持たせ、そこにつながったラグの終端を大きく落とし込んでいる。結果、側面から見たラグは短いのに、真正面から見ると、意外なほど長く感じられる。
もっとも、この方法論を盛り込むには、ラグとつながったミドルケースにある程度の厚みを持たせる必要がある。そのため、ミドルケースをできるだけ絞ろうとした、かつてのドレスウォッチでは難しかったデザイン手法だ。

短いラグをデザインとして打ち出した先駆けが、ジャガー・ルクルトのレベルソだ。このページで紹介した「レベルソ・クラシック・ラージ・スモールセコンド」も例外ではなく、ラグを短く切ることで時計の全長をわずか45.6mmに抑えている。これは、ノモス「タンジェント35mm」の全長にほぼ同じで、つまり腕上では、かなり軽快に感じられるはずだ。
このような、ケースに短いラグを付けるという手法は、1940年代以降の極薄手巻き時計に見られたものだ。これらはドレスウォッチを目立たせない配慮だったが、ケースが大きくなった今のドレスウォッチにも有用だったのである。今や多くのメーカーがフォローするようになった、短い全長というトレンド。これからのドレスウォッチの方法論として大注目だ。

1931年にポロ競技時の風防破損を防ぐため、反転式ケースを備えて誕生した「レベルソ」。出自こそスポーツとの関わりが深いが、アールデコ様式のデザインが、かしこまったシーンにもふさわしいエレガントな佇まいを見せる。レベルソ・クラシックとしては大型のケースを持つが、装着感は良好だ。反転したケースバックにエングレービングを施し、パーソナライズすることも可能。手巻き(Cal.822)。19石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約42時間。SSケース(縦45.6×横27.4mm、厚さ8.5mm)。3気圧防水。(問)ジャガー・ルクルト Tel.0120-79-1833
②薄いケース
装着感を改善する王道は、今も昔も薄いケースだ。しかし、それと引き換えに、個性や実用性を失ったモデルは少なくない。では、いかにして薄さという美点を保ちつつ、ドレスウォッチを普通の時計に近づけられるのか。それに対する明快な解が、ブルガリの「オクト フィニッシモ」と、ブレゲの「クラシック」である。これらはケースの加工に工夫を凝らすことで、今までの薄型時計にはなかった個性や実用性を盛り込んだ試みを持つ。

かつてのドレスウォッチは、技術を誇示するべく、できるだけケースを薄くしようとした。またそれは、ドレッシーな装いにふさわしいアクセサリーを求める顧客にも歓迎された。しかし結果として、こういった薄型時計が、明快な個性と実用性を失っていったことは否めない。アクティブな今の消費者たちが、ドレスウォッチを避け、スポーティーな時計に目を向けるようになったのは必然だろう。
しかし、新時代のドレスウォッチは、薄いケースに個性や実用性を盛り込めるようになった。つまり、優れた装着感はそのままに、普通の腕時計に近づいたのである。その象徴が、ブルガリの「オクト フィニッシモ クロノグラフ GMT」だろう。立体的なケースに、水平クラッチを載せた自動巻きクロノグラフを搭載したにもかかわらず、ケースの厚みはわずか8.75mmに留まった。しかも防水性能は、スポーツウォッチ並みの100mもある。薄さと優れた装着感が評価されてきたオクト フィニッシモだが、本当の魅力は薄型時計というジャンルに、実用性という真逆の概念を持ち込んだ点にある。

薄型実用時計の先駆けである「オクト フィニッシモ」に、クロノグラフとGMTを搭載したモデル。ケースの3時側に配されたプッシュボタンでクロノグラフ操作を、9 時側に配されたプッシュボタンで時針の単独操作を行う。いくつものファセットで構成されたケースが薄さと立体感を両立させる。自動巻き(Cal.BVL318)。37石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約55時間。18KPGケース(直径43mm、厚さ8.75mm)。10気圧防水。(問)ブルガリ ジャパン Tel.0120-030-142
かつては薄いケースに立体感を盛り込むことも、気密性を高めることも不可能とされた。しかし、ケース製造に切削が普及し、その加工精度が高まることで、薄いケースのデメリットは、今やほぼ解消されたと言ってよい。パルミジャーニ・フルリエの「トンダ PF」なども、ケース技術の進化がもたらした、新しい時代のドレスウォッチと言えるだろう。
オーセンティックな薄型時計も進化を遂げた。ブレゲの「クラシック 5177」は、標準的な3ピースケースを持つモデル。8.8mmという薄さを実現できた理由は、はめ込み式のスナップバックを採用したためだ。かつては、はめ込み式の裏蓋で、30m防水を実現するのは難しかった。仮にメーカーの公表値が30m防水であっても、ほとんど気密性のない時計というのも存在していたのである。「薄型時計は雨の日に使うな」と言われてきた理由だ。

しかし、ケース部品の噛み合わせ精度やリュウズ回りの加工精度を高めることで、ブレゲといった高級メーカーは、薄いドレスウォッチの防水性能を大きく改善したのである。加えてクラシック 5177では、ムーブメントを留める中枠を、剛性を持たせつつ軽く作ることで、ケースの軽さと頑強さを両立させた。見えない部分だが、実用性を高めるための配慮である。
ケースを薄くするのは、今も昔も装着感を改善する王道の手法だ。そして最新版のドレスウォッチはその薄さを損ねることなく、ついに個性と実用性を加えることに成功したのである。

シルバー仕上げのゴールド製ダイアルに施されたギヨシェ装飾、判読性を高めるブレゲ針、ケースサイドのコインエッジ装飾など、ブレゲを象徴するデザインを盛り込んだクラシックウォッチ。ヒゲゼンマイや脱進機にシリコン素材を採用することで実用性を高めた自動巻きムーブメントは、シースルーバックから鑑賞することが可能だ。自動巻き(Cal.777Q)。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約55時間。18KWGケース(直径38mm、厚さ8.8mm)。3気圧防水。(問)ブレゲ ブティック銀座 Tel.03-6254-7211
③低い重心
大きく重い時計でも、重心が低ければ装着感は改善される。薄くて軽いドレスウォッチにはあまり関係ないものの、「腰の据わった」ヘッドであれば、腕なじみはなお良くなるだろう。必要な条件は、ムーブメントをできるだけ文字盤側に近づけること、そして時計の重みを分散させることだ。薄型時計にこういう配慮を加えるメーカーは少ないが、探せばある。ルイ・ヴィトン、モリッツ・グロスマン、新しいグランドセイコーなどが該当する。

時計が薄くて軽ければ、多少の難があっても装着感は良くなる。重いスポーツウォッチに食傷気味の愛好家たちが、シンプルなドレスウォッチに目を向けるようになった一因だ。加えて、一部のドレスウォッチは、装着感を良くするための配慮を加えるようになった。重心を低くするというアプローチだ。
ルイ・ヴィトンの新しい「タンブール」は、スポーティーなデザインを打ち出したものの、明確にドレスウォッチとして仕立てられた時計だ。3時位置のスモールセコンドや、細く絞ったベゼルなどは、言うまでもなくドレスウォッチのディテールである。加えてこのモデルは、装着感を良くするための工夫を凝らした。そのひとつが、裏蓋側に広がるケースである。これはオリジナルのタンブールからの引用だが、薄いケースの裏蓋側を重くするというデザインにより、腕なじみは際立って良い。併せて、ブレスレットを太くし、あえてテーパーを抑えることで、時計全体の重さを全体に散らすことに成功した。SSケースと18Kゴールドケースで、装着感が大きく変わらないのは、優れた設計があればこそ、だろう。
グランドセイコーの「エレガンスコレクション SBGW305」も、意外に重心の低い時計である。そもそもこのモデルは、直径が37.3mm、厚さ11.7mmしかない上、全長もわずか44.3mmに抑えられている。もっとも、ミドルケースを細く絞ったため、裏蓋には強い傾斜が付くようになった。一般的に、こういう手法を使うと時計の重心は上がってしまう。しかし、ラグを腕側に大きく倒し、重めのブレスレットを合わせることで、前作のSBGW235に同じく、時計の重心を下げ、かつ重さを散らすことに成功した。このモデルのパッケージングが優れていることは、前作からほとんど変わっていない点が示す通りだ。

手巻き+ノンデイトのシンプルな構成を持つドレスウォッチ。シャープな針とインデックスが抜群の視認性を発揮し、デザインに花を添えている。小ぶりなサイズも相まって上品な印象だ。手巻き式ムーブメントの採用によって厚みを抑えたケースと、滑らかなライスブレスレットが心地よい装着感をもたらす。手巻き(Cal.9S64)。24石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約72時間。SSケース(直径37.3mm、厚さ11.7mm)。日常生活用防水。(問)セイコーウオッチお客様相談室(グランドセイコー)Tel.0120-302-617
意外と狙い目? コンパクトな薄型手巻き
ドレスウォッチの最低条件が、薄くて着け心地がよいことだ。最新作はもちろん優れているが、一昔前のモデルにも傑作と呼べるものは少なくない。狙い目は、コンパクトな薄型手巻きだ。
1940年代以降、オーデマ ピゲ、ヴァシュロン・コンスタンタン、ピアジェといったメーカーは、薄型時計のスタイルを完成させた。ケースは貴金属製で、ムーブメントは手巻き(後に自動巻き)。インデックスや針は細く、ケースはシンプルに、といった具合だ。後に各社は、ケース素材にSSを加えたり、ねじ込み式の裏蓋で防水性能を高めたりしたが、基本的な構成は40〜50年代から大きく変わっていない。
こうした時計は、80年代から90年代にかけてリバイバルを遂げた。もっとも、かつての薄型時計とは異なり、風防には頑強なサファイアクリスタルが採用されたほか、申し訳程度だった防水性能も、大きく改善された。とりわけ、60年代から70年代にかけて進んだ防水パッキンの進化は、以降の薄型時計に、かつてからは想像できないほどの高い気密性をもたらしたのである。

1998年発表のCal.430Pを搭載したのが、同年発表のアルティプラノだ。3ピースケースの極薄時計ながらも3気圧防水を実現している。モダンな時計に見えるが、構成する要素はすべて古典的だ。手巻き。2万1600振動/時。18石。パワーリザーブ約43時間。18KWGケース(直径38mm)。参考商品。

初出1985年。傑作Cal.215 PSをスリムなケースに収めたドレスウォッチである。シンプルな文字盤にコンパクトなラグという構成は典型的な極薄ドレスウォッチ。しかし、実用性を考慮したのか、申し訳程度にスモールセコンドが加えられている。手巻き。18KYGケース(直径33mm)。2.5気圧防水。参考商品。
ここで挙げた2モデルは、昔ながらの構成を持つドレスウォッチである。ピアジェのアルティプラノとパテック フィリップのカラトラバ Ref.3919は、両社の傑作手巻きムーブメントを、コンパクトなケースに収めたもの。計時性能にも配慮するようになった最新のドレスウォッチとは異なり、デザイン要素をドレッシーな方向に大きく振ったのが大きな違いだ。例えば、極端に細い時分針。今の基準では決して許されないが、かつてのドレスウォッチにとって、時間の読み取りやすさは二の次だったのである。
また、短く詰められたラグも、極薄ドレスウォッチ固有のディテールである。これはそもそも、時計を目立たせないためのデザインだった。しかし、時計の全長を短く詰められるため、最新型のドレスウォッチも、こぞって使うようになった。薄くて軽いこの2モデルは極めて良い装着感を持つが、短いラグは、そういったキャラクターを一層強調する。ちなみに、惜しまれつつ生産中止になったラルフ ローレンのスリムクラシックも、こういった要素を十二分に備えたモデルである。
正直、コンパクトで薄い手巻きのドレスウォッチがリバイバルを遂げるとは考えにくい。各社の自社製ムーブメントが自動巻き中心になり、加えてサイズが拡大したことを思えばなおさらだ。しかし、ドレスウォッチのスタイルを形づくった極薄手巻きには、ドレスウォッチ本来の良さが凝縮されている。そして幸いにも、こうした時計は、二次流通でもまだ手頃な価格で手に入るのである。