筆者の腕を占拠するに至ったApple Watch Series 3
ところが、Apple WatchがSeries 3となった今年、僕の左手首には毎日のようにApple Watchが巻かれている。
スマートウォッチと呼ばれるジャンルが生まれて以降、このジャンルの製品には散々な批判と過剰な賛美が交互に投げかけられ、そうした声に応じて改良を重ねたからこそSeries 3は誕生した……と言いたいところだが、僕はアップルが最初から確信を持って“Watch”の事業に取り組んできたのだと現在は感じている。当初、僕はそのことに気付かなかった。
“腕時計”の事業と書かなかったのには理由がある。そのとき最新の、誰もが知りたいと思う情報を提供してくれる装置を身に着けられるほどに小型化したデバイス……と考えるなら、スマートウォッチはまさに身に着けるパーソナルコンピューターであり、もっとも小さくもっとも近いスマートフォンとの接点と言えるからだ。
ルイ・ヴィトンなどのハイブランドも含め、多くの腕時計ブランドが現在もっとも小さく、もっとも身に着けやすいコンピューターとしてスマートウォッチを開発している。コンピューターを腕にまとうことでどのような価値を生み出せるのか。“Watch”という商品ジャンルを、もっとも先進的なデバイスを身に着けるウェアラブルデバイスを作り出す競争と捉えるならば、将来、このジャンルの製品がライフスタイルを大きく変える可能性もあるのかもしれない。
ずっと未来、そのような時代はくるのだろうと想像していたものの、意外にその時期は早いのかもしれない。僕の左腕にApple Watch Series 3が巻かれるようになったのは、この製品が“コンピューター装置”として以前よりもずっと大きな魅力を醸し出すようになったからだ。
もちろん、まだ完全ではない。しかし、いまやこのデバイスを装着せずに外出しようなど、ほとんど思わなくなってしまったのだから、もう“アンチスマートウォッチ派”は名乗れそうにない。
時代が変化する速度を読み誤っていたことを認めた上で、まずはApple Watch Series 3とは、どのようなWatchなのか。それを探るところから、この連載を始めていきたい。
テクノロジージャーナリスト、オーディオ・ビジュアル評論家、商品企画・開発コンサルタント。1990年代初頭よりパソコン、IT、ネットワークサービスなどへの評論やコラムなどを執筆。現在はメーカーなどのアドバイザーを務めるほか、オーディオ・ビジュアル評論家としても活躍する。主な執筆先には、東洋経済オンラインなど。