時計史に軌跡を残す名品たち
1880年には軍用時計として腕時計がつくられていたという記録が残されているが、これは現在使用されている腕時計の形態ではない。
カルティエが「腕時計の始祖」といわれるには特別な理由がある。20世紀のカルティエが作った名品について見ていこう。
世界初の男性用腕時計として登場「サントス」
1904年、ブラジルの富豪であり飛行家のアルベルト・サントス=デュモンの依頼によってカルティエが試作した時計は、ケースとラグを一体化させた世界初の男性用腕時計である。
それまでにも腕時計に類するものは存在したが、ワイヤーラグにストラップを通す構造で、腕を振ると簡単に外れてしまうという欠陥があった。
サントス=デュモンの要望は、飛行中は懐中時計を取り出すことができないため、飛行中でも容易に時刻がわかること。当時の飛行機の操縦桿は重く、両手操作が基本。ゆえに懐中時計を胸ポケットから取り出すことが難しかったためだ。その要望に対して、友人のルイ・カルティエは「サントス」で応えたのである。
サントス・デュモンに許諾を受け、この特別な1本の同型モデルは「サントス」として1911年に一般販売されることとなる。これが初の男性向け量産型腕時計である。
高度な実用性だけでなく、直線的かつ幾何学的なデザインは画期的であり、スポーツウォッチとしてもドレスウォッチとしても使えるマルチパーパスウォッチの先駆的存在であった。
第一次世界大戦時の戦車がモチーフ「タンク」
1919年に発売された「タンク」は、ケースとラグが一体化した直線を強調したデザインが特徴の、ベゼルを持たない時計である。
このデザインは、第一次世界大戦を終戦に導いた「平和の象徴」であるルノーFT-17 軽戦車がモチーフだ。キャタピラがケースサイドとラグ、車体が文字盤・風防とストラップにあたる。
すべてが画期的であったが、風防ガラスとストラップが同じ幅である点に注目したい。タンク以前の腕時計はストラップが細く、十分に耐久性の高いものとはいえなかった。ここで初めて“腕時計”としてのフォルムが完成したといえる。
現代的な腕時計の原型を作ったのがサントスであるとすれば、これに真の実用性を与えたのがタンクである。
始まりはマラケシュ太守の要望から「パシャ」
「パシャ」は、1930年代にマラケシュ(モロッコ)の太守(パシャ)、エル。ジャヴィ公(1879-1956)からの要望で防水性能の高い時計が試作されたことをルーツとする。
名前の「パシャ」は太守を意味し、高官に対して使われる尊称だ。
現在のパシャの原型になったモデルは1943年に登場。ラウンドケースに4つのアラビア数字、ねじ込み式リュウズプロテクターを備え、現在のパシャと変わらぬ仕様だった。
カルティエのほとんどのコレクションはインデックスがローマ数字であるが、パシャは例外的にアラビア数字を採用。
ケースには4脚でなく2脚のラグが12時方向と6時方向に伸び、これをブレスレットやストラップで挟んで固定する独特な構造により、カルティエのなかでも独創的なラインとなっている。
「パシャ」は1985年に復活を果たすと、1995年にスポーティさを増した「パシャC」を発表。2006年に「パシャタイマー」、2009年に「ミス パシャ」をラインナップしているが、現在は「ミス パシャ」のみで展開している。
カルティエの時計の特徴
カルティエの時計を特徴付けるものとは一体、何なのだろうか。これにはカルティエが「サントス」や「タンク」から100年以上に渡り受け継いできた、時計製造の伝統と密接な関係がある。
他の追随を許さない芸術性
カルティエの時計はどれも、エレガントさと普遍性、そして機能美をあわせ持つ。
ほとんどのコレクションで視認性の高い放射状にデフォルメされたローマ数字のインデックスと剣型針が用いられており、これは一目でカルティエとわかるアイデンティティである。
装着感のよいケースフォルムも秀逸だ。リュウズのカボションの美しさからはジュエラーとしての美意識がうかがえる。
気品漂うフランケ模様のギヨシェ仕上げや、ケースの立体感を生むサテン仕上げも見逃せない。ディテールの処理は全体の印象を左右し、手間を掛けるほどに芸術的価値は高まってゆくのだ。
ユニークさを支える高い技術
20世紀のカルティエはETA製のエボーシュを用いていたが2001年、設計・開発・製造拠点の「カルティエ マニュファクチュール」を設立。2010年に自社開発ムーブメント「Cal.1904 MC」を発表する。
2015年に披露された「Cal.1847 MC」は、シリコン製の脱進機を採用し、約1200ガウスの耐磁性能を実現した。また巻き上げ効率に優れるマジッククリックを用いたことで少ない運動量で主ゼンマイが巻き上がり、実用性の高さが光るムーブメントとなった。
重力の時間精度への影響を排除するトゥールビヨンに代わる新機構を搭載した「ロトンド ドゥ カルティエ アストロレギュレーター」。ムーブメントの中央に配置されるのは脱進機、テンプ、スモールセコンドが一体化した「ローター」。これがつねに同一のポジションにもどる仕組みをもち、トゥールビヨンでは排除できない垂直方向の重力の影響をも排除する。一般的なトゥールビヨンの5倍の正確さを備えている。
ローターはプラチナ製のウエイト付きで、ポジションに戻る際にゼンマイが巻かれるという機構を備え、両方向巻き上げの自動巻きローターとしての役割も果たす。市販モデルとして超軽量かつ素材自体が衝撃を吸収する性質を持つニオブチタン合金ケースを世界で初めて採用したモデルでもある。
モチーフやネーミングに漂うエスプリ
カルティエをカルティエたらしめているものは、優れた技巧と美的感覚だけではない。
実用的な腕時計の祖となった戦車を意味する「タンク」をはじめ、コレクションのモチーフやネーミングにもフレンチメゾンらしいエスプリや遊び心が漂う。
カルティエは由緒正しき名門ブランドだが、伝統や歴史に縛られることのない姿勢は製品作りに生かされている。
近年の要チェックコレクション
21世紀に入って誕生した3つのコレクションを紹介する。80年代以降は魅力的なレディース時計を数多く輩出してきたカルティエだが、近年では明確なメンズ時計のコレクションが登場している。
カリブル ドゥ カルティエ
2010年に発表された「カリブル ドゥ カルティエ」は、先述のカルティエ初の自社製ムーブメントCal. 1904 MCを用いたメンズ時計コレクションである。
1904の数字は、現代的腕時計の祖である「サントス」プロトタイプの製作年だ。カリブルとはキャリバーのフランス語読みであり、ムーブメントの型番を意味する。つまりコレクション名は“カルティエのキャリバー”となる。
つまりこのカリブル ドゥ カルティエは、真のマニュファクチュールとして新たなスタートを切ったことの記念碑的コレクションなのだ。
またこれまでのカルティエのイメージを払拭した大胆なデザインは時計好事家から高評価を受けた。現在は生産終了となっている。
ドライブ ドゥ カルティエ
2016年に発売された「ドライブ ドゥ カルティエ」は、「カリブル ドゥ カルティエ」で搭載されたCal.1904 MCを用いた、自動車がモチーフのメンズ時計コレクションだ。
斬新なケースフォルムを創出し続けてきたカルティエらしく、独創性のあるクッションシェイプの美しいケースが特徴だ。
ケースは縦幅に対して横幅が1mm大きく、このわずかな違いがタフさを感じさせる要因となっている。
手巻きの二針モデルから、ムーンフェイズ搭載モデル、またレトログラード式で第二時間帯を表示するモデル、そしてトゥールビヨン搭載モデルまで、多彩なラインナップを揃えているのも大きな魅力となっている。
バロン ブルー ドゥ カルティエ
2007年に発売された「バロン ブルー ドゥ カルティエ」は、青い風船を意味するコレクションである。
ケース形状は名前のとおり風船のようなふくらみを帯びた独特のフォルムが特徴だ。そしてもうひとつの特徴であり、もっとも目を引くのがリュウズ部分だろう。リューズをケース内に収めるという独創的なデザインは、まさに「バロン ブルー ドゥ カルティエ」にのみ許された特別なスタイルだ。
リュウズにはサファイアクリスタルのカボションが嵌められており、ケースサイドからほんのり輝きを見せる。この奥ゆかしさもフォルムと調和している。
サイズは28mm、33mm、36mm、37mm、40mm、42mm、44mm(ケースサイズは46.8×47.1)mmがラインナップ。またケース素材やダイヤルデザインのバリエーションも豊富に揃い、ペアモデルとしても大いに活躍してくれる。
メンズ時計としてはフェミニンな印象を受けるが、類を見ない立体的な形状と存在感、軽やかなエレガンスは特筆すべき点である。