シードゥエラー
生体組織に溶け込める窒素の量は一定である。つまり、ある深度に24時間を超えて滞在すると、窒素はもうそれ以上、人体には溶け込まないようになり飽和状態となる。ある深度から安全に浮上するために必要な減圧の時間は一定なことから、同一深度に滞在する場合は、その深度に長くいた方が潜水効率は向上する。飽和潜水の技術が確立された60年代初頭、潜水会社は深海での作業を行うためにこの原理を利用した。プロフェッショナルダイバーは、ヘリウムと窒素の混合ガスが充填された高圧室に数日間滞在し、毎日、深海での作業を行う。作業が終了すると圧力がゆっくりと通常のレベルまで下げられるのだが、この時にダイバーズウォッチの風防がケースから外れるという現象が幾度となく観察された。これはケース内に侵入したヘリウムがケース外に放出されないため、減圧した際にケース内が高圧になるからだ。このことは、高圧下で呼気に含まれるさまざまなガスが人体に与える影響について研究・調査を行ったシーラブ計画の潜水士たちも報告している。
ロレックスにも、シーラブ計画に参加した潜水士のひとりがその時の様子を伝えている。その経験から、時計のケースに侵入したヘリウムが時計を損傷することなく排出されるバルブをケースに取り付けることが提案された。ロレックスはこうしてヘリウム排出バルブを開発し、後に多くのブランドがこれに倣うことになる。
70年代には、ロレックスはフランスの潜水専門会社、COMEX(コメックス)社と共同開発を行うようになった。ロレックスはCOMEX社に所属する潜水士全員に時計を提供し、ダイビングの専門家である彼らはその経験を報告、時計のさらなる開発に貢献した。COMEX社は海底ケーブルの敷設等を行う会社で、石油プラットフォームでの潜水作業にプロフェッショナルダイバーを派遣したり、ほかにも難破貨物や難破船を引き揚げたりする。この時に使用される各種装備品はCOMEX社が自ら開発し、呼吸ガスの実験も行っていた。数多くの潜水深度記録も樹立しており、常にロレックスのシードゥエラーが同行していた。72年、COMEX社所属の潜水士ふたりが水深610mの位置にある高圧室の中で約50時間、過ごすことに成功した。COMEX社の潜水士たちは後に、水深500mを超える海中で業務を行うことになる。92年には、COMEX社の潜水士が高圧室に入って701mという深度を制覇した。COMEX社は当時、サブマリーナーの3倍高い610mの防水性を備えたシードゥエラーとヘリウム排出バルブを実際に必要としていたのである。なお、ヘリウム排出バルブの試験のため、ロレックスは60年代の半ばに特別仕様のサブマリーナーをCOMEX社に提供している。
2017年、シードゥエラーにサイクロップレンズが装備される。自動巻き(Cal.3235)。31石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。SS(直径43mm)。1220m防水。
そして67年、ヘリウム排出バルブを市販時計として初めて搭載したシードゥエラーが誕生する。この新しいモデルは、デザインこそサブマリーナーに似ていたが、水深610mまでの水圧にも耐えられる構造になっていた。78年、ロレックスはこのシードゥエラーの防水性能を2倍の1220mに引き上げることに成功する。そして、シードゥエラー誕生から50年が経った2017年、ロレックスは14年に発表したモデルを刷新する。ケース径43㎜、厚さ15㎜(実測値)、日付表示部にサイクロップレンズを備えたこの時計は、新しいキャリバー3255を搭載し、パワーリザーブが約70時間に向上した。サブマリーナーとシードゥエラーとは外観上、ベゼルの全周に分刻みの目盛りが施されていることと、ダイアルにモデル名が赤い文字で記されていることで区別することができる。
ロレックス ディープシー
ロレックスのダイバーズウォッチにおける防水性能の記録が次に大きく更新されたのは、08年である。ついに3900mまでの防水性能を備えたロレックス ディープシーが登場する。驚異的な耐圧性能を与えながら、ケースが巨大にならないようにロレックスは新たなケースを開発した。ロレックスが特許を取得した「リングロック システム」は、水圧を吸収する3つの構成要素で成り立っている。厚さ5.5㎜のサファイアクリスタル製の風防と厚さ3.28㎜(実測値)のグレード5のチタン合金製裏蓋の間に窒素合金ステンレススティール製の高性能耐圧リングが挟まれる構造で、これらはロレックス独自の904Lステンレススティールで出来たケースに守られている。高性能耐圧リングは時計のケースに内蔵され、スクリュー式裏蓋で密閉している。
これらの素材は熟考の上で選択されており、高い強度と靭性を備えている。高圧下でも変形することなく、簡単に破砕しない。この特許取得のシステム構造により、クロノスドイツ版編集部調べでは、ケースは厚さ18㎜(実測値)、直径44㎜と、それでも大型であるものの、従来の構造よりも10%も薄い。ロレックス ディープシーは、計算上は水深約4900mの水圧にも耐えられる耐圧性能を有している。これは3900m防水からプラス約25%の安全域を保証するためで、ロレックス ディープシーはすべての個体が耐圧検査にかけられている。このモデルは18年にさらに進化し、よりいっそう調和の取れたデザインとなったケースにパワーリザーブ約70時間の自社開発ムーブメントが搭載された。シードゥエラー同様、このロレックス ディープシーにもフリップロック エクステンションリンクが装備され、ブレスレットを最大約26㎜延長することができる。
特殊な構造のケースの恩恵により、3900mまでの防水性能を実現。写真はD-ブルーダイアルモデル。自動巻き(Cal.3235)。31石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。SS(直径44mm)。3900m防水。
12年、1960年のトリエステ号での到達以来となる、大深度に挑戦する潜水プロジェクトが企画された。ロレックスはこのプロジェクトに試作モデルの「ディープシー チャレンジ」を同行させた。そして探検家でもあるジェームズ・キャメロンがマリアナ海溝の水深1万908mに到達した。この時の潜水艇の外側に取り付けられたディープシー チャレンジはサファイアクリスタル風防にかかる12t以上の圧力にも耐えた。この試作モデルは標準的なロレックス ディープシーを基に設計され、ケース径51.4㎜、厚さ28.5㎜という着用可能なサイズでこの驚異的な防水性を達成した。