一流のセレブたちは一体どんな腕時計を選ぶのか? 世界のセレブたちのプライベートなワンシーンを切り取り紹介する連載コラム「セレブウォッチ・ハンティング」。今回は、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)で戦後初の三冠王に輝き、監督としてもヤクルトスワローズを3度の日本一に導くなど、プロ野球界において希代の名選手、名将として活躍した故・野村克也元監督が晩年に着けていた腕時計を紹介しよう!
野村克也監督
多くの野球ファンから「ノムさん」の愛称で親しまれた、故・野村克也元監督。腕時計好きが多いプロ野球界において、野村元監督もしばしばその手元が注目されてきたひとりだった。過去に出演したバラエティー番組で目撃されてきたのは、ジェイコブやハリー・ウィンストンといった蒼々たるブランドの腕時計である。
野村元監督の腕時計にはふたつの共通点が見られた。まずは、文字盤の色が白もしくはそれに近いシルバーカラーなどであることだ。同様の選択は野村元監督のみならず多くのスポーツ関係者にも見られる。この理由が「白星」を追う彼らの験担ぎであることは知られた話だろう。これに加えてもう一点、野村元監督は勝利を呼ぶパワーストーンとしても人気のあるダイヤモンドをふんだんにあしらった大ぶりの腕時計を好んだ。
野村元監督はそれらのダイヤモンドウォッチを、メディア出演時のみならず試合中にも着用していた。例えば楽天の監督だった2009年5月のセ・パ交流戦においては、フランク ミュラーのダイヤモンドウォッチが確認されている。
今回紹介する写真は、それと同一と思われる腕時計を着用した晩年の野村元監督を捉えたものだ。2019年3月、新聞社の取材において撮影された1枚である。手元に巻かれているのは、フランク ミュラーの「コンキスタドール キング ダイヤモンド」だ。
フランク ミュラー
「コンキスタドール キング ダイヤモンド」
1997年に誕生した「コンキスタドール」。モデル名は、15世紀から17世紀初頭にかけてアメリカ大陸へ進出した征服者たちを意味するものだ。たくましさを感じさせる名称の通り、そのフォルムは力強い印象を放つものである。コンキスタドール最大の特徴は、2段構造となったケース形状だ。ベゼル部分に段差が加えられたことで、ケースに重量感や厚みが増し、ずっしりとした存在感が与えられた。
コンキスタドールは、いわゆる時計の「デカ厚」ブームの初期に生まれたシリーズである。その中でも野村元監督が着用する"キング"は、フランク ミュラーを象徴するトノー型ケースの最大サイズとなるモデルだ。縦56mm、横40mmもの大きなケースに、びっしりとダイヤモンドが敷き詰められた様は圧巻である。
球界きっての愛妻家としても知られた野村元監督。余談だが、重厚感漂うこの時計は、おそらく沙知代婦人が贈ったものではないかと筆者は推察する。実は最初にこの時計が確認された2009年当時の某スポーツ紙に、こんな記述があったのだ。"沙知代婦人が野村監督に1000万円級のフランク ミュラーの腕時計を贈った"と。しかし、その記事にはこうも書かれている。"その後チームが負け越したため、夫婦で相談の上、野村監督はその時計を手放すことに決めた"。
実は野村元監督は時計を手放すことを辞めたのだろうか? はたまた、一度売った時計を思うところあって買い戻したのか? その事実は分からないが、しかし沙知代婦人が贈ったフランク ミュラーの腕時計がコンキスタドールだったことは間違いないだろう。この写真が撮られたのは、沙知代婦人が亡くなってから2年と少しが経った頃である。取材において野村元監督が語ったことの大半が沙知代婦人への感謝の思いだった。おそらくコンキスタドールには、他のどんな腕時計よりも沙知代婦人との思い出が詰まっていたのだろう。