キャリアのスタートと今後について
WT:おそらく2020年は時計業界にとって今までにない厳しい年となるでしょう。そこに独立系時計メーカーにとってのチャンスはあると考えますか?
MB:大手ブランドに比べて、独立系時計メーカーは深いポケットを持っているわけではないんだ。ただ本当の意味での知識豊かな顧客データベースを持ち、深い気持ちの部分でつながっているファンを抱えている。MB&Fの顧客はステイタスシンボルを求めているわけじゃないんだ。手仕上げやクラフトマンシップ、創造性やそこへ至る過程に対して共感していると思っている。過去7年にわたり、MB&Fでは意図的に、市場からの需要よりも少ない本数を生産してきている。結果は今年初めに驚くべきものとなって現われているんだ。セルアウトは取引先に卸したセルインの数を上回っているわけで、つまり取引先の店頭在庫は減っているんだよ! この2カ月における取引先の90%が店を閉めているにも関わらずこの結果さ。会社の規模が小さいことが、こんなにうれしかったことは今までなかったね。
WT:ところで、なぜあなたは時計業界でキャリアを積もうと思ったのですか?
MB:僕が選んだというより、時計業界が僕を選んだという方がずっとしっくりくるかな。他の皆が興味を示さなかった時期でも、僕は機械式時計作りが好きだったけれど、個人的にはまったく時計業界に身を投じるなんては思ってもみなかったんだ。なんて言うか宿命といえるものが、僕の人生を支配していたのだと感じるね。あれは確か1991年の1月だったかな、僕は偶然ジャガー・ルクルトのCEO、ヘンリー ジョン・ベルモントにスキー場で出会い、自分の最初の仕事を何にすべきかという話をしたんだ。彼の息子であるステファン・ベルモントは僕と同じローザンヌ工科大学でエンジニアリングを勉強していてね、その縁で父親に会うことができたんだ。ヘンリー ジョンは1週間後に僕に電話をしてきて、ジャガー・ルクルトでのプロダクトマネージャーのポジションを提示してくれたんだ。その後はみんなが知っている通りさ。
WT:自身のブランドを立ち上げた後、最も心に残った出来事というとどんなことでしょう?
MB:記憶に残る出来事は、それこそ山ほどあるんだ。ひとつひとつの企画と新作の誕生が、僕の感情とアドレナリンを高ぶらせてくれたから。ひとつだけ事例を挙げることは難しいが、誰も買うとは思えないと僕を震え上がらせたモデルのことは、記憶のなかにまざまざと刻み込まれているね。「HM1」「HM4」「HM6」そして「フライングトゥールビヨン」は特に印象的だ。また、経験から学んだことも忘れられない出来事のひとつ。信頼できると思えばすぐに相手に伝えて、傷付いたり絶望したこともあったかな。そのうち自分は、自らを守るための偏執症じゃないかと感じることもあったけど、そのくらいでなければ人生は楽しくないとも思うしね。僕はどちらかと言うと人を信じてリスクをとるタイプなのだが、そうすることで時に傷付くこともあるんだよ。
WT:個人的に気に入ったコンプリケーションなどありますか?
MB:時計を愛するのに「複雑性」は特に必要ないと思う。何よりもまず僕を魅了するかどうかが大切なんだ。実際そういうモデルは最近少ないのだけれどね。それから技術的に素晴らしい作りであり、美しく仕上げられているモデルは、やはり心に残るよね。もちろん美しさは見る人の主観だけど、もっと重要であるのは、手に取ったときハートが高鳴るようなものであって、作り手のスピリッツを感じられるものであることだと思う。
WT:あなたにとっての最初の「本物の」時計とは、どういったものでしたか?
MB:軍隊でのひどい事故から奇跡的に生還した記念に買った時計さ。貯金すべてをはたいて90年に購入したエベルのクロノグラフだよ。6週間の病院生活から退院して、最初にしたことのひとつがそれなんだ。当時上半身は固定されていたけど左腕と手首は自由に動かせたから、バスに飛び乗って数年来ずっと欲しかったエベルの時計を買いに行ったのさ。その頃エベルはヨーロッパで一番の人気ブランドで、数量では敵わなかったが、イメージではロレックスに拮抗していたんだ。ドン・ジョンソンが『マイアミ・バイス』でゴールドモデルを着用していたしね!(笑)エベルはハイエンドな時計作りを初めてクールな行為に昇華させブランドだと思う。当時のそのモデルは、「オイスター パーペチュアル コスモグラフ デイトナ」と同じエル・プリメロのクロノグラフキャリバーを搭載していたんだ。もちろん今でも持っているよ! 僕が時計を売ることはほとんどないからね。だってもう着けなくなったとしても、ひとつひとつが僕の人生の節目だから。
WT:後世に残したいものや想いなどありますか?
MB:僕たちのストーリーが、誰か自分の信じる何かを作り出す切っ掛けになれば嬉しいね。厳しい精神的ハードルを乗り越える力となって、そしてそれが彼らの夢になれば、すべてに意味があると僕は思うから。
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