フランク ミュラー「カサブランカ」にまつわる名前の秘密を探り、その逸話とともに紹介する

どんなものにも名前があり、名前にはどれも意味や名付けられた理由がある。では、有名なあの時計のあの名前には、どんな由来があるのだろうか? このコラムでは、時計にまつわる名前の秘密を探り、その逸話とともに紹介する。
今回は、フランク ミュラーを代表するアイコニックな名機のひとつ、「カサブランカ」の名前の由来をひもとく。

カサブランカ 5850

カサブランカ 5850
1994年初出の第1世代。カサブランカが発表された当初は、上の写真の5850ケースと、それよりもひと回り小さな2852ケースがリリースされた。現行モデルに比べて小さめのインデックスと、比較的緩いカーブでプリントされたブランドロゴとモデル名が第1世代の特徴である。最初期のモデルは、回転錘(ローター)を18Kゴールド製に変更した自動巻きムーブメントETA2892A2を搭載するが、後に、ローターはプラチナ製に変更された。現行モデルは外周のみをプラチナ製に替えたローターを装備する。第1世代は2000年頃まで製造されたとされる。自動巻き(ETA2892A2)。21石。2万8800振動/時。SS(縦45×横32mm)。
福田 豊:取材・文 Text by Yutaka Fukuda
吉江正倫:写真 Photographs by Masanori Yoshie
(2020年11月7日掲載記事)

フランク ミュラー「カサブランカ」

 フランク ミュラーの真骨頂が複雑機構にあるのは異論のないところだろう。自身が認める、複雑機構の名手。時計の裏蓋には「Master of Complications」という文字が刻まれている。

 だが、フランク ミュラーは時計デザインの名手でもある。

 時計に限らず、一目でそれと分かる、というのはデザインのひとつの究極だ。突飛で目立っていても、洗練されていなければ覚えてもらえない。どんなにつくりが良くても、凡庸であれば目を惹かない。すなわち、一目でそれと分かる、というのは「名作」ということなのだ。

 で、それだから、時計ブランドのほとんどはそれを目指しているのだが、実現できたのはごくわずか。具体的には、ロレックス「サブマリーナー」「デイトナ」、オメガ「スピードマスター」、オーデマ ピゲ「ロイヤル オーク」、パテック フィリップ「ノーチラス」、カルティエ「タンク」、ジャガー・ルクルト「レベルソ」といったところ。おそらく十指に満たないぐらい。名作をつくるのは、言うまでもなく、難しいのだ。

 そして、フランク ミュラーの「トノウ カーベックス」がそのひとつなのである。独特のトノウ カーベックスケースは、遠目でも、一目でそれと分かる。まさしく時計デザインの名作だ。

 トノウ カーベックスケースが発表されたのは1986年。誕生のきっかけは、イタリアの顧客との食事中に、そのご夫人から「フランク、あなたの技術は素晴らしいわ。それについては何の文句もない。でも、もっと違うデザインをつくったら? 古めかしい丸型じゃなくて、自分のデザインで」と言われたこと。「中の機械がどんなタイプのものであろうと、それは問わない。あなたのオリジナルデザインの時計なら私は喜んで買うわ」と言われ、その言葉に痛いところを突かれたように思い、彼女の期待に応えようとしたのだという(『フランク・ミュラー ―人・時計・ブランドの全軌跡―』プレジデント社発行)。

フランク・ミュラー

時計師のフランク・ミュラー。1958年、7月11日、スイス、ラ・ショー・ド・フォン生まれ。ジュネーブ時計学校を卒業後、世界中の名だたる時計コレクターから複雑時計の修理を依頼され、実力を培う。86年にバーゼル・フェアで「フリー オシレーション トゥールビヨン」を発表。91年に、ケースメーカー、テクノケース社の創業者であるヴァルタン・シルマケスと共同でテクノウォッチ社(後のフランク ミュラー ウォッチランド社)を創業。翌92年、自身の名を冠した「フランク ミュラー」ブランドの時計をS.I.H.H.に初出展。98年に、社名を「フランク ミュラー ウォッチランド」に改め、独自の展示会WPHHを毎年開催するようになった。2000年代に入って一時グループを離れるが、数年後に復帰し、現在に至る。