ブルガリとのコラボレーションは「完成形」
H:時をアートとして表現してこられた宮島さんは、最近イッセイ・ミヤケとのコラボレーションのように、身近なものに近づいてこられましたよね。時計もそのひとつの表れに思えるのですが。
M:僕のコンセプトの中に「あらゆるものと関係を結ぶ」というのがあるんですけど、ウォッチもそのひとつですね。イッセイとのコラボもそう。洋服とどうコラボレーションを組むか? 僕は時間を意識してきたし、時というものには概念的に関わってきたけれど、あまり腕時計に親しんでこなかったんですよね。でも、自分の腕の上にムーブメントがあり、それが時を刻み、命の鼓動となる。僕が考えてきた時の概念とどうタッグを組めるのかには興味があったんですよ。
文字盤はTiモデル同様のTi素材。しかし、PVD処理を施すことで、数字はより複雑に見える。どのようにも解釈できる数字から、何を見るのかはオーナー次第だ。自動巻き(Cal.BVL138)。36石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約60時間。セラミックケース(直径40mm、厚さ5.50mm)。30m防水。日本限定120本。221万1000円(税込み)。
H:オクト「フィニッシモ」のコラボレーションモデルは、宮島さんの思う「成功」ですか?
M:成功というか、完成形じゃないかな。フィニッシモは時計としてのフィニッシュワークがすごくないですか? ちょっとびっくりですよ。そういう意味で、僕は大きな発見をしましたね。職人技というのは捨てたもんじゃない、アルティザンはすごい、ここまでできるんだと思いましたね。
腕の上に無限を見たい人へ
H:このフィニッシモは宮島さんのファンが買うのでしょうけど、他にはどういう人に手にして欲しいですか? あえてアート的な物言いをするならば、気にいったらどうぞお求めください、なんでしょうけど。
M:ウィリアム・ブレイクという詩人がいるでしょう。彼の詩に「一粒の砂の中に世界を見て」というのがあるんですが、これは「掌(たなごころ)に無限を見る」と続くんですよ。この時計は、腕の上に無限を見たい人に持っていただきたいなと。今何時かを確認するという瞬間の用途だけではなく、無限を見たい人にとって、この時計って、いろんな思いを馳せるきっかけになると思うんです。
H:宮島さんって、ご自身の営みを言語化されてきたけれど、最後は見る人にお任せ、というスタンスを取ってこられたじゃないですか? この時計もそういったもののように思えます。
M:確かに言語化の努力はとてもしてきましたが、最終的に、アートや人間、時間も空間も結局、分からないんですよ。分からないものであり続けるんですよ。でも、それで投げ出したら、言語化する努力をやめてしまったらおしまいだと思うんです。どこまでも言語化する、理解するという努力をやめてはいけないと。
H:個人的には、震災後あたりから、分かろう、よりつながり続けようという意思を感じるようになりました。
時計を通じて時を見るのではなく、時を通じて時計を見るという試み。優れたリピーター機構を損ねることなく、宮島達男のコンセプトを実現してみせた。手巻き(Cal.BVL362)。36石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約42時間。Tiケース(直径40mm、厚さ6.60mm)。50m防水。日本限定3本。予価2277万円(税込み)。
M:その意思は強くなったかなと。世界には分かりえないことのほうが多いし、理不尽でもあるでしょう。パンデミックもそう。自分たちは戦後教育の中で、何でもできるとおごってきたし、右肩上がりで発展していくと信じてきた。でも、コントロールできない、分かりえない事象はいくらでもあると突き付けられた。でも、分かりえないけれど、分かり合えないまま向かい合う想像力は大事だと思うんです。だからアートって重要な役割を持つと。
H:この時計もそうですよね。分からない人には分からないけど、やがて分かっていくものになるのかなと(笑)。
M:(笑)腕の上で付き合っていく中で、分からなさとどう付き合っていくか? でもこの時計って、ウォッチとしての機能がちゃんとあるでしょう。分からなくても、とりあえずはウォッチを見てくれるじゃないですか。時間が今何時か分かる。触れることができる。
H:そういう点で、僕はこの時計って、宮島さんのアートを理解するサンプルだと思っているんです。使っていく中で、宮島さんのコンセプトを分かっていくものだ、と。