今日の高級時計産業を語る上で忘れてはならないのが、ギュンター・ブリュームラインの存在だ。彼はいくつものスイス高級時計ブランドを復興させ、1970年代のクォーツショック後に機械式時計の人気を復活させた立役者である。IWCとジャガー・ルクルトの立て直しや、A.ランゲ&ゾーネの復興などに貢献した彼の功績はこれからも語り継がれるものである。突然の死から20年経った今でも、彼のビジョンは生き続けている。心から自らを高級時計の世界に捧げた、先見の明のある専門家、優秀なマーケティングのプロ、そしてカリスマ的なボスであった彼について、改めて伝えたい。
Text by Sabine Zwettler
(2022年8月24日掲載記事)
ギュンター・ブリュームラインの高級時計産業界への貢献
フランスの物理学者アルバート・シュワイザーはかつて、「人が世に出す善は、失われることはない」と記した。時計業界において、ギュンター・ブリュームラインの手掛けた数々は2001年10月1日の彼の突然の死から20年以上がたった現在でもそう称賛されている。「ギュンター・ブリュームラインとの思い出は、まるで継続するアドレナリンの放出のようなものだ。彼ほどA.ランゲ&ゾーネを高級時計の世界でナンバーワンにするという野心的なゴールに向かって人々のモチベーションを上げる方法を知っていた人はいない。同時に彼は常に時計を中心に据え、自身は一歩下がった立ち位置にいた」と、A.ランゲ&ゾーネの製造責任者ティノ・ボーベは語る。
伝統的な機械式時計に対する並外れた情熱に、アントニー・デ・ハスも触発された。「ギュンター・ブリュームラインは、技術とマーケティングの両方において、他の追随を許さないエキスパートだった。ブランドをよみがえらせ、多くの開発を推し進めた」。商品開発ディレクターであるデ・ハスは、優れたタイムピースの設計や生産には多くの人が関わっていることを知っている。全員が自分のタスクをこなすチームである。ただ俯瞰すると、アイデアに納得し、決意を持って導く人が必要だ。ギュンター・ブリュームラインは、そのようなリーダーだった。自分がどのようなポジションについていても、どのような仕事を任されようとも、ビジョンを実践へと展開するのである。
1943年にニュルンベルクで生まれたブリュームラインは、他の多くの業界関係者とは異なり、時計製造とは直接の接点がなかった。経済復興期のニュルンベルクで育った彼は、戦争で大きく荒廃した都市が、産業界の名のある会社の進出により、南ドイツの重要な拠点として成長していく様子を目の当たりにした。おそらくこれにより彼が、精密機械を学ぶことになったのであろう。1950年代にユンハンスを買収したディール・グループによりブリュームラインは、1968年にブラックフォレストへ赴くこととなり、そこで時計業界について1から基礎を学んだ。彼はとんとん拍子に出世していき、開発、品質保証、マーケティング、営業などの要職を歴任した。
IWCとジャガー・ルクルトの立て直しに成功
彼は次のポジションでも、並外れた才能を発揮した。その後、ドイツ企業マンネスマンの子会社であるVDOが、A.ランゲ&ゾーネと共にLes Manufactures Horlogères(LMH)から、リシュモン グループへと組み込まれるIWCとジャガー・ルクルトの工房の再編を彼に任せたのだ。当時、ほとんどのスイスブランド同様に、伝統あるこの2ブランドもクォーツ危機に揉まれていた時代のニーズを的確にとらえ、ブリュームラインは潮流を整えることに成功した。彼は才能ある時計職人クルト・クラウスに、IWCの有名なパーペチュアルカレンダーを開発させたのである。
しかしブリュームラインの最大の成功は、自身も同時代の人々も認めているように、A.ランゲ&ゾーネの復興だった。ウォルター・ランゲ(1924-2017年)と共に、東ドイツ時代に社会主義の下で国営化されていた世界的に有名な工房を、ドイツ統一の際に事実上ゼロの状態から復活させたのだ。『ライン・ネッカー・ツァイトゥング(Rhein-Neckar-Zeitung)』の前編集長、マンフレット・フリッツは当時以下のように記している。「ギュンター・ブリュームラインの手法は、脱線した列車を線路に戻し、新しい方向へ送り出すというものだった。その方向性は、A.ランゲ&ゾーネが高級時計市場の頂点に立つというように予め決まっていた。ただ今回、線路はすべて敷設し直さねばならなかったが」。かつて高品質なの懐中時計で名を馳せたものの、1990年には神話としてしか存在しなくなったA.ランゲ&ゾーネを、40年以上の歳月を経て、まったく新しい戦略で立ち上げることになったのである。
ウォルター・ランゲと共にブリュームラインは、A.ランゲ&ゾーネを再び高級時計のトップへと導くため、会社、製品、マーケティングに関するコンセプトの一体化を図った。同社の初期の懐中時計「1Aクオリティ」は、東ドイツ時代のような低コスト生産の量産品ではなく、最高級の品質を追い求める力強いブランドと商品哲学に寄与した。「この50年間、コレクターはA.ランゲ&ゾーネを忘れてはいない。我たちもそうだ」と、ブリュームラインは語っている。ブランド創業者フェルディナント・アドルフ・ランゲの精神にのっとり、新しい腕時計は有用な革新技術と完璧な職人技が組み合わせられ、伝統と現代との架け橋となった。
4本の腕時計で成功の再スタートを切る
A.ランゲ&ゾーネの時計は、すべてが芸術作品である。機械と職人技に対する時計職人の情熱を、ブランドの紛れもないスタイルと豊かな歴史と組み合わせる。これらはブリュームラインがまとめたコンセプトのアプローチだ。彼は勝利と敗北の間に横たわるものが僅差であるということに気が付いていた。「新参者である以上、弱音を吐くわけにはいかない。私たちの製品は、細部に至るまで正確でなければならない」と、1994年10月24日にドレスデンで行われた最初のプレゼンテーションの際に彼は話している。A.ランゲ&ゾーネ新時代における最初の4モデルを発表した際のことだ。出席した専門店やジャーナリスト、来賓からも、これらの腕時計は完璧にその要求を満たしていると評価された。ほどなく製作された123本には世界中のコレクターが殺到し、すぐに完売となった。
この成功はウォルター・ランゲとブリュームラインが、特別感と一貫性ある戦略構築に神経を尖らせたことを示すものだった。伝統的な仕上げや職人技の復活、ケースに金やプラチナ、部品に洋銀などの高級素材の採用などが挙げられる。新世代のモデルは、これらを具現化している。
オフセンターダイアル、一般モデルとしては初のアウトサイズデイト、長時間のパワーリザーブを担保するツインバレルなど、ランゲ1は現代におけるブランドの力を表現している。販売の際に用いられた、ウィットに富み、そして自信に満ちた言葉、「伝説が再び時計となった」は、コレクターたちの心をつかんだ。そしてなんという時計であろう。この「ランゲ1」が、永久カレンダーやトゥールビヨンなど、最も高度な複雑機構を搭載し、さまざまなサイズや職人技を展開するコレクションのベースとなるとは、当時、誰が想像できただろう?
ブリュームラインはまた「世界最高の時計を作った」と大胆な発言をした。これにほほえむ人のなかにザクセンの人々もあった。その美しい証明のひとつに、「トゥールビヨン“プール・ル・メリット”」がある。この時計は、A.ランゲ&ゾーネが復興コレクション第1弾として発表した4モデルのひとつで、常に一定の動力を伝達するための巧妙なメカニズム、チェーンフュジーによる駆動機構を備えていた。複雑時計を代表するこの機構はそれまで腕時計に実装されたことがなく、A.ランゲ&ゾーネを高級時計の頂点へと押し上げた。
複雑なクロノグラフと独自のヒゲゼンマイの実現
1999年のバーゼルワールドで発表された「ダトグラフ」も、まさにセンセーションを巻き起こすものであった。スイスの有名メーカーでさえ、何十年もの間クロノグラフのムーブメントを外部調達していたのに、A.ランゲ&ゾーネはこれを自社開発し、度肝を抜いたのだ。当時、クロノグラフキャリバーの設計と生産は、時間とコストの面から実現困難とされていた。ダトグラフに搭載された初めての自社製クロノグラフキャリバーは、その好例である。
初代ダトグラフに搭載されたキャリバーL951.1は時間計測ができるだけでなく、正確な分積算計やフライバック機構など、当時の状況を大きく塗り替えた技術的に洗練されたものを備えていた。ブリュームラインがその発表を見届けることができなかった「ダブルスプリット」は、ダブルラトラパント機能を搭載する初めての機械式クロノグラフであるだけでなく、最初の自社製ヒゲゼンマイ搭載モデルとなった。この完成により、グラスヒュッテの高級時計作りは21世紀においても新しいものを生み出すことができるということがまたもや証明されたのである。
ブリュームラインの庇護のもと生み出された革新的なデザインと発明は、その後の時計業界にインスピレーションと刺激を与え、それは現在でも影響を与え続けている。「ギュンター・ブリュームラインは業界でも特別に尊敬された存在である。彼は現実主義者であると同時に空想家であった。彼ほど、自分の野心にあふれたゴールに向かって一緒に仕事をしてくれる人々を鼓舞し、彼らに着想を与えられる人はいなかった」と、ウォルター・ランゲはギュンター・ブリュームラインとの思い出を回想している。彼の視野と情熱は、その存在を不変のものとし、現在も生き続けている。
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