1979年に時計作りを始めた時計師、フランク・ミュラー。95年以降、彼が本社兼工房として発展させてきたのが、ジュネーブ郊外のウォッチランドである。92年に創業された時計ブランド、フランク ミュラーは2005年に一貫生産体制を整えたが、一通りの完成を見たのは18年のこと。ついに全貌が明らかになったウォッチランドは、想像以上の〝キャビノチェ〟であったーー。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2023年7月号掲載記事]
Inside the Latest FRANCK MULLER WATCHLAND
時計師としてのフランク・ミュラーが傑出した存在であることは言をまたない。彼は〝独立時計師〞という職業を打ち立てただけでなく、独自のスタイルを築き、やがてフランク ミュラーを高級時計ブランドへと昇華させた。支えてきたのは、本社兼工房のウォッチランドである。
1992年創業のフランク ミュラーは、95年に設けたウォッチランドを、一大マニュファクチュールとして整備してきた。しかし、フランク・ミュラー自身も、ブランドとしてのフランク ミュラーも、その内実を積極的に明かしてこなかった。半端な状態での公開を望まなかったためだろう。しかし、一部のメディア関係者が「永遠に終わらない」と評していた工事は2018年に一段落し、ようやくウォッチランドの全容がお披露目された。
ウォッチメーカーとしてのフランク ミュラーの個性、換言すれば、美徳は3つある。トゥールビヨンをはじめとする自社製ムーブメント、トノウ カーベックスが象徴するユニークなデザイン、そして両者の高度な融合だ。ウォッチランドの生産体制を見ると、なるほど、このメゾンが他にはない時計を作り続けられてきたことがよく分かる。1992年にわずか3名で始まったウォッチランドは、現在500名のスタッフを擁するまでになった。
これほど拡大した理由は、デザインから自社製ムーブメントの製造・組み立て、そしてプロトタイプの外装製造までを行うためだ。しかも、その「純度」は極めて高い。例えばネジ。多くのメーカーはサプライヤーから購入しているが、フランク ミュラーは自製している。テンワもチラネジも内製、ヒゲゼンマイを巻く作業も社内で行うというから、ウォッチランドはスイスでも稀有なマニュファクチュールと言えるだろう。
さらに自社製ムーブメントが使うヒゲゼンマイもフランク ミュラー製なのである(ただし、ヒゲゼンマイの製造部門は別の場所にある)。その作業を見ると、ヒゲゼンマイを巻くだけでなく、ひとつひとつカットしている。しかも、テンプを組む際は、部品を組むだけでなく、仕上げも加えている。ヒゲゼンマイの作業に15分、テンプの組み立てに30分かかるという。他社から購入した方が時間は短縮できるだろうが、フランク ミュラーには15種類ものテンプがある。自社製造を選んだのも納得がいく。
新しいグランド カーベックスケースにセントラル トゥールビヨンを組み合わせた野心作。2006年にトゥールビヨンの一貫生産体制を整えたフランク ミュラーは、21年に初のセントラル トゥールビヨンを完成させた。時分針はセラミックス製ベアリングで保持され、脱進機はエレクトロフォームで成形されている。自動巻き。1万8000振動/時。パワーリザーブ約84時間。18KPGケース(縦58.6×横40mm、厚さ20.6mm)。日常生活防水。2200万円(税込み)。
設備も充実しており、部品を製造する棟には、18台のCNC工作機械と、6台の放電加工機がある。しかし、ここで見るべきは、スタッフの質と、昔ながらの手法だろう。部品製造部門では、機械のプログラミングから切削までをひとりのスタッフが担当する。分業の進む時計業界にあって、ひとりのスタッフが、これほどさまざまな仕事を担うメーカーは珍しい。
結果として、ウォッチランドには、優れたスタッフが長期間留まるようになった。10年や20年籍を置くスタッフは珍しくないし、外装研磨部門の責任者であるマルタン・マニュエル氏に至っては、長いキャリアをフランク ミュラーのみで過ごしているという。しかも、彼らスタッフの多くは、スイスの一流ウォッチメーカー出身なのだ。なぜウォッチランドへ転職したのかと尋ねたところ「さまざまな仕事ができるし、環境が良いから」とのことであった。
いっそう昔ながらの時計作りを感じさせるのは、仕上げ部門である。研磨に使われるディスクは、ふたつが革、ひとつがブナの木、そしてもうひとつが仕上げ用のフェルトである。こういうツールを使って、例えばトゥールビヨンの受けならば、約4時間をかけてエッジを整えていく。面取りだけで13名のスタッフがいるというから、規模はかなり大きい。
質の高いスタッフと古典的な時計作り。このふたつを強く感じさせるのが、トゥールビヨンの組み立て工房だ。他社との違いはふたつ。時計師は基本的に生え抜きで、サブアッセンブリーの工程が存在しないことだ。トゥールビヨン部門の責任者はこう語った。「普通のモデルを組み立てる時計師の中から、優秀な人材を選抜しています。モチベーションは上がりますよね」。
(右)組み立て中の「グランド セントラル トゥールビヨン」。主ゼンマイを巻く角穴車を仕上げる作業は、時計師の担当である。
そして、その時計師たちがキャリッジの組み立てからケーシング、場合によっては追加仕上げまで行っているのである。時計師たちがヤスリを手にキャリッジを組み上げる様は、分業が当たり前となった21世紀の光景とは思えない。しかも複雑時計を組み立てる時計師たちの工房は、社屋の最上階に設けられている。まさに〝キャビノチェ〞なのだ。
もっとも、フランク ミュラーの面白さは、古典的な手法でモダンな表現を行う点にある。例えば、新しい「グランド カーベックス」。立体的なケース形状は従来に同じだが、ケースが2層構造になり、サファイアクリスタルは上下方向に延長された。このケースにトゥールビヨンを載せた「グランド セントラル トゥールビヨン」は、内外装を高度に融合させた試みである。フランク ミュラーのムーブメントは、2000年代半ばからスペーサーを介さず、ケースに直接固定されるようになった。ケースとのクリアランスはわずか100分の6㎜。ムーブメントとケースの設計を1カ所で行うことで、厳密な管理が可能になったのだ。
(中)地板を磨く工程。エッジはある程度成形されているが、丸みを持った鏡面を与えるのはあくまで手作業だ。木にダイヤモンドパウダーを付けて、丁寧に角を丸めていく。
(右)加工された地板。「切削する際の音や振動で機械を微調整する」というノウハウにより、部品の加工精度は±2ミクロン(!)に収まる。
「ヴァンガード 7デイズ パワーリザーブ スケルトン」もウォッチランドならではのタイムピースだ。これはかのピエール・ミシェル・ゴレイ氏が設計した古典的な7日巻きムーブメントをモダンに再解釈したもの。デザイン担当は、「グランド セントラル トゥールビヨン」と同じジョンルー・グレナ氏。ムーブメントを仕立て直したのは複雑時計の設計を行うフローリアン・グレイフィエ氏。
「本来は他の部門で設計をするのだが、非常に難しいので複雑時計部門で担当した。私たちは今までにないものを作ろうと考えている。その点、他の部門とコミュニケーションを取りやすいフランク ミュラーはやりやすい」とグレイフィエ氏は語る。確かに、歩いてすぐのところにデザイン部門や製造部門があれば、コミュニケーションはやりやすいに違いない。
手巻きの傑作であるCal.1702をスケルトン化し、ヴァンガードに搭載したモデル。香箱をふたつ重ねたほか、主ゼンマイの素材を見直すことで、約168時間ものパワーリザーブを実現している。巻き上げヒゲゼンマイやチラネジ付きのテンワといった、今では珍しいディテールも魅力的だ。手巻き(Cal.1740VS)。1万8000振動/時。パワーリザーブ約7日間。18KPGケース(縦53.7×横44mm、厚さ12.8mm)。日常生活防水。759万円(税込み)。
アヴァンギャルドなイメージからは想像がつかないほど、古典的な時計作りが残るフランク ミュラーのウォッチランド。自社製ムーブメント、ユニークなデザイン、そして両者の高度な融合を可能にしたのは、ジュネーブ最後の〝キャビノチェ〞だったのである。
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