ひとりのイタリア人の高等戦術とその進化
2011年に発表された「ルミノール 1950 スリーデイズ-47MM」。この時計から過去のプロダクトを俯瞰したときに、パネライの方向性が大きく変わったことが理解できる。具体的には、限定モデルから定番の拡充へ、そしてヴィンテージムーブメントではなく、自社製ムーブメントの採用へ――。では何が変化のカギを握ったのか。その答えは「立体感」である。
1998年の復興以降、大きな発展を遂げたパネライ。注意深く見ると、その拡大は見事な戦略に従っていたことが理解できる。復活した当初のパネライは、明らかに好事家向けの時計であった。事実、そのサイズは人々の支持を集めたものの、リピーターとなり、その魅力を広めたのは「パネリスティ」と言われる愛好家たちだったのである。パネライが彼ら向けに限定モデルをリリースしたのは当然だろう。この時代、数多くのヴィンテージムーブメントが「発掘」され、限定モデル(その大半がラジオミールだった)に搭載された。中にはシェザーのジャンピングセコンドという、パネライとは関係がないムーブメントさえ選ばれたのだから、その傾倒ぶりは想像に難くない。パネライは、ヴィンテージムーブメントを載せた限定モデルを頂点に据え、レギュラーのルミノールを下に置くというヒエラルキーを完成させようとしていた。
しかし「マニュファトゥーラ宣言」以降、パネライはその方向性を大きく改めた。CEOのアンジェロ・ボナーティは、ヴィンテージムーブメントではなく自社製ムーブメントで、また限定モデルではなく定番品でヒエラルキーを設けようと考えたのである。
しかしパネライは、外観で違いを演出しにくい時計である。対してボナーティは、立体感で違いを持たせるというアプローチに取り組んだ。結果、造形に拡張性を持たせにくいラジオミールではなく、より「立体的」なルミノールが着目されたのは当然だろう。そういった戦略を顕著に示すのが「ルミノール 1950」である。通常の自動巻きに比べると、8日巻きと10日巻きは明らかに立体感を増しているのが分かる。同様にルミノール 1950の手巻きモデルも、既存のルミノールに比べて造形が立体的だ。関係者は否定するが、パネライがルミノールのプロトタイプという馴染みのないモデルを復刻し、あえて定番に据えた理由は、その立体感がヒエラルキーを与える(かつ価格を上げる)のに向いていたためだろう。確かにキャリバーP.3000は優れている。しかしそれを載せた時計が従来のルミノールに同じなら、おそらくあまり注目も集めなかったに違いない。
マニュファトゥーラ化を境に大きな変換を遂げた、パネライの商品構成。しかし同社を成功に導いてきたのは、言うまでもなく、プロダクトの高い完成度にほかならない。ボナーティは、確かにマーケティングに長けている。しかし優れたプロダクトを伴わないと画餅になることを、おそらくは、もっともよく理解しているに違いない。マーケティングを支えてきた巧みな物作り。パネライで特筆すべきは、むしろその点なのである。