進化する〝ハイテク セラミック〟
工房拡張と新たなセラミック使いの試み
高級時計部門の新設時からパートナーシップを組んできた、大手外装サプライヤーのG&Fシャトラン。その経営権がシャネルへと移行した1993年から、J12の開発がスタートしたのは果たして偶然だろうか?J12を象徴する“ハイテク セラミック”の開発と内製化、そしてさまざまに試みられてきた進化の過程を追う。
シャネルが高級時計部門を新設した1987年。その当初からパートナーシップを築き上げてきたサプライヤーが、ラ・ショー・ド・フォンのG&Fシャトランであった。47年に創業した同社は、本来ブレスレットとバックルの専業メーカーであったが、後にケースメイキングとジュエリーセッティングも手掛けるようになる。オーナーが高齢を理由に引退を表明した93年以降はシャネルが経営権を引き継ぎ、この時点からシャネルは、敷地面積約8000㎡に及ぶ広大なファクトリーと外装パーツの製造、アッセンブリーの技術を自社に有することになる。コードネーム「エクス・ニヒロ」、すなわち後のJ12の開発がスタートしたのは、これと同年であった。仮にエクス・ニヒロが、ゴールドやスティールを用いる通常の構成だったなら、シャネルはこの時点で、品質的に十分なキャパシティを有していたことになる。しかしエクス・ニヒロは周知の通り、漆黒の〝ハイテク セラミック〟の外装をまとって発表されることになる。開発に要した約7年という期間は、手練れの外装サプライヤーが、まったく新しいマテリアルに向き合った期間でもあったのだ。
一般的に、長石や珪石、粘土などの自然原料をそのまま焼成するオールドセラミックス(いわゆる陶磁器)に対し、ジルコニアやアルミナなどの合成原料を用いて、原料の粒子の大きさや焼成温度まで厳格に管理したものをニューセラミックス、またはファインセラミックスと呼ぶ。しかしシャネルが完成させた〝ハイテク セラミック〟は、こうした工業用ファインセラミックスの域を超えて、ジュエリーに伍する質感と恒常性を備えたものだった。発表されている範囲の原料は、二酸化ジルコニウムとイットリウム。これに漆黒、または純白に発色させる色素とバインダー(結合材)を加えてケース形状に成形した後、約1000℃の炉で焼成させる。変質や変色の原因となるバインダーの選定には細心の注意が払われ、ポリッシングのノウハウも同社独自のものだ。初出からしばらくは、生産の一部を外部に委ねていたが、2006年頃までには、完全な内製化を成し遂げている。
2000年に発表された漆黒のJ12に続き、03年には純白のハイテク セラミックが登場。同社のコードカラーを再現したハイテク セラミックを揃えて以降のシャネルは、新たな試みに着手する。その端緒となったのは、05年に発表された「J12 トゥールビヨン」であった。ラ・ジュー・ペレ製のエボーシュをベースに、地板を漆黒、または純白のハイテク セラミックに置き換えたこのモデルは、フィリップ・ムジュノー(シャネル パリ 時計・宝飾部門 社長、当時)の言によれば、ソフィスティケイトされたコンプリケーションウォッチとしての大きな成功を収め、後に続くコレクションの大きな転機になったという。
ハイテク セラミック製の地板には、香箱、3番車、キャリッジの受け石が、シャトンを用いて組み込まれており、寸法精度への配慮も窺える。続く08年の「J12 キャリバー 3125」は、トゥールビヨンの成功を受け、〝より進化したJ12〟として企画されたもの。自動巻き、3針、カレンダー表示付きというオリジンに立ち返ったスタイルは06年の時点で決定されており、ジュエリーと同等の価値を持つ高級機械式ムーブメントの選定が始まった。同モデルにムーブメントを供給するのはオーデマ ピゲで、同社キャリバー3120と同スペックのエボーシュが用いられるが、バランスブリッジの意匠は直線状に変更されている。もうひとつの大きな変化がローターだ。中心部にハイテク セラミックを用いたローターはシャネルの自社工房で製造され、部品をル・ブラッシュに送って組み付けられる。
これ以降、ハイテク セラミックに関するシャネルの試みは、再び外装面にフォーカスされてゆく。09年にたった5本だけ製造された「J12 エクスクルーシブ エディション ハイ ジュエリー」(インテンス ブラック)では、文字通りハイテク セラミックをハイ ジュエリー素材として用いたのだ。バゲットカッティングされた724個のブラック ハイテク セラミックを、18KWG製のケースとブレスレット、そしてダイアルに敷き詰めたのである。このモデルにもキャリバー CHANEL-AP3125が搭載され、内外装ともにジュエリーと同等の価値を具現化してみせた。
さらに大きなインパクトを与えたのは、11年に登場したハイテク セラミックの新色「クロマティックカラー」だった。同時にこれは、ブラック、ホワイトに続く、第3のレギュラーバージョンでもあった。ニコラ・ボー(パリ 時計部門 インターナショナル ディレクター、当時) が最初に例えたのは「刻々と変化する、嵐がくる直前のミステリアスな空の色」。光の加減や周囲の状況で表情を変えるハイテク セラミックの新素材、〝チタン セラミック〟を表現した言葉である。同時に、サファイアクリスタルに匹敵する表面硬度を持つ素材を完璧にポリッシュするために、ダイヤモンドパウダーを用いる研磨技術も採用された。
今年シャネルは、ラ・ショー・ド・フォンのファクトリーを、従来の約1.5倍の規模に拡張している。これに伴い、これまで一部しか生産してこなかったチタン セラミックの完全内製化も実現させた。ハイテク セラミックを軸に、飛躍的な進化を遂げてきたシャネルのウォッチメイキング。確かにそれは、ラグジュアリーメゾンとしての同社の一側面に過ぎない。しかし21世紀初頭に現れたデザインを、アイコニックウォッチとして認知させた事実は決して動かない。それはセラミックという素材についても同様である。