意図的に仕組まれたコレクターズピースの資質

独創的な造形と優れた品質を両立させたカサブランカ。加えてこのコレクションには、愛好家を引きつけるべく、もうひとつの要素が盛り込まれた。それが意図的に仕組まれた“イレギュラー”の存在である。各世代を問わずに見られるさまざまな違いは、なるほど気鋭の独立時計師が手掛けたモデルならではだ。

CASABLANCA 5850 1st Generation Models
1994年初出。小さなインデックスと、横に広がったロゴが、第1世代の特徴である。なお最初期の個体は、18Kローターに変更されたETA2829A2を搭載する。以降はプラチナローターに改められた(現行品は外周のみプラチナに変更)。ストラップは手縫いのJ.C.ペラン製。2000年頃まで製造されたとされる。

 トノウ・カーベックスがいつ誕生したかについては、関係者の間でも意見が分かれている。1980年代初頭にはあった、と述べるのはヴァルタン・シルマケスだ。対してフランク・ミュラーは86年が初出だと語る。彼はその経緯をこう語っている。有名なエピソードだがあえて再掲したい。

 フランク・ミュラーがコレクターのイタリア人夫妻と会食をした際、夫人はこう述べた。「あなたの時計は機械こそ素晴らしいが、デザインに個性がない」。対して彼はリピーターに永久カレンダー機構を加えたムーブメントを製造し、それをトノーケースに収めてみせた。このモデルは、86年のイタリア・ビチェンツァ見本市に出展され、フランク・ミュラー曰く「ここでとても人気が出た」(前掲書「フランク・ミュラー」より)。併せて彼はこの時計の文字盤に、デフォルメされたビザン数字を採用。トノウ・カーベックスにビザン数字の組み合わせは92年の量産型(2850OP)にそのまま転用された。

「1992年に発表した時計は、デザイン的にはまったく同じです。一点モノか量産品かの違いです」(同「フランク・ミュラー」)。

 これをベースにしたのが、防水性能を持たせた2851ケースであり、量産向けにモディファイを加えた2852ケースであった。サイズがわずかに変更され、防水性能が高められた2852ケースは、いわばすべてのトノウ・カーベックスの祖となった。2852ケースなくして、カサブランカの成功はなかったといえるだろう。

 フランク ミュラー初の量産モデルとなったカサブランカ。とはいえ、生産本数は極めて少なかったし、顧客もコレクターが大半だった。そのためミュラーはこの〝普通の時計〟にさえ、コレクター心理をくすぐる要素を加えようと試みた。とりわけ1994〜2000年前後まで作られたとされる第1世代機に、そういった「遊び」は顕著だ。

CASABLANCA 5850 3rd Generation Models
初出は2003年頃。ケース形状は第1、第2世代にほぼ同じ。しかし裏ブタ側に向けてわずかに絞り込まれたほか、ラグ内側の加工が良くなった。第2世代に比べてインデックスが大きくなった他、ロゴの湾曲も大きくなった。自動巻き(ETA2892A2)。21石。2万8800振動/時。SS(縦45×横32mm)。3気圧防水。105万円。

 普通、時計の文字盤の表面には、保護用のクリアラッカーが吹かれる。メーカーによってまちまちだが、その厚みは10〜20ミクロン。この薄い膜が、湿気や紫外線から文字盤を保護するのだ。

 しかし経年変化を意図的に起こさせるため、フランク ミュラーはカサブランカの文字盤から、クリア処理を省いてしまった(現行モデルは薄く吹かれているようだ)。うがった見方をすると、処理を省いた理由は、当時のクリア塗料では薄くて丈夫な保護膜を施せなかったため。厚く吹けば文字盤を保護できるが、文字盤からは繊細なニュアンスが失われる。おそらくその理由もあって、思い切って処理を省いたのだろうが、経年変化が楽しめる文字盤という打ち出しは、好事家の心を掴むには十分だった。筆者の知る限り、変化を楽しめる文字盤は、後にも先にもカサブランカしかない。

 フランク ミュラーは色そのものにも工夫を凝らした。基本的に、カサブランカのダイアルカラーはホワイト、ブラック、そしてサーモンピンクである。白と黒はさほどでもないが、ピンクでは色のばらつきが大きい。そもそもピンクは発色が安定しにくい色だが、それ以上に、フランク ミュラーが細かなモディファイを加えたためでもあった。これもまた〝あえて狙った〟ものだろう。

 いくつかの例を挙げたい。サーモンピンク+ホワイトインデックスの文字盤は、ラッカーを吹く前に下地に銀もしくはロジウムメッキを施している。そのため文字盤の色は明るく、角度によってはラメ調に見える。対してサーモンブルーのインデックスは、下地のメッキを金に改めている。そのため文字盤の色は少し深く見える。ロットごとに変えているのではなく、インデックスの色によって下地処理を変えたわけだ。こういった繊細なモディファイ、または意図的なイレギュラーの多さを思えば、いわゆる〝初期フランク〟が愛好家から熱狂的に支持された理由も分かる。

第1世代の2852、5850ケースにはさまざまな文字盤が用意された。2852用のサーモンダイアルを例に挙げると、左上から時計回りにブルーインデックス(通称サーモンブルー)が2枚、レイルウェイトラック付きのブレゲインデックス、最も標準的なホワイトインデックス(蓄光)、そしてサハラインデックス。ベースカラーはすべて同色。しかし下地の処理を変えることで、色調をわずかに変えている。

 世代ごとの細かな違いもコレクター心理を刺激するには十分だった。2000年頃に発表された第2世代では、ビザン数字が大きくなったほか、ロゴの湾曲も強調された。簡単に言うと、文字盤下の「CASABLANCA」が、7時位置から5時位置に広がったのが第2世代である。ケースは第1世代と同じ。ただし第1世代、第2世代共に、裏ブタの刻印には複数のバリエーションがある。あくまで個人的な意見だが、このあたりまでが〝初期フランク〟と呼べるのではないだろうか。

 2003〜13年頃まで製造されたのが、第3世代である。インデックスがいっそう拡大したほか、ロゴの湾曲も強まり、ケースも一新された。側面のボリュームが増したほか、裏ブタの曲がりも強くなっている。多少マッシヴになったが、腕馴染みはさらに良くなった。なお関係者の意見を聞く限り、悪名高いブレスレットの質が改善されたのは、第3世代以降である。実用性を考えるならば、第3世代以降のモデルをお勧めしたい。

 続いて14年頃に発表されたのが、第4世代である。外観は第3世代とほぼ同じだが、リュウズが大きくなり、インデックスも太くなった。違いはわずかだが、分かる人には分かるという細かなモディファイは、当初から何も変わっていないのである。

 独立時計師率いる小メゾンから、スイスを代表する大メーカーへと成長を遂げたフランク ミュラー。当初の〝試行錯誤〟が、愛好家にとって好ましいことは理解できる。しかし面白いことに、今なおフランク ミュラーは愛好家をくすぐる仕掛けをカサブランカに施そうとしているのだ。最後はそうしたサンプルを見ていくことにしたい。