今や、世界的な知名度を誇るようになったジン特殊時計会社。しかし、そんな同社が腕時計クロノグラフの製造を始めたのは1960年代も後半になってからのことだった。ミリタリーユースを意識した防水ケース入りの「103」は、80年代後半以降、ジンを代表するモデルへと変貌を遂げる。

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https://www.webchronos.net/iconic/49018/

星武志:写真 Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Special thanks to Michele Tripi (vintage-sinn-collector.de)
[クロノス日本版 2020年7月号初出]


ジャーマンフリーガーの基本形
そのディテールと変遷

1960年代後半の「103 コンパックス」に始まった103の歴史。防水ケースを与えられたこのクロノグラフは、70年代の第2世代を経て、86年の第3世代で完成を見た。94年にジンを継承したローター・シュミットは、以降もこのモデルのテコ入れを行い、103の個性をいっそう強調するようになる。

103.A

103.A [1960’s]
1960年代後半にリリースされた、第1世代の103。バルジューのCal.72を、ピケレ製の防水ケースに載せる構成は、同時代のクロノグラフに同じである。60年代後半から74年まで製造されたとされる。手巻き(Cal.Valjoux72)。17石。1万8000振動/時。SS。参考商品。

 かつてヘルムート・ジンは「フランクフルター・アルゲマイネ」紙の取材に対し「ヘルムート・ジン特殊時計社」を創業した理由を次のように語っている。「私には仕事がなかった。そこで多くのスペースと素材を使わないでできる仕事を探していた」。彼は時計師ではなかったが、1950年代以降フクロウ時計の販売に携わっており、時計業界と無縁ではなかったのである。

 1961年に設立された同社が最初に手掛けたのは工業用タイマーとストップウォッチの販売だった。しかし同社は程なくして、コクピットクロックである「NaBo」(Navigationsborduhren)の開発に着手。61年当時、ドイツの航空機に使われていたコクピットクロックは、43年にユンハンスが完成させたものであり、すでに時代遅れになりつつあったからだ。対してジンは、バルジューのVJ5をベースにした、視認性に優れるコクピットクロックを完成させた。これは高い評価を受け、やがてルフトハンザ航空が所有するボーイング707、727、737、そしてドイツ空軍のロッキードF104、フィアットF91、ベル・エアクラフト UH-1D、ドルニエ Do 27とDo 28に採用されるようになる。余談になるが、ほぼ同時期に、ホイヤーも視認性の優れるダッシュボードクロックの「オータヴィア」(腕時計ではない)を完成させている。優秀なラリードライバーであったヘルムート・ジンとジャック・ホイヤー。このふたりが、とにかく視認性を重視したクロックを完成させたことは興味深い。

103.B

103.B [1980’s]
第3世代の最初期型。ケースはおそらくオールドストックを転用したものだが、ベゼルが細身で、ラグの形状やベゼルの表記もわずかに異なる。試行錯誤のあった、初期モデルならではの仕様違いだ。手巻き(Cal.ETA7760)。17石。2万8800振動/時。SS。参考商品。
103.A

103.A [1980’s~90’s]
こちらはバーインデックスの103.A。搭載するムーブメントは替わったが、ホワイトインダイアルは踏襲されている。ラグを太くした新しいケースは、往年の103のような外観をもたらした。手巻き(Cal.ETA7760)。17石。2万8800振動/時。SS。参考商品。

 そのヘルムート・ジンが、いつ腕時計の製作に取り組み始めたのかは分からない。しかし、60年代半ばにダイバーズウォッチを販売していたことは確実であり、60年代後半には、腕時計クロノグラフの製作を始めたと推測できる。著名なジンコレクターであるミケーレ・トリピの記述に従うと、最初に作られた「103」は、バルジュー72を搭載した「103コンパックス」だった。その最大の特徴は、エルヴィン・ピケレ(EPSA)の開発した防水ケースを持っていたこと。64年以降、ケースメーカーのピケレは高い防水性能を持つ「コンプレッサーケース」の量産に成功し、ブレゲ、ホイヤー、ジャガー・ルクルト(ルクルト)などにも、防水ケースを提供するようになっていた。その結果、60年代後半になると各社は、防水性能を強調したクロノグラフを相次いでリリースするようになったのである。そのひとつがジンだった。

 60年代当時、ドイツ連邦軍のミリタリーウォッチに関する規格はNATOのそれに準拠しており、つまりはフランス空軍の規格であるタイプ20と21がスタンダードになっていた。従って、ミリタリーユースを想定した103のファーストモデルは、ドイツ版のタイプ20もしくは21とも言える内容を持っており、本家であるブレゲの「タイプXX」は言うまでもなく、その構成を踏襲した、ジャガー・ルクルトの「E2643」や、ホイヤーの「オータヴィア」にも酷似していた。ミリタリーウォッチの愛好家からは異論がありそうだが、ピケレの防水ケースと、バルジューのクロノグラフムーブメントを載せたこれらのモデルは、新しい世代の「タイプ20/21」に分類してよさそうだ。もっとも創業当初のジンは腕時計に関する限り、部品を集めて、スイスのアッセンブリーメーカーに組み立てさせるというスタイルを取っていたため、手に入った部品によって、103のバリエーションは大きく異なっていた。なお103コンパックスのリリース時期はジン本社でさえも分かっていないが、エルヴィン・ピケレ製防水ケースの発表時期を考えると、68年あるいは69年と考えるのが妥当だろう。

103.B ムーンフェイズ

103.B ムーンフェイズ [1990’s]
1993~95年にかけて600本作られたと言われる限定モデル。手巻きも存在し、一部モデルには極めて珍しいサファイアクリスタル製のケースバックが採用された。自動巻き(ETA7758)。17石もしくは25石。2万8800振動/時。SS。参考商品(撮影協力/阿部時計店)。
103.B.SA.AUTO

103.B.SA.AUTO [1990’s~2010]
一部の103は、ダイバーズクロノグラフの「203」に準じた改良が加えられた。リュウズガードが付いたほか、プッシャーもねじ込み式に変更された。現行品は回転ベゼルの夜光が異なるほか、湿気を吸収するドライカプセルが追加された。自動巻き。SS。参考商品。

 70年代に入ると、103はムーブメントをキャリバー72から、高振動版の726に置き換えた第2世代(この定義はミケーレ・トリピによる)に進化した。これもまた、ブレゲのタイプXXの改良に準じたものだった。併せてデザインにも手が加えられ、バーインデックスのほかに、アラビックインデックスも加わった。この新しいデザインは、なお生産中だったブレゲのタイプXX(1980年まで製造された)に極めて似ており、かつての103が、ミリタリーユースの腕時計だったことを強く思わせる。

 しかし、74年にはバルジュー726が製造中止となり、数年後には、在庫もなくなったと推測できる。そこで70年代後半になるとジンは、クロノグラフのムーブメントにレマニア1045(ジンは140という名称を与えていた)とその後継機にあたる、レマニア5100を採用するようになった。センター同軸の60分積算計を持つこのムーブメントは、視認性を重視するヘルムート・ジンの好みにかなったようで、80年代から90年代にかけて、同社のムーブメントはレマニア一辺倒になる。

103.TI.AR

103.TI.AR [1990’s]
非常に珍しいモデル。通常の自動巻きモデルに見えるが、ケースはチタン製。加えてアルゴンガスが注入されるほか、ドライカプセルも埋め込まれている。ベゼルはアルミ製だが、風防もサファイア製となった。おそらく1990年代後半製。自動巻き。Ti。参考商品。
103.B.AUTO

103.B.AUTO [2012~]
103らしさを最も残した現行モデル。1986年モデルの造形を踏襲するが、リュウズガードが加わったほか、回転ベゼル上の夜光が異なる。風防は強化アクリル製。自動巻き(ETA7750)。25石。2万8800振動/時。SS(直径41mm、厚さ15.5mm)。20気圧防水。29万円。

 なぜジンは、機械式時計冬の時代にも、機械式クロノグラフを作り続けたのか? まったく資料は残っていないが、推測してみたい。83年にセイコーがキャリバー7Aを発表するまで、市場にアナログ式のクォーツクロノグラフムーブメントは存在しなかった。唯一の例外は、自動巻きだけでなく、クォーツにも載せられる、クロノグラフモジュールのデュボア・デプラ2000系である。ジンはこのムーブメントを通称「ドクターズクロノ」に採用したが、他のモデルに広まることはなかった。おそらく、クォーツの弱いトルクでは、高い視認性をもたらす、太くて長い針を安定して駆動できなかったためだろう。

 そのため各メーカーは、時代遅れと知りつつも、機械式のクロノグラフムーブメントを使う以外の選択肢はなかったのである。細々とながらも機械式クロノグラフの製造を続けていたフランスはまだ恵まれていたが、ドイツの状況は芳しくなかった。というのも、ドイツ連邦軍に腕時計クロノグラフを納入していたハンハルトやユンハンスが、60年代後半にその生産をやめてしまったのである。残されたのはジンだけだった。皮肉なことに、自社でムーブメントを作らず、顧客をプロフェッショナルだけに限っていたが故に、ジンはクロノグラフのサプライヤーとして生き残れたのである。これが70年代以降も、ジンがイェーガーやブライトリングなどからデッドストックの機械式クロノグラフを購入し、ジン銘で販売を続けられた(あるいは続けざるを得なかった)理由だった。

右は103.Aの文字盤。夜光塗料を載せたバーインデックスは、1960年代の第1世代を踏襲している。左は最新版の103.Bの文字盤。第2世代の103で採用されたアラビックインデックスは、今や103のアイコンとなった。デザイン自体は80年代のものを踏襲しているが、後にAutomaticの文字が加わったほか、2000年前後には夜光がトリチウムからルミノバに変更された。また2012年以降は、スクエアのインデックスも発光するようになった。

 もっとも、70年代後半に始まった機械式時計のブームは、ニッチな存在だった機械式クロノグラフに日の目を当てた。それを受けて、ETAは長らく放置していたETA7750を改良し大量生産できる体制も整えた。83年から84年にかけての改良が、80年代半ば以降の、機械式クロノグラフのブームを加速させたことは間違いない。日本からの追い風もプラスになった。86年から、日本でもジンの正規輸入が開始されたのである。その結果は驚くべきものだった。ヘルムート・ジンの言葉によると、たちまちジンの売り上げの3分の1を、日本市場が支えるようになったのである。極東への進出をきっかけに、ドイツ語圏でのみ展開していた小さな工房は、世界的なメーカーに脱皮を遂げることとなる。

第3世代の最初期型に装備されていた旧西ドイツ製のエクスパンドロブレスレット。おそらくオリジナルだろう。バックルのほか、プレートにもエクステンションが付いているのは、グローブを着けても脱着しやすくするためか。

 あくまで推測だが、機械式時計のブームと、日本への進出を間近にしたジンが、手の届く価格で機械式クロノグラフを作ろうと考えたのは当然だろう。ヘルムート・ジン特殊時計社は、その名の通り、極めてニッチな時計だけを作っていたが、消費者の好む時計を提供するという姿勢は一貫していた。幸いにもテコ入れされたETA7750と、手巻き版の7760は信頼できるムーブメントになっていたし、供給体制にも問題はなかった。86年、ジンは新しいムーブメントを載せた103をレギュラーとして加えることとなる。

1994年以降、一部の103はドーム状のサファイアクリスタル風防を採用するようになった。併せて回転ベゼルは陽極酸化アルミから、SS+陽極酸化アルミのリングに変更された。また、回転ベゼルの内部には板状のベゼルバネが加えられ、1分ごとにベゼルを動かせる。上は2012年以前の、下は以降のベゼル。なお、103.TI.IFRだけは、ベゼルバネではなく、大きめのセラミックボールとコイルバネで保持するシステムに改められている。

ベーシックな103が採用する強化アクリル風防と、陽極酸化アルミ製回転ベゼルの組み合わせ。これは1960年代から変わっていないが、第3世代の最初期以外は、ベゼルの刻みが7つに変更された。上は2012年以前のベゼル。下は夜光塗料が拡大された2012年以降のベゼルである。なお、両方向に回転するベゼルは、抵抗だけで保持される、極めてシンプルなものだ。しかし加工精度が上がったため、余計なガタは全くない。

 もっとも冒頭に記したとおり、初期の103はアッセンブラーが組み立てたクロノグラフという感が強かったし、もしかしたら在庫していた部品の処分という意味もあったのかもしれない。しかし、90年代に入るとプロダクトの品質は安定し、日本を中心にベストセラーモデルのひとつとなっていった。

 80年代後半以降、機械式クロノグラフのスペシャリストとして認知されるようになったジン。しかし、健康に不安を覚えたヘルムート・ジンは、90年代に入ると引退を考えるようになった。彼は家族にビジネスを継承させたかったが、自らを「あまりにもラフで率直だった」と評するジンは、家族と良い関係にはなかったようだ。外部に後継者を求めたヘルムート・ジンは、ついにIWC出身のエンジニア、ローター・シュミットを見いだすことになる。

外観はほぼ同じだが、第3世代の103はリュウズ回りの設計がひんぱんに変わっている。これはかつて採用されていた外ネジ式。チューブのパッキンは1枚のみである。

第3世代最初期型のケース。写真が示す通り、リュウズはねじ込み式ではない。手巻きのケースを転用したためか。後の新しいケース以降、リュウズはねじ込み式に変更された。

現行モデルが採用する外ネジ式のリュウズ。かつてのものとの違いは、チューブに内蔵するパッキンが1枚から2枚に増やされたこと。結果、防水性能と信頼性が高まっている。

しばらく外ネジ式のリュウズを採用した後、103のリュウズは内ネジ式に変わった。写真が示す通り、チューブ外側には刻みがない。しかしすぐ、左の仕様の外ネジ式に変わった。

 ミケーレ・トリピの記述に従うならば、シュミットに会社を譲るに際して、ヘルムート・ジンはちょうど600本の「103ムーンフェイズ」を販売したという。ジンは103の限定モデルがすぐに売れることを理解しており、これをシュミットへのギフトに選んだのだろう。つまりそれぐらい、103はポピュラーだったと推測できる。もっとも、ヘルムート・ジンが引退する前年の1993年でさえも、ジンの売り上げは年間300万ドイツマルクに過ぎず、年産数もまだ数千本程度でしかなかった。

 94年9月1日に経営を継承したローター・シュミットは、社名をヘルムート・ジン特殊時計社から「ジン特殊時計会社」に変更し、いっそうユニークな新製品を発表するようになった。同年には、新生ジンとして初のプロダクトとなる「244TI」をリリース。95年には103の防水性能を強化したダイバーズクロノの「203」と「203TI AR」を、96年にはケース内部をシリコンで満たした「403ハイドロ」を、97年にはプロフェッショナル向けの「EZM1」と「EZM2」を発表した。もちろん103にも手が入れられ、98年には、チタンケースで200mの防水性能を持つ「103TI AR」が追加された。これは203の技術を転用したモデルである。

一部の103には、ケース内の湿気を吸収するドライカプセルが埋め込まれている。左は湿気で変色した状態。メンテナンスの時期であることを示している。右は、ドライカプセル未装備の場合に埋め込まれるブラインドキャップ。これが搭載されているモデルでは、この部分にドライカプセルを組み込むことも可能である。

 最も大きな変化は99年に訪れた。ジンは旧GUBで機械設計者だったロナルド・ボルト博士と共同で、旧東独地域のグラスヒュッテにケースメーカーのSUGを創業したのである。シュミットの融資額は決して多くなかったそうだが、有名な時計メーカーであるジンのサポートは、銀行から融資を受ける際に役立ったとボルト博士は語る。「スイス人に、私たち(ドイツ人)も時計を作れるということを示そう」と語るシュミットは、確かにヘルムート・ジンの後継者に相応しい人物だった。

 そんなシュミットは、「クロノス」ドイツ版の編集者であるマルティナ・リヒターに対してこう語っている。「ジンは彼自身時計の設計をすることはなかったが、最良のものをスイスから買っていた。現行品の103、140、142と144は、彼の作った時計に由来するものだ。私たちは、そのシェイプを維持しながらも、私の知るモダンなテクノロジーをそこに加えたい」。

 新生ジンが目指したのは、103のデザインを変えずに、その個性をいっそう強調することだった。その具体的な方向性とは、98年の「103TI AR」で示された、外装の改善だった。そもそもの103が、防水ケースを持つタイプ20のドイツ版であったことを考えると、ケースを改良して防水性能を高めるという方向性は、その在り方に沿ったものだった。そして優れたケースメーカーを傘下に持つジンにとって、外装の改善は実に容易だったのである。

外装の進化を象徴するのがブレスレットである。長らくブレスレットの固定はピン式だったが、ヘキサゴンスクリューに改められた。仕上げを良くするよりも、耐久性を改善するのがジンらしい。また、バックルのプレートも頑強なものに変更されている。なお、2017年12月には5連ブレスレットもヘキサゴンスクリューに改められた。

 もっとも、ジンが本格的に外装を改善するようになったのは、2001年のことである。SUGのあるグラスヒュッテは、同年の洪水で大きな被害を被り、SUGの工場も水没してしまった。対してローター・シュミットは、共同設立者のひとりであったワルター・フリッカーの持っていた74%の株を取得し、同社の再建に手を貸した。1999年の創業時、ジンは特別なケース(おそらくはフランクフルト・フィナンシャルウォッチのケースだろう)のみをSUGに依頼していたが、以降は、ほとんどのモデルのケースが、SUG製に切り替わったのである。以降の進化を分かる範囲で列記したい。

・2005年/3連タイプのブレスレットのネジ変更。ピンタイプからヘキサゴンスクリューへ
(5連の変更は2017年12月から)。
・2010年/回転ベゼルの変更。12時位置の△マークの形が変更された。
・2012年/文字盤の夜光変更。数字も四角のインデックスもすべて夜光に変更。
・2018年6月/ケース、ラグの7時位置のネジがArドライテクノロジーに変更。

 またこれらに加えて、年代ははっきりしていないが、リュウズのチューブ形状が2回変更されたほか、103TI IFRの回転ベゼルは、セラミックス製のボールベアリングを内蔵したものに変更されている。

 エルヴィン・ピケレ(EPSA)製の防水ケースが生み出した、第2世代のタイプ20。数多くのメーカーがこの規格に従って機械式のクロノグラフを製作したが、現在、このスタイルを忠実に踏襲し、なお進化させ続けているのは103以外になさそうだ。では、その最新版はどのようになったのか。最後は2020年版のジャーマン・フリーガーの姿を見ていくことにしたい。



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ジン 41㎜ケースがもたらした Uシリーズ最高峰のユーティリティー

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【漫画】ジン・テクノロジーの仕掛け人、ローター・シュミット

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