コメックスとロレックス
ところで、フランスの潜水探査専門会社コメックスと来れば、シードゥエラーとは切っても切れない結び付きがあるとされている。これはまことしやかな噂が元になっているのだ。それによると、1961年にアンリ︲ジェルマン・ドゥローズによりマルセイユに創設されたこの特殊な会社のヘリウムガスエスケープバルブの開発には、シードゥエラーが関与したという。しかし、これは実際のところは事実ではない。この噂をもっともらしくしているのは、海洋研究のひとつであるシーラブ計画だ。これはダイバーを起用した米国海軍の海底居住実験のプロジェクトで、高圧閉鎖環境下における呼気が人間にどのような影響を及ぼすか調査するものであった。海中では水の中から出る時に圧力調整室に入るのだが、この時、ものによっては腕時計の風防が破裂してしまう。シーラブ計画に参加したあるダイバーがそれについてロレックスに話し、圧力調整のためのヘリウムガスが危険なく放出できるバルブを設けてはどうかと提案したとされている。ロレックスにおいてエスケープバルブが実現したのは、こうした顛末があったから、という風に広まっていったわけだ。
ロレックスとコメックスの共同開発は、1970年代初頭になって初めて着手されている。ヘリウムガスエスケープバルブ付きのシードゥエラーは1967年に発表されていたので、すでに市場に出回っていた頃だ。ロレックスの当時の社長であるアンドレ・ハイニガーは、コメックス創始者のドゥローズと契約を締結し、コメックスのダイバーウォッチはすべてロレックスが担当することになった。その際にプロ集団たるダイバーの経験が生かされ、開発にひと役買ったということらしい。コメックスは潜水時の指針となる時計を追求するにあたって、時によってはバラックのような状態の石油プラットホーム(海底油田やガス田付近の探査のため海上に設営された足場)によじ登るという荒業もやってのけたそうだ。このためダイバーは自身で工夫した工具を携帯し、酸素ボンベの調合も実験したという。コメックスは潜水深度の新記録を数多く樹立しているが、それはダイバーの腕上で過酷な試練に耐えたシードゥエラーの功績もあってのことだろう。それらの記録の一部には、シードゥエラーの宣伝用のために達成されたものも含まれている。
1972年には、ふたりのダイバーが610m防水の高圧室内に50時間滞在することに成功、後に水深500m以上の記録も達成した。そして1992年、コメックスのダイバーは単独での高圧室内滞在で、水深701mにも至ったのである。このように、ヘリウムガスエスケープバルブを備え、優れた耐圧性を持つシードゥエラーは、コメックスにとって欠くべからざる存在だ。そして、耐圧1220m防水という性能は、人間が着用する時計としてはコメックスにとっても十分足りるものにもかかわらず、同社は水深3900mの防水性を備える巧みなケース構造のロレックス ディープシーの開発にも協力している。
ところで、シードゥエラーのデザインだが、すでに1967年に登場した時点で、回転ベゼル付きの初期のダイバーウォッチのひとつに挙げられる1953年発表のサブマリーナーに範を取っていた。それ以降もデザインは踏襲し続けられている。
そのアイコンとも言うべき、ベゼルを取り巻く目盛りは、キズ見を必要としないほどの明瞭さがますます際立っている。デザインについてひとつ難を挙げるならば、日付表示はもう少し外側に置くべきだろう。図案は60年以上も前に作られたにもかかわらず、外装は今の時代とずれがない。これは現在のハイテク素材であるセラミックスをベゼルに採用したところにも表れている。
ベゼルは片方向回転式(逆回転防止ベゼル)を採用しているが、これはダイビングに向いているだけではない。他のシチュエーションにおいても、分単位で正確なタイムスパンを把握できる。逆三角形の印を分針に合わせると、そこから何分経過したかはベゼルでいつでも読み取れるのだ。必要な時にベゼルはスムーズに回すことができ、そのクリック感にはあたかも金庫のダイアル錠のような心地よい手応えがある。
黒いセラミックリングの表面はとりわけ硬く、傷の入る隙はない。かつて使用されていたアルミニウムリングは、たちまち傷だらけになってしまったことからすると、これはひとつの進化と言える。もっとも、セラミック素材といえども破損は起こり得るわけで、そうなるとパーツ交換はアルミニウム素材に比べて明らかに高くつくだろう。リング内にうずまるように置かれた数字と目盛りには、プラチナの粉末が使用されている。膨らみを持たせてコストを掛けた作りのホワイトゴールド製の針や、同じくホワイトゴールド製のインデックスとの釣り合いが取れた格好だ。
このモデルにもサブマリーナーやロレックス ディープシーのように、〝クロマライト〟と名付けられた青い蓄光パーツがはめられている。これは非常に明るく発光し、薄暗がりの中でもよく見分けがつく。青い色はクールな印象で、目にも至極快適。文字盤12時位置の逆三角形インデックスと、6時位置と9時位置のバーインデックスは、瞬時の見極めに役立つ作りだ。ベゼルのゼロ位置に置かれた箇所も、同じく明るく発光する。なお、クロマライトは秒針にも置かれているので、作動の確認にも有効だ。