クロノグラフを進化させた「ブレーキレバー」「コラムホイール」「アワーカウンター」「ワイヤ放電加工機」

FEATURE本誌記事
2024.06.17

さまざまな機構の中でも、特にポピュラーといえるクロノグラフ。しかし、その量産と普及は20世紀に入ってからだ。自動巻きクロノグラフともなると、1969年を待たなくてはならない。そんなクロノグラフの進化、そして実用性を支える「ブレーキレバー」「コラムホイール」「アワーカウンター」、そしてクロノグラフ製造の世界を広げた「ワイヤ放電加工機」について、紹介する。

奥山栄一:写真
Photographs by Eiichi Okuyama
広田雅将(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2020年9月号掲載記事]


かつてあったカム式、コラムホイール式の“差”は「ブレーキレバー」

Cal.3861

世界で初めてのブレーキレバーを備えたカム式のクロノグラフがオメガのCal.861である。その後継機が、マスター クロノメーター規格を通ったCal.3861。カムとクロノグラフ車の間には特徴的なブレーキレバーが見える。

 機械式のクロノグラフを語るにあたって、大きな誤解がある。カム式がコラムホイール式に劣るとされてきた理由は、前者の押し心地が、後者に比べて劣るためではない。厳密に言うと、コラムホイールの操作感はカムより優れているが、押す力に関して言うと、それを決めるのはあくまで規制バネの強さだ。

 バネを弱くすれば、操作は軽くなる。半面、クロノグラフ車の保持力は弱まり、衝撃を受けた際の針飛びが起きやすくなる。一方、バネを強くすると操作は重くなるが、衝撃には強くなる。趣味性を強調すると軽く、実用性を重視すると重くなる、と言えそうだ。

 では、なぜカム式はコラムホイール式に劣るとされてきたのか。理由は、かつてのカム式のクロノグラフが、構造上ブレーキレバーを持てなかったためである。ブレーキレバーがなくても問題はないが、ショックを受けると針飛びは起きやすくなる。

 廉価版のクロノグラフとして作られたカム式のクロノグラフは製造コストを抑えるため、プレスの工程を大きく減らした。結果、カムやレバー類は大きくなり、クロノグラフ車を止めるブレーキレバーのスペースがなくなった。設計が大きく変わったのは、1968年のオメガ(レマニア)Cal.861からだ。これはカムを小さく成形し、2層に分けることで、ブレーキレバーの操作を可能にしたものである。以降、カム式とコラムホイール式で、機能面での違いはなくなった、と言えるだろう。だが、カム式の雑な動きでブレーキレバーを精密に動かすのは難しい。そのため、かつてのCal.861やETA7750は、ブレーキレバーを軟らかいプラスティックに替えて対応していた。

 なお、現在の垂直クラッチは、クラッチのオン/オフを決めるクランプが、ブレーキレバーの役目を果たす。そのため、各社とも、クランプを動かすためのバネを強くする傾向がある。近年のクロノグラフが、重めのプッシュボタンを持つ理由だ。


意外と重要な“コラムホイールの位置”

セイコーCal.6139

今や垂直クラッチ搭載機のアイコンとなった、ふたつのプッシュボタンの間に置かれたコラムホイール。そもそもは1969年のセイコーCal.6139が採用したもの。以降、さまざまなメーカーが転用することで、業界標準となった。

 機械式クロノグラフの心臓部であるコラムホイール。スタートボタンを押した水平運動を回転運動に変えることで、クロノグラフのスタート/ストップを司るというものだ。

 そのコラムホイールの位置は、長年、香箱によって制限されていた。主ゼンマイを収めた香箱は厚みがあるため、頑丈な受けで支える必要がある。その上に、コラムホイールを固定するのは難しい。結果、多くのクロノグラフは、香箱から外れた位置にコラムホイールを置かざるを得なかった。プッシュボタンとの距離は長くなるが、設計上、やむを得ないとされていたのである。ただし、リーチが長くなることを逆手に取って、こういったクロノグラフの多くは、押すのではなく、引くアクションでコラムホイールを回していた。往年のクロノグラフが、スタートボタンに軽いタッチを与えられた一因だ。ちなみに、規制バネを強くすれば引くオペレーションでも操作感は重くなる。しかし、テコの原理を利かせられるため、機構上はタッチが軽い。

 対して今のクロノグラフは、ふたつのプッシュボタンの間にコラムホイールを備えるようになった。理由は、ムーブメントの中心に置かれた垂直クラッチとの距離が近いため。スタートボタンを押す力を、直接クラッチに伝えることで、確実な操作を可能にしている。コラムホイールを回すオペレーションは、引くではなく押す。引いて回す方式に比べて操作感はラフになるが、実用性を重視したクロノグラフでは、感触よりも、針飛びを起こさないことが重要なのである。もっとも、感触を重視したクロノグラフの中には、ふたつのプッシュボタンの間にコラムホイールを設けながらも、引くオペレーションを持つムーブメントも存在する。

 クロノグラフのムーブメントを見た際、コラムホイールがふたつのプッシュボタンの間にあったなら、それは垂直クラッチ搭載機と考えていいだろう。


クロノグラフの用途を広げた「アワーカウンター(12時間積算計)」

Cal.69000系

垂直クラッチが可能にしたムーブメント側に置かれた12時間積算計。しかし、水平クラッチを載せたクロノグラフにも、同様の「新しい設計」が見られるようになった。その好例がIWCのCal.69000系である。

 腕時計クロノグラフが使えるものになったのは、スタート/ストップとリセットを切り分けた、ふたつのプッシュボタンの発明(1933年)と、12時間積算計の発明(1930年代)以降だ。とりわけ長時間の計測を可能にした後者は、クロノグラフが使われるシチュエーションを格段に増やしたのである。

 しかし、12時間積算計の搭載は容易ではなかった。すでに大きな水平クラッチやレバー類が占拠するムーブメントに、新たな機構を収めるスペースはなかったのである。そこで設計者たちは、12時間積算計をムーブメント側ではなく、文字盤側に加えた。動力源は、1分間に1回転するクロノグラフ車ではなく、機械式ムーブメントの動力源である香箱。回転数が低い香箱に中間車を足し、クラッチでオン/オフをすれば、12時間積算計になるだろう。

 もっとも、クロノグラフだけでなく、12時間積算計にもクラッチを設けるという設計は、製造コストがかかるし、整備性も悪くなる。そこで、レマニアの設計者であったアルバート・ピゲは、同じく香箱を動力源とするものの、クラッチを持たない新しい12時間積算計を設計した。完成したのが、後のCal.321になるCal.27 CHRO C12だった。以降、この12時間積算計の設計は、ETA7750なども模倣する、いわば業界標準となった。

 12時間積算計が大きく変わったのは、1988年のフレデリック・ピゲ以降だろう。コンパクトな垂直クラッチを採用できた結果、このムーブメントは、12時間積算機構を、文字盤側ではなく、ムーブメント側に収めることに成功した。結果、機械式クロノグラフの生産性と整備性は、その機能を落とすことなく、大きく改善されたのである。

 Cal.1185以降の垂直クラッチ搭載機は、ほぼ例外なく、12時間積算機構をムーブメント側に持つ。あまり注目を集めない12時間積算計。しかし、この部品はクロノグラフの革新を最もよく示している。


クロノグラフ製造を変えた「ワイヤ放電加工機」の登場

Cal.L951系

かつてはプレスに依存していたクロノグラフの製造プロセス。ワイヤ放電加工機は、そんな在り方を大きく変えた。A.ランゲ&ゾーネのCal.L951系が持つ複雑な造形のレバー類は、プレスでは決して抜けなかったものだ。

 今や、多くのメーカーがリリースするようになった機械式クロノグラフ。しかし、かつては機械式クロノグラフを作るメーカーは一部に限られていた。

 機械式クロノグラフで最も重要なのは、コラムホイールやカムではなく、さまざまなレバー類やバネだ。1990年代に入るまで、これらの部品は、手作業で加工するか、プレスで打ち抜いていた。硬いスティールパーツを複雑に打ち抜くには、かなりのノウハウが必要になる。バルジューやレマニア、デュボア・デプラやヴィーナスなどがクロノグラフの製造をよくしたのは、他社にはないプレスの技術を持っていたためだ。

 もっとも、部品が複雑になるほど、プレスの回数は増え、製造コストは増えていく。そのため、1930年代に入ると、プレスを減らして製造できる、カム式のクロノグラフがリリースされた。

 プレスを多用した往年の機械式クロノグラフ。その最高峰は、1969年のセイコーCal.6139、1973年のバルジュー(ETA)7750、そして1988年のフレデリック・ピゲCal.1185だろう。これら3つのムーブメントは、生産性を考慮しつつも、きわめて優れた省スペースな設計を持っていた。

 クロノグラフの在り方が大きく変わったのは、1990年代以降である。ワイヤ放電加工機が登場し、普及することで、設計者たちは複雑な形状の部品を、以前よりは容易に手にできるようになったのである。少なくとも、以前ほど製造工程を考慮せずに済むようになったことは間違いない。その象徴が、1999年に発表されたA.ランゲ&ゾーネの「ダトグラフ」だろう。現在は、ワイヤ放電加工に加えて、CNCによる切削でも、複雑な形状のレバー類を容易に作れるようになったのである。

 今や百花繚乱となった機械式クロノグラフ。その引き金を引いたのは、設計以上に、製法の変化だったのである。


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