2017年のバーゼルワールドで最も大きなトピックのひとつとなったのが、グランドセイコーの独立ブランド化である。
1960年にリリースされたグランドセイコーは、以降、セイコーのフラッグシップに位置付けられていた。
しかし、グローバル化とラグジュアリー化を加速させるため、セイコーはその独立を決めたのである。
Photographs by Eiichi Okuyama, Yu Mitamura
川端由美、広田雅将(本誌)、鈴木幸也(本誌):取材・文
Text by Yumi Kawabata, Masayuki Hirota (Chronos-Japan), Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
2017年3月23日、バーゼルワールドのカンファレンスセンターに、世界中のウォッチジャーナリストが集った。彼らを前に、セイコーウオッチ社長兼CEO(当時、現会長)の服部真二氏がスピーチを始めた。
「グランドセイコーはそのデザイン、キャラクター、プレゼンテーション、そして最近では何よりも、そのキャリバーによって区別されてきました。そういったユニークなアピールを強め、また多くの人に知らしめるべく、私たちは一歩先に踏み出します。つまり、グランドセイコーを完全に独立したブランドにするということです。ここ、バーゼルワールドで私たちが紹介するすべてのクリエーションにおいて、グランドセイコーのロゴは12時の位置に置かれ、それはこれからのグランドセイコーすべてに適用されます」
世界中のジャーナリストを招聘したことが示すように、今年からグランドセイコーは本格的に世界進出を開始する。12時位置のロゴを「SEIKO」から「Grand Seiko」に改め、文字盤上の表記を統一したのは、そういう意思の表明だった。
グランドセイコーが海外進出を始めたのは2010年のこと。以降、セイコーはブティックを中心にグランドセイコーの拡販に取り組んだ。17年3月時点において、海外でグランドセイコーを取り扱うショップは、アジア・ヨーロッパ・中近東・オーストラリア・アメリカ・中南米まで全世界で200店に迫ろうとしている。スイスメーカーには及ばないが、わずか7年での取り組みと考えれば、驚異的なスピードだ。
加えてセイコーは、見えないところで努力を重ねた。毎年、海外のジャーナリストやリテーラーを呼んで、グランドセイコーを製造する塩尻と雫石の工場に連れて行ったのである。製造現場を実際に見学し、関係者たちと親しく話した彼らが、グランドセイコーと日本のウォッチメイキングに好意を持つのは自然だろう。
その帰結が、毎年のように高まるジャーナリストやリテーラーからの評価だった。今や、時計情報サイト“Deployant”創設者のペーター・チョン、ホディンキーの編集長であるジャック・フォスター、そしてドイツのジャーナリスト、ギズベルト・L・ブルーナーまでもが、グランドセイコーに対する愛情を吐露するに至ったのだから、10年前からは考えられない変化だ。
同時に、セイコーの社内でもグランドセイコーのチームを中心に、ロゴを12時位置に移すというプランが進んでいた。長らく関係者たちは、このアイデアを温めていたが、後押ししたのは、グランドセイコーのブランド独立と、本格的な海外進出だった。満を持して、グランドセイコーは独立への舵を切ったのである。