1960〜70年代の歴史的グランドセイコーから見るリニューアルとブランド再構築
今年、ブランドとして独立し、新たなステージへと踏み出したグランドセイコー。
ブランドサイドが、世界市場を見据えてさまざまな戦略を練るのは言うまでもないが、果たして、それを受け入れる側はグランドセイコーをどう捉えているだろうか?
ここでは日本を飛び出して、世界がグランドセイコーをどう見つめ、何を期待しているのか? 海外の視点から、グランドセイコーの実像に迫る。
写真家であり、ヴィンテージ・グランドセイコーのコレクターでもある。かつて独立時計師の作品などを収集していたが、グランドセイコーに魅せられて方向を転換。今では、世界を代表するヴィンテージ・コレクターとなった。現在、ドバイ在住。
セイコーは今年のバーゼルワールドで、グランドセイコーのすべてのモデルの文字盤のデザインが一新され、独立ブランドとして市場に投入されると発表した。
1988年のブランド初のクォーツモデルの発売から、93年の9Fクォーツムーブメントの導入を経て、98年に発売された機械式ムーブメント9Sシリーズ、2004年の画期的な9Rスプリングドライブムーブメント、そして現在に至るまで、グランドセイコーの文字盤のブランディングは一貫してきた。常に文字盤の12時位置に配された「SEIKO」の文字と、6時位置に配されたグランドセイコーのロゴである「GS」と「Grand Seiko」の3つの文字要素を配したレイアウトだ。時計のムーブメントや機能性に関連する他の文字も文字盤に表示されていた。しかし、すべての時計に共通していたのは、これら3つの要素だったのだ。
今年、セイコーブランドから独立したグランドセイコーは、文字盤の12時位置にある誇り高い文字はすべて「GS」となり、そのすぐ下に伝統的なドイツ文字で「Grand Seiko」と配される。6時位置には、ムーブメントや時計の機能に関する文字がすべてゴシック体で配置される。
初代グランドセイコーから、1970年代に生産中止となった57GSシリーズを通じて、ヴィンテージ・グランドセイコーのコレクターであり、かつ現代の時計の熱心なファンでもある私は、このリブランディングは非常にポジティブな戦略であると考える。
ヴィンテージグランドセイコーにおける文字盤ブランディングの進化
1960年に誕生し、歴史的な機種が次々と発売された十数年間を通して、現在もブランディングの鍵と考えられている「GS」「Grand Seiko」と「SEIKO」という3つの文字要素を組み合わせたレイアウトは、初期の8年間に少なくとも5機種で使用されている。60年の初代グランドセイコーは、12時位置に「Grand Seiko」の文字列が配されていた。文字盤に他の特徴はあるが、「SEIKO」と「GS」の文字はない。事実、後述する目立った例外以外、初代グランドセイコーのみに、12時位置に「Grand Seiko」の文字があるのだ。
64年には、57GS「セルフデーター」が発売された。このシリーズの中の初期型モデルは、「SEIKO」を12時位置に、そして「Grand Seiko」を6時位置に配した。しかし、この時点ではまだ「GS」の表記は文字盤に見られない。
私たちにとってなじみのある文字盤のレイアウトになった最初の機種は、57GS「セルフデーター」の後期型で、12時位置に「SEIKO」の文字、6時位置に「GS」と「GRAND SEIKO」の文字がある。現在に続く、グランドセイコーの原点であるセイコー・スタイルを確立した44GSシリーズのレイアウトも共通している。
当時、セイコーの誰にとっても、67年は忙しい年だったに違いない。67年は、ブランド初の自動巻きムーブメントを搭載した62GS、44GS、そして毎秒10振動の61GSシリーズに取り組み始めた年であり、複数のシリーズがこの年に生産されたからだ。61GSは、「GS」「Grand Seiko」と「SEIKO」の3つの文字要素を配したレイアウトであった。しかし、その後、68年に最後の変化があった。
「Grand Seiko」表記が外されたのだ。これは、とても驚くべきことのようだが、68年から70年代は、後述するふたつの例外を除けば、グランドセイコーは、文字盤やケースの裏でさえ、「Grand Seiko」と表記されることはなかった。そのふたつの例外とは、初代グランドセイコーを彷彿とさせる61GSと45GSシリーズのV.F.A.=〝ベリー・ファイン・アジャステッド〟であった。これらは12時位置に「GRAND SEIKO」の文字列が配され(ドイツ文字ではない)、「SEIKO」表記も「GS」表記もない。