Caroline SCHEUFELE キャロライン・ショイフレ ショパール/共同社長兼アーティスティック・ディレクター
1961年12月14日/ドイツ、フォルツハイム生まれ。①ジュネーブ インターナショナルスクールを卒業後、ショパールに入社し、同時にデザインおよび宝石学を学ぶ。1985年に共同副社長、98年、共同社長兼アーティスティック・ディレクターに就任。②1985年、ハッピーダイヤモンド コレクションより、ジュエリーラインを発表。98年にはカンヌ国際映画祭のオフィシャルパートナーとなり、パルム・ドールのデザインを担当。2007年、カンヌ国際映画祭60周年をたたえ、レッドカーペット コレクションを発表。③ ―― ④確かなクォリティと伝統を保ちながら、いかに独創性を打ち出すことができるか、特別な体験を提供できるかが成功の鍵となるでしょう。
Karl-Friedrich SCHEUFELE カール-フリードリッヒ・ショイフレ ショパール/共同社長
1958年2月5日/ドイツ、フォルツハイム生まれ。①ローザンヌのHEC経営大学院を卒業後、ジュネーブに戻ってからしばらくの間は各地を旅行し、その後ショパールに参加。1985年、共同副社長に就任。98年より現職。②1988年、ミッレ ミリアとのパートナーシップを開始。96年、ショパール マニュファクチュールを設立し、自社開発ムーブメント「L.U.C」の生産を開始。2008年、フルリエ エボーシュ設立。③14歳の時に贈られた時計(タグ・ホイヤー)。④“本物”を求める志向はより一層高まっていくでしょう。そのために必要なものは伝統的な技術を尊重しつつも常にさらなる革新を追求し続ける姿勢、そして、そこから生まれる最高の品質です。
Wilhelm SCHMID ヴィルヘルム・シュミット A.ランゲ&ゾーネ/CEO
1963年/ドイツ、ケルン生まれ。①アーヘン大学で経営学を学んだ後、BPカストロールを経て、BMWに8年間在籍。その間、2007年から10年までの約3年間、南アフリカにおけるBMWのセールス&マーケティング責任者として手腕を発揮。それが評価され、本社のボードメンバーにも抜擢される。2011年よりA.ランゲ&ゾーネのCEOに就任する。②「ランゲ1」のリニューアル。ブランドの長期的発展を見据え、大規模な工房の拡張事業に着手。会社のデジタル化を推進。コレクションの5つのファミリーの明確化と直営ブティックによる世界的な流通網の拡大。③ ―― ④人が最も心躍らせる要因は人によるものだと思っています。よって、手作業によって作られた時計の価値を正しく理解する人たちに向けた時計を、高度な技術を持つ時計師たちが作り続けることです。
Lothar SCHMIDT ローター・シュミット ジン/CEO
1949年1月12日/ドイツ、ノインキルヒェン生まれ。①ボッシュで3年半にわたり工具職人見習いとして働いた後、ザールブリュッケンで機械工学の4年制学位取得コースを修了。2年間の兵役を経て、1975年よりラ・ショー・ド・フォンのケース工場勤務。90年にA.ランゲ&ゾーネ製造ライン立ち上げ責任者を務め、94年より現職。②1997年、チューリンゲンに組み立て工場のS&S GmbHを設立。99年、ザクセンに時計ケース製造会社のSUG GmbHを設立。③婚約時に妻からプレゼントされたゾディアック。④ブランドと会社の根幹を成す、一貫した品質と価値にこだわること。また、このことに関して市場の信頼を確立すること。流行に惑わされず、着実で継続的な進化を目指していくこと。ジンでは、「ジン方式」とも言うべき独自の方向性を常に探し求めています。それは、私たちがこれまで誰も試したことのないテクノロジーを実現し、商品化することを意味しています。
Christian SELMONI クリスチャン・セルモニ ヴァシュロン・コンスタンタン/スタイル・アンド・ヘリテージディレクター
1959年7月22日/スイス、ル・サンティエ生まれ。①1990年、購買ならびに販売管理の担当としてヴァシュロン・コンスタンタンに入社。96年、製造部門におけるリーダーに就任し、2001年に商品デザイン部を設置。05年にマーケティング・プロダクトディレクター、10年にアーティスティック・ディレクターに就任した後、17年より現職。②創業250周年記念モデルの開発。メティエ・ダール工房の社内設置。ヘリテージ商品の展開。③1970年代初頭のレコードウォッチカンパニーの自動巻きモデル(時分表示のみ)。④「デザイン」「スタイル」「技術面」において一貫性を保つこと。ヘリテージ(受け継がれる歴史的遺産)に対して忠実であること。
Guy SÉMON ギィ・セモン LVMHウォッチ グループ ディヴィジョン/研究所ディレクター
1963年/フランス、ドゥー生まれ。①フランシュコンテ大学で物理学とエンジニアリング科学の博士号を取得。その後、同大学のエネルギー物理学研究所の設立と管理を経て、1994年からはフリーランスに転身。95年、フライトシミュレーションに特化した会社を設立。2004年に世界最小のベルト製造に関心を持っていたタグ・ホイヤーに招聘され、同社へ入社。14年、タグ・ホイヤーのジェネラルマネージャーに就任し、現在、LVMHウォッチ グループ ディヴィジョンで研究所ディレクターを務めている。②ベルト駆動、線形振動錘とボールベアリングを搭載した「モナコ V4」や「コネクテッドウォッチ」の開発。③ ―― ④ ――
Sassoun SIRMAKES サスーン・シルマケス クストス/共同設立者、CEO
1982年11月1日生まれ。①高校卒業後、父であるヴァルタン・シルマケスがオーナーを務めるフランク ミュラー ウォッチランドに入社。グループが所有する、時計に宝石をセットするだけの小さな工房を、スイスでも有数の規模を誇る宝石セッティング会社へと成長させる。2004年、アントニオ・テラノヴァと共にクストスを設立。以来、CEOを務める。②クストスの創立。③ ―― ④ ――
Vartan SIRMAKES ヴァルタン・シルマケス フランク ミュラー ウォッチランド/創立者兼CEO
1956年2月11日/トルコ、イスタンブール生まれ。①宝飾職人の家庭で育つ。1974年、ジュネーブに移住して、ジュエリーセッティングの技術を学ぶ。23歳の時、ジュネーブ郊外にアトリエを構え、宝飾メーカーの時計文字盤、ジュエリーセッティングの仕事を始める。その後、時計ケーシング部門の立ち上げや、モデルのデッサンも行う。やがて時計生産そのものを手掛けたくなり、91年、フランク・ミュラーと共同事業を興すことで意気投合した。この絆はブランドとして発展し続けている。②トノウ カーベックスの製造。③ユニバーサル・ジュネーブ。④絶えず変動する世界マーケットのニーズに、的確に応えていくことが重要。世界の市場の変化に対応できるよう、私たちは準備を整えておかなければなりません。
Alain SPINEDI アラン・スピネディ ルイ・エラール/筆頭株主兼CEO
1949年11月26日/スイス、ヴァレル=ス=ランス生まれ。①大学卒業後、ティソのエリアセールスマネージャーとして経験を積む。その後、同社の販売&マーケティング担当副社長を務めた後、一度はスウォッチ グループを離れるが、1997年に復帰。スウォッチ グループのワールドワイドセールス担当副社長に就任する。2000年に同社を退職後、03年にルイ・エラールを買収し、現職。②ルイ・エラールの年間販売本数をゼロから2万本へと成長させた。③16歳の時におじに買ってもらったBWCの機械式時計。④「製品の美しさ」「流通の品質」「ブランドイメージ」「低いディスカウントを伴う価格戦略」を組み合わせることです。私にとってラグジュアリーとボリュームは正反対の価値観であり、ルイ・エラールはこれからの数年で前者の価値を高めるでしょう。我々は決してマスブランドにはなりませんが、手の届く価格のラグジュアリーウォッチを提供し続けていきます。
Maximilian SPITZY マクシミリアン・スピッツィ フォルティス/CEO
1980年7月31日/オーストリア、ザルツブルク生まれ。①2005年、中国で中小企業や多国籍企業向けのコンサルタント会社を設立。以来、中国および香港を中心に活動を行ってきた。13年よりフォルティスのCEOおよび理事会メンバーに就任。②企業の再構築。③オメガ「シーマスター」。④ユニークなセールスポイントを持つこと。不測の事態に備えること。マーケティングに力を入れること。
Philippe STERN フィリップ・スターン パテック フィリップ ジュネーブ本社/名誉会長
1938年/スイス、ジュネーブ生まれ。①ジュネーブ大学経営・経済学部を卒業。1966年まで米国のパテック フィリップ関連会社にて時計ビジネスを学んだ後、本社がある故郷に戻り、93年に父から社長職を引き継ぐ。2009年8月、息子のティエリー・スターンに社長職を譲り、名誉会長となった。②創業150周年にあたる1989年に当時、史上最も複雑な時計と称された「キャリバー89」を発表。2001年、ジュネーブ市内に「パテック フィリップ・ミュージアム」を開設。09年3月には、自社独自の品質ラベルである「パテック フィリップ・シール」を創設。③ ―― ④私たちは、機械式高級時計に対する次の世代の関心を高めるため、より多くの人々と私たちの知識を共有していきたいと思っています。
Thierry STERN ティアリー・スターン パテック フィリップ ジュネーブ本社/社長
1970年/スイス、ジュネーブ生まれ。①ジュネーブでビジネスと時計製作を学ぶ。ドイツのパテック フィリップ販売店やアメリカの代理店で経験を重ねた後に、アトリエ・レユニSAに入り時計外装の部品製造工程を学ぶ。ベネルクス三国で、マーケット・マネージャーとして販売を経験した後、1998~2003年までパテック フィリップ新製品開発部門トップとして新製品開発の総指揮にあたった。父、フィリップ・スターンの名誉会長就任と同時に、09年8月から現職。②「スターキャリバー2000」「スカイムーン・トゥールビヨン」「グランドマスター・チャイム」など、同社を代表する画期的な新製品を次々と発表。③ノーチラス Ref.3700/1。SSとYGのバイカラーモデル。④ ――
Fabrizio Buonamassa STIGLIANI ファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニ ブルガリ ウォッチ デザイン センター/シニア・ディレクター
1971年/イタリア、ナポリ生まれ。①国立デザイン大学ローマ校にてインダストリアル・デザインを専攻。卒業後にフィアット・スタイル・センターに入社。2001年、自らのデザイン画をブルガリ デザイン センターに送ったところ、当時のCEO、パオロ・ブルガリにその才能を認められ、ブルガリへ入社。07年よりブルガリ ウォッチ デザイン センターのディレクターを務め、現職に至る。②ブルガリ ウォッチ デザイン センターを同社のウォッチ ビジネス部門があるスイスのヌーシャテルに移転させ、開発と製造の効率化を図る。③5歳の時に叔父から譲り受けたセイコーのウォッチ。④デザイナーの視点から考えると、そのプロダクトが実際どのような用途で使われるのかを想像し、隠れたニーズまで理解することが鍵です。私の使命は、ブランドの美的基準に一貫性を持たせ徐々に進化させることです。ブルガリの輝かしい過去とそのアーカイブから、日々その参考文献を探し出すよう挑戦しています。
Tsuyoshi SUZUKI 鈴木 豪 ミナセ/代表取締役社長兼CEO
1971年6月21日/千葉県生まれ。①1995年に大学卒業後、OA機器業界の商社に就職。99年、協和精工株式会社へ転職。秋田工場勤務を経て、営業企画部に所属。国内のジュエリーブランドや時計専門店のOEM新規開拓営業、ミナセブランド企画運営の責任者を歴任する。14年より現職。②2005年にミナセブランドを立ち上げ、同ブランドの取扱店を現在までに海外2店舗、国内35店舗へと広げる。また、オリジナルムーブメント開発チームを11年に発足。18年、オリジナルムーブメントを搭載した「セブンウィンドウズ」を欧州より受注開始。工場内では15年に新たな事業として革ストラップの製造ラインを新規に立ち上げ、内製化を実現した。③オリエントスター。④ブランドメーカーとして、ぶれないこと、常に挑戦すること、“モノ”と“コト”の価値を提供することだと思います。
Antonio TERRANOVA アントニオ・テラノヴァ クストス/共同設立者、チーフデザイナー
1967年6月30日/スイス、ラ・ショー・ド・フォン生まれ。①学校で精密技術を6年間学んだ後、時計部品の加工を行う会社の開発研究部に所属。程なくして時計デザイナーへと転身し、93年にプロドールへ入社。カルティエやピアジェの技術開発を手掛けるようになる。その後、タグ・ホイヤーを経てフリーランスに。ブライトリングやエベル、ゼニスで時計のデザインを行う。2004年にサスーン・シルマケスとクストスを創立。②クストスのチーフデザイナーとして独創的な時計を数多く世に送り出した。③ ―― ④ ――
Guido TERRENI グイド・テレーニ ブルガリ・グループ/ウォッチ部門マネージング・ディレクター
1969年5月9日/イタリア、ミラノ生まれ。①ミラノのルイージ・ボッコーニ大学で経営学士を取得。2000年にブルガリ入社と同時にスイスへ移住。メンズウォッチのプロダクトマネージャー、メンズ&レディスウォッチのプロダクト統括、同マーケティング・ディレクターを経て09年より現職。②2000年よりブルガリが進めてきた製造体制の垂直統合化(=グループ内における自社一貫生産)を牽引。垂直統合化完了後の自社生産体制の確立。ダニエル・ロートとジェラルド・ジェンタ両ブランドのブルガリへの完全統合。自社製ムーブメントの開発。「ブルガリ オクト」「セルペンティ」コレクションの成功に貢献。③6歳の時に両親の勧めで購入したタイメックスのウォッチ。④パワフルかつ画期的なアイデアでお客様の理解を得ることです。成功とは稀にしか得られないものですが、自分たちを信じ、勇気をもって長期的かつ継続的な視野をもって取り組むことが秘訣だと思います。
Guillaume TETU ギョーム・テトゥ ラルフ ローレン/バイス プレジデント グローバル ウォッチ&ジュエリー
1972年8月12日/フランス、リヨン生まれ。①1995年、ゲイ・フレールに入社。プロダクトデザイナーを務める。タグ・ホイヤーでの7年間を経て、2004年にオートランスの共同設立者となり、09年にCEO就任。16年よりラルフ ローレン ウォッチ&ジュエリーの製品開発ディレクター。②「オートモーティブ ウッドベゼル スケルトン」のSSモデルで、オープンワークの美しいムーブメントとユニークなベゼル、そしてインターチェンジャブルブレスレットを高級時計のセグメントに投入。③スウォッチ「アイロニー クロノグラフ」。夏休みのアルバイトで得た小遣いで購入したものです。④クリエイティブであることです。また、品質は外せません。腕時計は終日身に着けるものですから、第二の肌と感じられるくらい心地よいものでなければなりません。商品のディスプレイから販売、そしてアフターセールスサービス、製品のライフタイム フォローサービスに至るすべてのサービスの質も重要です。
François THIÉBAUD フランソワ・ティボー ティソ/プレジデント&スウォッチ グループ エグゼクティブ ボード メンバー
フランス生まれ。①パリのICGでビジネスの学位を修めた後、フランスでボリュームゾーンウォッチブランドの中東・アフリカ担当としてキャリアをスタート。ブライトリングを経て、1996年にティソのCEOとしてスウォッチ グループに加入。2006年からはスウォッチ グループ ボード・ディレクターも務める。07年、フランス国家功労大十字勲章を受章。②1999年、タッチセンサーで操作する世界初のタクタイルテクノロジーウォッチ「T-タッチ」を発表。2013年、約80時間の駆動時間を誇る革新的ムーブメント「パワーマティック80」を開発。③ ―― ④本質を求める人々に、心あるものづくりが伝わるハイクォリティ、そして最高精度の“本物の時計”を提供していくことです。人々の“日常”を共に豊かにする時計を送り続けていくことが、ティソは大切だと考えます。
Toshio TOKURA 戸倉敏夫 シチズン時計/代表取締役社長兼CEO
1949年12月6日/東京都生まれ。①1973年、早稲田大学卒業後、シチズン商事(現シチズン時計)に入社。イタリア、フランスなど、駐在歴16年。海外でのマーケティング・営業に長く携わる。2002年、取締役就任後、07年に常務取締役、12年、代表取締役社長に就任。②製品の差別化や積極的な宣伝投資などによる平均単価の大幅な押し上げと、グローバルでの販売拡大およびブランド価値向上に成功。近年は積極的なM&Aによりマルチブランド戦略を推し進める。③高校入学の際に買ってもらった、シチズンの手巻き時計。④お客様の多様な嗜好に応えられるよう、マニュファクチュールとして、もの作りに真摯に向き合い続けること。そして常に今をスタート地点として、より良い時計を目指し改善を続けていくことにほかならない。
Julien TORNARE ジュリアン・トルナーレ ゼニス/CEO
1972年8月9日/スイス、ジュネーブ生まれ。①レイモンド・ウェイルでキャリアをスタート。2000年にヴァシュロン・コンスタンタンに入社し、17年間にわたってさまざまなエリアの責任者を務める。17年より現職。②本社とマーケティングの鍵となるポジションに、それぞれ熟練したメンバーを新たに採用。各市場に赴き、成功に導くためには何をすべきか、販売店の声に耳を傾け、受け取ったフィードバックをもとに製品ラインを決定する。2017年9月、平均日差0.3秒の機械式時計「デファイ ラボ」を発表。③セイコーのカリキュレーター付き時計。④消費者は信頼性と経験を探し求めている。ラグジュアリーブランドは、ユーザーがどのようにブランドと関わりを持ったのかに、もっと着目すべきであり、あらゆる局面において新しい技術を採用すべきだ。ゼニスは、世界中のリテーラーとのパートナーシップを強化するとともに、ユーザーが期待する新しいタイムピースの開発に努めている。
Minoru USUI 碓井 稔 セイコーエプソン/代表取締役社長
1955年/長野県生まれ。①1979年、東京大学工学部を卒業後、信州精器(現セイコーエプソン)に入社。インクジェットプリンターの開発責任者などを経て、2002年に取締役に就任。08年より現職。②1942年の創業以来培ってきたエプソンのDNA、「省・小・精の技術」を生かしたものづくりを行う。時計を中心とするウエアラブル機器事業では、2017年にオリエント時計と事業統合。さらに新たなアナログウォッチの独自ブランド「トゥルーム」を立ち上げる。③セイコーの機械式時計。
④ウォッチは、それを身に着ける人がそれぞれに異なる価値を求め、それに応えるために多くのブランドが存在している。さらに現在では、スマートウォッチの提案に代表されるように、従来の価値に加え、新しい価値が求められている。時とともに多様化する顧客の嗜好やニーズに対応し、これに独自の価値・技術を盛り込んだウォッチを提供し続けることが重要である。
Cyrille VIGNERON シリル・ヴィニュロン カルティエ インターナショナル/CEO
①1988年、リシュモン グループに入社。97年からカルティエ・ジャパンの社長、2002年から05年までリシュモン ジャパンの社長を務める。その後、カルティエ欧州担当マネージング ディレクターを経て、14年にLVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・ジャパンの社長に就任。16年から現職。② ―― ③ ―― ④ ――
Walter VON KÄNEL ウォルター・フォン・カネル ロンジン/社長
1941年9月1日/ドイツ、シェウェーリン生まれ。①1964年、ジャン・シンガー(文字盤、ケースの製造メーカー)に入社。69年に営業の幹部社員としてロンジンへ入社。販売促進部の責任者を経て、88年より現職。②スイス軍の士官としての従軍経験を活かし、人事管理や組織運営に尽力。③軍隊に入る前は、まったく時計を持っていませんでした。教会の時計が時を教えてくれましたし、目覚まし時計は雄鶏でした。④正統性を証明する豊かな遺産と、真の伝統が、ブランドにとって重要となりつつあります。顧客が求める資産があるブランドにとっては、高級品ビジネスの未来は明るいでしょう。
Stéphane WASER ステファン・ワザー モーリス・ラクロア/マネージングダイレクター
1975年4月28日/スイス、ヴァレー州生まれ。①1998年、タグ・ホイヤーの副プロダクトマネージャーに就任。その後、ブリティッシュアメリカンタバコやヘルスケアの会社を経て、2008年よりモーリス・ラクロアにインターナショナルマーケティングダイレクターとして入社。14年より現職。②FCバルセロナとパートナーシップを結び、「ユアタイムズナウ」というソーシャルメディアキャンペーンを展開。またサプライチェーンの最適化を行い、生産能力を「在庫を作る」から「注文を作る」に移行中。③エベル「ボイジャー ブラックダイヤル スチールブレスレット」。④長年にわたって当社のブランドメッセージと製品戦略の一貫性、継続性を顧客に認識していただくために投資します。