オーデマ ピゲのDNAを再検証して〝次世代機〞に手直しするというコンセプトの下、コード11.59には独創的なデザイン、ディテールが多く盛り込まれている。まずはオクタゴナル形状のミドルケースを挟み込んだラウンドスタイルのケース。側面がスケルトナイズされたラグと一体化されたベゼルは、ギリギリまで幅が絞り込まれている。ラグを支える構造材となるためパーツとしてはもちろん存在するのだが、視覚効果としては明らかに〝ベゼルレス〞を狙っている。これはダイアル開口部を限りなく大きく取るためで、ダイアル自体をスマートフォンやTVスクリーンに見立てているのだ。8〜12層のラッカーを重ねて研ぎ出すブラックダイアルの深い質感は、スマートフォンのスリープ画面を想起させる。
表面に非常に傷が付きやすい、この繊細なダイアルには、実はもうひとつ大きな挑戦がある。植字されるインデックスはもとより、ブランドロゴまでがアプライドされているのだ。しかもこのロゴ自体が、ゴールド素材をガルバニックの厚盛り加工で仕上げたもの。電鋳によるロゴやインデックスには前例があるものの、ここまで分厚く、しかも鋭くエッジが立っているとなると話が変わってくる。試作を手掛けたサプライヤー2社のうち、1社はついにギブアップしてしまったというから、加工の難しさが想像できるだろう。実際のスクリーンに相当するサファイアクリスタル製の風防も相当に凝っている。12時から6時方向にかけては、アーチ状のカーブを描く2次曲面。しかしガラスの裏側は、球面に近い3次曲面となっている。おそらく、これをコピーすることはほぼ不可能だろう。
コード11.59のスタイリング作業には、同社のミュージアムを管理するヒストリアンやキュレーターも大きな役割を演じている。1972年初出のロイヤル オークは、発表当時に常識とされていたデザインコードをすべて打ち破ったという点で、ウォッチデザインの始祖として語られることも多いのだが、実際にはそれよりはるか以前から、デザインの概念は存在していた。例えば1900年代初頭のアールヌーヴォーからアールデコへと流行が移り変わろうとしていた1917年には、すでにオクタゴン(8角形)ケースが存在していたし、〝遅れてきたアールデコ〞と呼ばれた20年代末から30年代初頭には、ゴドロン装飾を効果的に用いた〝ストリームライン〞なども登場する。オーデマ ピゲのプロダクトにリファレンスナンバーが導入されたのは51年のことで、以降は少数ながらもシリーズ生産が開始され、60年代になるとアシンメトリーや、スクエアやラウンドを融合させた独創的なフォルムも顔を覗かせるようになる。すなわち彼らが証明してみせた重要なポイントは、ロイヤル オーク=ジェラルド・ジェンタ以前にも、異なるフォルムの有機的な融合は存在し、それがオーデマ ピゲのDNAを育んできたという点だ。コード11.59もまた、そうした歴史的なプロダクトの系譜に連なる正統なる後継機の1本であり、〝ブレイク・ザ・ルール〞そのものが、オーデマ ピゲの時計作りを支えてきた、精神的な支柱なのだと理解できよう。
1917年
1972年のロイヤル オークで、ジェラルド・ジェンタはオクタゴナルシェイプのベゼルを用いたが、ケースそのものを8角形に仕上げた源流を辿ってゆくと、1917年のジュエリーウォッチに辿り着く。この時代に異形ケースが作れたのは、ファセットを作り出せる職人がいたため。
1941~43年
1941~43年製造、43~48年販売とされるクロノグラフ。柔らかなプロポーションのラウンドケースと、ティアドロップ状のファンシーラグが特徴的だが、注目すべきはダイアル。3カウンターのバランスと、12時アワーマーカーのバランスが、コード11.59にも採り入れられた。
1945年
1945年に製造された薄型のミニッツリピーター。細く絞り込まれたラウンド形状のベゼルと、エッジ感のバランスが、コード11.59につながってゆく系譜を感じさせる。40年代頃までに同社が生み出したコンプリケーションのラウンドケースは、総じてベゼル幅が細い印象がある。
1955年
ケースとベゼルで構成されたステップ状のラウンドケースに、ラグを重ね合わせた1950年代のパーペチュアルカレンダー。実際には各パーツの機能で分割されているのだが、その重なり方とラインのつながりをコントロールすることで、ゴドロン装飾に似た雰囲気を生み出している。
1961年
1960年代に製作された8角形のアシンメトリーケース。当時の風防は平面的なミネラルガラスだが、ケースのファセットに合わせた“折れ加工”を施し、表情を加えている。技術的なアプローチこそまったく異なるが、コード11.59でもガラスのプロポーションそのものに変化を付けている。