「全額返還」要求への回答
バーゼルワールド事務局とMCHグループが出展社委員会の「全額返還」要求に対して用意したプランAとプランB。ふたつの回答は第三者の私たちから見ても、出展社にとっては到底納得できないと思われる内容であった。
プランAは、2020年に「支払った出展料の85パーセントを2021年1月の『バーゼルワールド2021』の出展料に振り向ける一方、残りの15%を延期になった今年のフェアの必要経費として徴収する」というもの。
もうひとつのプランBは、「支払った出展料の30%を返金し、40%を『バーゼルワールド2021』の出展料に振り向ける。そして残りの30%を今年のフェアの必要経費として徴収する」というもの。しかも、2021年1月開催のバーゼルワールドへの出展を取りやめた場合、デポジットは一切返還しないというものだ。
ただ筆者は、スイスの輸出額の約10%を占める時計業界の問題だけに、スイス政府が何らかの政治的介入を行って、妥協点を見つける可能性はゼロではない、と考えていた。
だが、出展社委員会と5ブランド4社によるバーゼルワールド事務局およびMCHグループに対する「怒り」は、もはや限界に達していたのだろう。自分たち出展社委員会、そして「WATCHES & WONDERS GENEVA(旧SIHH)」事務局との協議なしに、2021年1月への開催延期を一方的に決めたことに象徴される、相変わらず独善的なバーゼルワールド事務局とMCHグループの姿勢に対して、彼らは「離脱」という最後の、そして最強のカードを切ったのだ。
5ブランド4社がバーゼルワールド離脱を表明した同日夕方にバーゼルワールド事務局が発信したプレスリリースを読むと、彼らの当惑、そして彼らが事態を楽観していたことが分かる。彼らは「引き続き、フェアの存続に全力で取り組む」と述べている。
すでに「賽は投げられた」
しかし、すでに「賽は投げられた」。5ブランド4社は、おそらくバーゼルワールド事務局とのデポジットの返還訴訟を覚悟した上で、FHH主催によるWATCHES & WONDERS GENEVAと同時期の新フェア開催を決断したのだ。
ロレックスもパテック フィリップもショパールも、本社機能はジュネーブやその近隣にある。対して、バーゼルはスイスの時計産業にとっては、長年続いてきたフェア会場であること以外に特段、意味や価値はない。
LVMHグループもバーゼルを離脱
他の時計ブランドも、この5ブランドに追随することは間違いない。その証拠に、早くも動いたブランドがある。2020年4月17日、2019年のバーゼルワールドへの参加を表明していたLVMHグループに属するタグ・ホイヤー、ウブロ、ゼニスが、すでに参加を取りやめていた同グループのブルガリとともに、2021年1月のバーゼルワールドから離れることを正式に発表した。その詳細は、次回の本コラムでお伝えする。
こうした動きが加速すれば、かつてのスイス2大時計フェアは、スイス時計発祥の地ジュネーブというひとつの場所、ひとつの時期に集約されることになる。来年、ジュネーブで開催されるこの新しい時計フェアが、誰にとっても歓迎すべき、楽しく、実り多きものになることを心から祈らずにはいられない。
「世界時計祭」として栄華を誇ったかつてのバーゼル・フェアは、時計ジャーナリストの筆者にとって、最も大切で愛着のある「学びとビジネスの場」であった。だが、もはやその存続は困難だろう。残念だが、それはバーゼルワールド事務局やMCHグループ、さらに長年フェアの上にあぐらをかいて暴利を貪ってきた人々の責任であり、その帰結としての必然というものだ。
さようなら、バーゼル。そして改めて、こんにちは、ジュネーブ。
渋谷ヤスヒト/しぶややすひと
モノ情報誌の編集者として1995年からジュネーブ&バーゼル取材を開始。編集者兼ライターとして駆け回り、その回数は気が付くと25回。スマートウォッチはもちろん、時計以外のあらゆるモノやコトも企画・取材・編集・執筆中。
https://www.webchronos.net/features/37886/