サッカー元日本代表の香川真司がギリシャ入国時に着用したブライトリング

独立したプッシュボタンを開発したブライトリング

 ブライトリングはクロノグラフのスタンダードなスタイルを確立したブランドだ。1923年に創業者レオン・ブライトリングの息子にして2代目を継いだガストン・ブライトリングが、ツープッシャークロノグラフ付き懐中時計を開発している。これは「スタート/ストップ」機能と「リセット」機能用にそれぞれプッシャーを分離させるという試みだ。これによってクロノグラフは複数の連続した時間を積算することが可能となったのである。

 その後、タキメーター付きのクロノグラフやスプリットセコンド機能を装備したクロノグラフがブライトリングから誕生する。34年にはクロノグラフ機構の操作が完全に独立したモデルを製作し、ブライトリングは現代のクロノグラフの基礎を作った。

ガストン・ブライトリング

創業者のレオン・ブライトリングの後を継いで1914年に会社のトップに就いたガストン・ブライトリング。翌年には2時位置にプッシュボタンを配したクロノグラフを発表するなど、積極的に開発を行っていた。しかし就任から13年後の27年に、まだ14歳だった息子のウィリー・ブライトリングを残し急逝。

 そして今回の主役である「ナビタイマー」が最初に登場したのは1952年のことである。モデル名は世界初の航空回転計算尺付きのクロノグラフとして航海や航空を意味する“ナビゲーション”と計時を意味する“タイマー”を組み合わせた造語である。デザインベースは1942年に誕生した「クロノマット」で、更に緻密な計算を可能としている。


プレミアリーグでアジア人初のハットトリック

 香川は幼稚園に通う頃からサッカーを始め、中学に入る頃にはFCみやぎバルセロナ(宮城県仙台市)へのサッカー留学を決めた。その後はU-15日本代表に選ばれるなど、着実に経験を積み活躍を重ねていった。通信制の高校へ通いながらセレッソ大阪で4年、その後はブンデスリーガのボルシア・ドルトムントへ移籍、2012年にはマンチェスター・ユナイテッドに移籍。13年にはプレミアリーグにおけるアジア人初のハットトリックを達成、このシーズン、マンチェスター・ユナイテッドは2シーズンぶりのリーグ優勝を成し遂げた。

 古巣のドルトムントへ復帰後、チームは低迷する時期もあった。しかし、トーマス・トゥヘル監督が就任した後はトゥヘルの戦術に香川のプレーがマッチし、ブンデスリーガ公式サイトがTwitterを使って実施したベストイレブンに選出され、トップ下部門1位に選ばれるなど再び輝きを取り戻した。

 その後は新監督に就任したリュシアン・ファーヴル監督の構想から外れ、香川はトルコのベシクタアシュJK、スペインのレアル・サラゴサと移籍するが、20年10月をもって、レアル・サラゴサとの双方合意の上で契約を解除し、フリーエージェントとなった。ここでJリーグへの復帰を熱望したのが古巣のセレッソ大阪である。しかし正式オファーを受けた香川は、1年半の契約をギリシャのスーパーリーグPAOKテッサロニキ締結。ヨーロッパに残ることを選んだ。

 引き続き、Jリーグへの復活を望む声もあるが、節目の日に選んだ時計と同様にスタート/ストップ、リセットを自在に操り、彼自身が選んだ場所での活躍に期待したい。


【時計にまつわるお名前事典】 ブライトリング「ナビタイマー」
ブライトリング「ナビタイマー」の名前の由来をひもとく。

https://www.webchronos.net/features/37745/
【アイコニックピースの肖像】ブライトリング/ナビタイマー Part.1
ナビタイマーは、なぜ時計業界におけるアイコンとなったのか。半世紀以上にわたる歴史と、その新しい歩みを見ることにしたい。

https://www.webchronos.net/iconic/25077/
【4K動画】ナビタイマーを解説。回転式航空計算尺を持つブライトリングのアイコンの変わらない魅力とは
『クロノス日本版』広田雅将編集長によるマニアックな解説を楽しめるコンテンツです。今回はブライトリングの「ナビタイマー」を紹介します。

https://www.webchronos.net/features/68377/