既にユニバーサル ジュネーブの買収を発表していたブライトリングは、ブランドにとって更なる重要な一歩として、Gallet(ギャレ)の買収を発表した。これにより、1826 年に創業された歴史あるGallet(ギャレ)が、ちょうど二世紀の節目に再始動することになる。
Gallet(ギャレ)の歴史

Gallet は、1826 年にジュリアン・ギャレットによって La Chaux-de-Fonds で創業された。歴史的にこのブランドは、冒険や長距離旅行の精神を体現し、レース、航空、オフロード探検のための堅牢な計時機器を製造してきた。この伝統は、ブライトリングのクロノグラフの DNA とも通じるものがある。
1871 年、Gallet はアメリカ市場へ進出し、ジュール・ラシーヌ & Co.が北米における Gallet の時計の独占販売代理店となった。これにより、北米は同ブランドの主要市場となる。
ライト兄弟の初飛行
Gallet は、1903 年に初の動力飛行の計時を行ったストップウォッチを開発し、航空時代の幕開けに貢献。ウィルバー・ライトとオーヴィル・ライトが操縦した画期的なライトフライヤー号は、59 秒で 852 フィートを飛行した。この際に使用された懐中時計は「The Sun」として市場に登場し、Gallet は航空史にその名を永遠に刻むこととなった。

懐中時計の時代
1907 年、Gallet は時計メーカーである Société d'Horlogerie Electa を買収し、「Fabriqued’ Horlogerie Electa, Gallet & Co.」を設立する。この買収から 1926 年までの間は、技術革新や特許の取得、国際的な評価を受ける重要な時期となり、精密時計の分野における Gallet の将来を築く基盤となった。その後、Gallet は引き続き確立された米国市場に注力し、主にエタブリスールとしての役割を担うこととなる。すなわち、時計の設計を行いながら、スイスでの製造と組み立ての調整を行っていた。
腕時計の時代
1970 年代から 1980 年代にかけて、スイスの時計業界はクォーツショックとスイスフランの高騰による打撃を受け、多くの名門ブランドと同様に Gallet も沈黙を余儀なくされた。しかし今、ブライトリングのもとで、長く待ち望まれた復活の時を迎えようとしている。
Gallet 名作時計で特に際立つ 2 つのモデル(フライング・オフィサー)

Gallet の数ある名作時計の中でも、特に際立つ 2 つのモデルは、旅行、スポーツ、産業において欠かせない存在となった。まず、1939 年に登場した「フライング・オフィサー」は、複数のタイムゾーンを追跡できる画期的な防水クロノグラフだった。この革新的なツールは、大陸間飛行が始まったばかりの時代において、パイロットや乗客にとって不可欠な相棒となった。当時の長距離飛行は、数日にわたる旅程の中で何度も一泊を伴う燃料補給を必要としていたからだ。

揺るぎないリーダーシップで知られるハリー・S・トルーマン大統領も、Gallet の精密さを象徴するフライング・オフィサーを愛用していた。このタイムピースには「Col.Truman From Vic Paul」という刻印が施されており、クリスマスギフトとして贈られたもので、トルーマン大統領は日常的に身につけていたと言われている。
彼自身も「これほど精巧な腕時計は見たことがない」と語っていた。現在、このタイムピースは歴史的価値の高さから、コレクターの間で最も人気のあるヴィンテージ Gallet のひとつとなっている。
トルーマン大統領から妻へのお礼の手紙
Gallet 名作時計で特に際立つ 2 つのモデル(マルチクロンクラムシェル)

同様に重要なのが、1938 年に発表された「マルチクロンクラムシェル」であろう。これは、埃や湿気、大雨にも耐えられるよう設計された、初期の防水クロノグラフのひとつで、モーターレース、スピードボート、航空、その他のスポーツ向けにさまざまなバージョンが展開され、マルチクロン・シリーズは Gallet の伝統を象徴する代表的なタイムピースとなった。

レース用のクロノグラフ、マルチクロンレギュレーター
このラインには、マルチクロンレギュレーターも含まれていた。他の写真は、アメリカの伝説的なレーサーであるレックス・メイズが、1940 年に有名なフラットトラック自動車レース選手権であるスプリングフィールド・マイルで優勝した際に贈られたものだ。
この賞は、Gallet がモータースポーツの分野で重要な存在であり、過酷な状況下でも卓越した性能を発揮することを示している。マルチクロンレギュレーターは、メイズの精密さと飽くなき挑戦心、そしてハイオクタンなモータースポーツの世界を象徴するモデルとなった。
