最新モデルらしい優れた装着感と機能性
余談だが、筆者は以前、プロフェッショナルの第六世代である「3570.50」を所有していた。過去形ということはつまり、今はもう所有していない。ヘサライトクリスタルのモデルであったため幾重心が下がっているとはいえ、やはり手首の上にボールを載せているようなゴロゴロ感が否めず、少し強く手を振ろうものならブルンブルンと暴れた。当時は薄型軽量なドレスウォッチに好みが寄っていたためか、これがどうにも我慢できず手放してしまったのである。スポーツウォッチも常用するようになった今では、また違った感想を持つかもしれないが、スピードマスターに対する私の原体験はそこまで良いものではなかったのである。
それがどうだろうか、実際に着用したスピードマスター クロノスコープは、大型のケースにも関わらず、以前のようなゴロゴロ感を思わせないものであった。これはケースバックが薄く、低重心であることが寄与していると思われる。更にブレスレットはコマのひとつひとつが小さく、しなやかに動くため、適切に調整すれば見た目よりもいくらか軽快に着用することができる。懸念であった小さなバックルも重量バランスを損なうようなものではない。微調整機構を搭載したことによって、少し厚みのあることが功を奏しているのだろう。ラグからラグまでの長さも抑えられているため、腕上の収まりも良い。
視認性もすこぶる良好だ。先述の通りコントラストの高いダイアルと、然るべき長さまできっちりと伸びた針は、屋内屋外を問わずユーザーに正確な時間を教えてくれる。ヴィンテージ風の趣を強調するようなボックス型のサファイアクリスタルの縁は、光を受けて優しく歪み、繊細なダイアルに温かみを与えている。
クロノグラフを起動してみる。操作方法は、2時位置のプッシャーで発停、4時位置のプッシャーでリセットを行う一般的なものだ。各プッシャーはしっかりとした感触と共に機能する。あくまで筆者の乏しい経験を踏まえた感想に過ぎないが、非ねじ込み式プッシャーの誤作動のリスクも加味すると、妥当な押し心地ではないだろうか。
そして、しばらくクロノグラフを動かし、あることに気付く。1本だと思っていた積算計の針が2本に増えているのである。よく見るとインダイアルに書かれているのは、3,6,9,12の数字。これは12時間と60分の同軸積算計であったのだ。ツーカウンタークロノグラフは大抵、30分もしくは60分の積算計を備えている。ここにもうひとつインダイアルが増えることで、ようやく時間単位の積算が可能となる。筆者はしばしばツーカウンタークロノグラフを見て、せっかくのクロノグラフなのだから長く計れた方がいいだろうにと思っていた。ただ、インダイアルが少ない分すっきりとしたデザインのモデルも多く、“お洒落は我慢”とはこういったものなのかと、よく分からない理屈をつけて納得していたのであった。
それが今まさに、目の前で覆されているのだ。先入観とはかくも恐ろしいものである。同軸であることは、インダイアルの数字を見れば一目瞭然と言えばそこまでだが、2本重なっていることを気付かせないほどに違和感なく取り付けられている針には驚いた。これは、デザインと機能性を両立させた好例だと言えるのではないだろうか。また、この同軸積算計は、直感的に読み取りやすいこともメリットだ。12時間で1周する針と60分で1周する針が備わっているということは、つまり2針の時計と同じように読み取れば良いのである。
手巻き(Cal.9908)。44石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。SS(直径43mm、厚さ12.8mm)。50m防水。110万円(税込み)。
一般的な30分積算計は、小さなインダイアルを用いて1分1分を正確に読み取ることには長けているが、経過時間を確認するためには、まず時間側の積算計を確認し1~30分までを計っているのか31~60分を計っているのかを判別し、その後に30分積算計に目を移し、読み取らなければならない。目盛りは細かくなってしまうが、1つのインダイアルで完結する同軸積算計に軍配が挙がる計測シーンも少なくないはずだ。
次にリュウズを操作する。ねじ込み式でないため、そのまま12時方向に回すことで主ゼンマイを巻き上げることができる。リュウズ自体は大きいが、竪琴デザインのケースとプッシャーの存在によって、あまり巻きやすくはない。巻き上げた感触は、ザザザザザザッといったところだろうか。そこまで軽くはないが、いかにも自動巻きムーブメントをベースとした手巻きムーブメントといった感じだ。この感触は人によって好みが分かれそうであるが、しっかりと巻き止まりが備わっており、機能的には不足がない。
ノンデイトにも関わらず、リュウズは2段引きとなっている。1段引くと、時針のみ1時間単位で前後に動かすことができる。これは、「タイムゾーン機能」というものであり、時差のある場所に行った際に、簡単に時差修正ができるというものだ。もちろんこのポジションではハックが効かないため、調整している間に秒がズレてしまうといったことにはならない。更にもう1段引くと時刻調整のポジションとなる。針を回した感触は重すぎず軽すぎず、ちょうどよい塩梅と言えるだろう。狙ったところにしっかりと合わせることができる。
“計る”を楽しもう
数多のバリエーションを生み出してきたスピードマスターにおいて、本作が異色の存在であることは間違いない。1940年代のクロノグラフに範を取った、スネイルデザインの3種のメーターとふたつのインダイアルがもたらすクラシックなデザイン。そして、マスター クロノメーターを取得したハイスペックなムーブメントの組み合わせは、古き良き手巻き式クロノグラフをじっくりと熟成させてきた、これまでのプロフェッショナルとは一線を画すものだ。特にムーブメントの見た目や巻き心地には、ある種の割り切りのようなものが感じられる。
では、本作はロマン溢れるプロフェッショナルに比べて魅力に劣っているのだろうか。筆者はそうは思わない。せっかくの最新式ムーブメントを搭載したクロノグラフである。3つのメーターと共にバシバシと使い倒してしまおうではないか。目の前を通り過ぎるスーパーカーの速度を、遠くで光った稲妻までの距離を、運動した後の自分の脈拍を、この時計1本あればどれも正確に計ることができるのだ。
あるいはちょっとした休憩時間や目的地までの移動時間でも良い。クロノグラフという機能は、残酷に過ぎ去る時間をただただ表示するのではなく、自分の意思を持ってそれらを切り取るものなのである。スタートを押してからストップを押すまでの世界は、3時位置のインダイアルに記録される。主体者となって時間に関与する。それが、クロノスコープと名付けられた本作の楽しみ方ではないだろうか。
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