エル・プリメロ、開発と改良の足跡
古典的クロノグラフの完成形へ

1969年に発表されたエル・プリメロは、最初期に発売された自動巻きクロノグラフのひとつとして記憶されている。しかしこのムーブメントの素晴らしさは、巻き上げ機構よりも、非凡なクロノグラフ機構にある。エル・プリメロとは、自動巻きクロノグラフの先駆けという以上に、古典的なクロノグラフの完成形なのである。

Cal.3019PHC

Cal.3019PHC
1969年初出。古典的なクロノグラフ機構に、コンパクトなリバーサーを押し込むことでクロノグラフの自動巻き化を果たした。これは31石仕様だが、石数で関税の変わるアメリカ市場向けには17石仕様が供給された。自動巻き。31石(17石)。3万6000振動/時。パワーリザーブ約50時間。直径29.33mm、厚さ6.5mm。

 1969年1月10日に発表されたキャリバー3019PHC。多くの人々は、それをゼニスとモバードの共同開発であったと考えている。時計史家のフリッツ・フォン・オスターハウゼンも、大著『モバード』にこう記している。「長い期間を経て育まれた複雑時計に対するモバードの経験は、同社をエル・プリメロの理想的な共同開発者にした」。しかし筆者の見る限り、エル・プリメロの基本設計は、ほぼゼニスによるものだったと言って間違いない。


 確かにモバードは、複雑時計の製造に豊かな経験を持っていた。しかしその複雑機構は例外なくモジュール構造を前提としていた。39年発表のクロノグラフ、キャリバーM90は、手巻きにクロノグラフモジュールを載せたものであり、45年の「カレンドマティック」が搭載したキャリバー225も、やはりカレンダーモジュールを文字盤側に重ねたものだった。その設計思想は時代をはるかに先取りしていたが、モジュール化を得手としたゆえに、同社は薄型自動巻きというトレンドに乗り遅れた。結果、モバードの創業一族であるディティシャイム家は、モバードをゼニスに売却することになる。69年のことだ。


 エル・プリメロが成功を収めた原因は、頑強なクロノグラフ機構と、コンパクトな自動巻きの組み合わせにあった。そもそものアイデアは、クロノグラフメーカーのレ・ポン・ド・マルテルにあっただろう。ユニバーサルの傘下企業として、優れたクロノグラフムーブメントを製造していたマルテル。60年に同社はゼニスに売却され、以降ゼニスのクロノグラフは急速に〝マルテル化〟されている。

Cal.146

ゼニス Cal.146
1934年初出。マルテル時代の名称はCal.749。後にユニバーサルCal.285となったクロノグラフである。マルテルらしい強固なリセットハンマーとクロノグラフ中間車レバーに注目。またクロノグラフ機構に関わるほとんどの部分(例えば積算計の噛み合いの深さ)などが調整可能である。こうしたCal.146の特徴は、エル・プリメロにも受け継がれた。
レマニア Cal.1040系

レマニア Cal.1040系
1972年初出。エル・プリメロの影響を受けた自動巻きクロノグラフ。コンパクトなリバーサーを丸穴車に噛ませる設計は、エル・プリメロに同じだ。75年に製造中止。なお99年から再生産されている後継機のCal.1350は、リバーサーに代えて耐久性に優れたマジックレバーを採用。
Cal.2522P系

ゼニスCal.2522P系
エル・プリメロの特徴であるコンパクトなリバーサー。そのルーツは1954年初出のCal.2522P系に求められる。ベースは手巻きのCal.2522系。2番車と4番車をセンターに重ねた通常輪列の外側に、コンパクトなリバーサーを配置することで自動巻き化を果たしている。
Cal.7750

バルジュー Cal.7750
1973年初出。やはりエル・プリメロの影響を受けたであろう自動巻きクロノグラフのひとつ。コンパクトな片方向巻き上げを採用して自動巻き化を果たした。ただし初期の自動巻きクロノグラフが例外なくそうであったように、コンパクトな巻き上げ機構は耐久性が低かったとされる

 ではいつ、エル・プリメロの設計が始まったのか。62年に旧マルテルの技術者は、独自に自動巻きクロノグラフのスペックシートを完成させている。しかし、ゼニスが新型自動巻きクロノグラフの設計を下命したのは65年のことだったとジャーナリストのギスベルト・L・ブルーナーは記している。どちらにせよ、エル・プリメロの設計に際し、マルテルがベースとなったことは間違いない。


 当時クロノグラフのエボーシュとして普及していたのは、バルジューとヴィーナスである。年々クロノグラフ機構を洗練させた彼らに対し、マルテルはむしろ耐久性を重視するようになった。バルジュー72とゼニス146(旧マルテル749、ユニバーサル285)を比較すると、後者のレバー類は大きく太く、クロノグラフの調整箇所も多いことが分かる。さるコレクターが「エル・プリメロのクロノグラフは、ゼニス146を転用したもの」と喝破した通り、エル・プリメロの基礎設計は、見事なまでにマルテルであった。

エル・プリメロ クロノグラフ A386

エル・プリメロ クロノグラフ A386
1969年に発売された最初期型エル・プリメロのひとつ。18KYGモデル「G381」のケース素材をSSに改めたもの。加えて12時間積算計を拡大し、それぞれのインダイアルには異なる色があしらわれた。基本デザインは、現行の36’000VPHに引き継がれている。製造本数は2500本。自動巻き(Cal.3019PHC)。SS(直径38mm)。ゼニス所蔵。

 しかしマルテルのクロノグラフは、お世辞にもコンパクトとは言えなかった。これに自動巻きを組み合わせるには、よほどコンパクトな巻き上げ機構が必要となるはずだ。しかし幸いなことに、当時のゼニスは優れて省スペースな自動巻きムーブメントを持っていた。60年初出のキャリバー2522Pは、手巻きの2522にコンパクトなリバーサーを〝埋め込んだ〟自動巻きムーブメントであった。その巻き上げ機構は現代の基準で見ても素晴らしく簡潔で、ローターと丸穴車の間には、1枚の中間車と2枚のリバーサーしかない。エル・プリメロのリバーサーは2522Pに酷似しており、コンパクトな巻き上げ機構を丸穴車に直接つなぐ発想も2522Pに同じだ。ただし2枚のリバーサーを載せるスペースすらなかったのか、エル・プリメロはリバーサーを1枚しか持たない。

 エル・プリメロとは、マルテルの流れを汲むキャリバー146に、キャリバー2522Pの巻き上げ機構を合体させたもの。設計を見る限り、そう断言して間違いない。ではモバードは、何をもって共同開発者として名を連ねたのか? 当時の彼らはモジュール型のクロノグラフと、強固で大きな巻き上げ機構を持っていたが、それはエル・プリメロに求められたものとは正反対だった。唯一モバードの貢献が考えられるのは高振動化だ。

 ゼニスもモバードも、当時の天文台コンクールでは常に優れた成績を残していた。しかし高振動化に対して無頓着だったゼニスに対し、モバードはかなり意欲的だった。彼らは天文台用に、プゾー260を2万1600振動/時に改良し、64年のキャリバー270では3万6000振動/時を実現した。実現の鍵となったのは、ファー社(現ニヴァロックス・ファー)の新型脱進機「クリナージック21」である。66年にこの高振動脱進機はついに量産化され、スイス時計は一挙に高振動化の可能性を得るが、筆者の知る限り、極初期からクリナージック21を採用していたのはモバードだけであった。おそらく同社は高振動化のノウハウを、新しい自動巻きクロノグラフに提供したのだろう。


 マルテルのクロノグラフに、ゼニスの自動巻き、おそらくはモバードの高振動化技術が組み合わされたキャリバー3019PHC。69年1月10日の発表を聞いた関係者は、驚きを隠し切れなかっただろう。何しろこのムーブメントは、従来のクロノグラフ機構を犠牲にせず自動巻き化を果たしたうえ、3万6000振動/時という超高振動を誇っていたのだから。しかも直径は29・33㎜、厚さは6.5㎜に過ぎず、パワーリザーブも約50時間と長かった。発売こそセイコーの6139に後れをとったが、エル・プリメロは同年に発表されたあらゆる自動巻きクロノグラフより、はるかに高い完成度を誇ったのである。

デイトディスクを外した文字盤側。エル・プリメロの知られざる美点に、12時間積算計の素晴らしい設計がある。香箱から直接動力を得るETA7750やレマニア1871と異なり、動力をオンオフするクラッチを持つ。加えてCal.146に比べても、積算計の保持が頑強になった。

ローターとローター受けを外した状態。規制バネの多くは線バネになったが、全体的なクロノグラフ機構はCal.146に酷似する。左上に見える銀色の歯車が、主ゼンマイの巻き上げを司るリバーサー。クロノグラフ輪列の妨げにならないよう、空きスペースに配置されている。

 しかし3万6000振動/時という超高振動は、初期のエル・プリメロに問題を引き起こした。巻き上げ機構の摩耗である。超高振動化を実現するため、エル・プリメロの主ゼンマイは、1550g・㎝という極めて強いトルクが与えられた。これはETA2892A2の2倍近く、腕時計では最大級である。加えてエル・プリメロのテンワは7.1㎎・㎠という大きな慣性モーメントを持っていた。強いゼンマイを巻き上げるには重いローターが必要であり、両者をつなぐ自動巻きも強固であるべきだった。しかし小型化されたエル・プリメロの巻き上げ機構に、頑強さは期待できなかった。


 54年初出のキャリバー2522Pは、69年当時、より高振動化した2572Pに進化していた。強い主ゼンマイに対応するため、このムーブメントのリバーサーは、クラッチに強固な〝爪〟を採用。しかしエル・プリメロのリバーサークラッチは、2522Pと同じく板バネ式だった。ゼニスはなぜ、リバーサーをアップデートしなかったのか?

巻き上げ機構と通常輪列の配置。9時位置に見えるのが丸穴車。上側にあるのがリバーサーからの動力を丸穴車に伝える中間車、下側が香箱である。自動巻きと丸穴車を連結する機構は、50年代の自動巻きに多く見られたものだ。しかしゼニスは、この仕組みを極度に洗練させた。

 理由はおそらく負荷だろう。軽い板バネを使えば、巻き上げ機構の負荷を小さくできる。負荷が下がれば、巻き上げ効率は改善される。苦肉の策として、巻き上げ機構に関してのみ、ゼニスは耐久性よりも巻き上げ効率を重視したのではないか? 余談になるが、後年にロレックスがエル・プリメロをデイトナに採用した際、同社はベースムーブメントにさまざまな変更を加えたが、もっとも大きな違いは巻き上げ機構にあった。エル・プリメロの簡潔なリバーサーは、ロレックスの好みに合わなかったのだろう。同社はリバーサーをロレックス流の頑強なものに改めただけでなく、2万8800振動/時にまで振動数を落として、巻き上げ機構への負担を軽くしている。

 巻き上げ機構に弱点を抱えていたものの、エル・プリメロは群を抜いて優れたクロノグラフであった。仮に自動巻きでなくとも、エル・プリメロは成功を収めたに違いない。しかしこの優れたムーブメントも、クォーツの普及とスイスフランの高騰が引き起こしたゼニスの退潮を押し留めることはできなかった。72年にアメリカのゼニスラジオ社がMZMグループ(Mondia-Zenith-Movado)を買収。75年にはエル・プリメロも製造中止となってしまった。資料によると69年から86年までに出荷された旧エル・プリメロは、合計3万9920本に過ぎない。

高い減速比と、軽い動作を実現したエル・プリメロのリバーサー。不動作角が小さく、巻き上げ効率に優れているが、耐久性は決して高くない。なお現在も、このリバーサーはオーバーホールごとに交換必須の「交換指定部品」とされている。

強固な設計と、調整箇所の多さを誇ったマルテルのクロノグラフ。その設計思想はエル・プリメロも同じである。ムーブメントに見える青ネジは、調整可能な箇所。(左)リセットハンマー。中心のネジをまわすことで、ハンマーが広がり、秒ハートカムと、分ハートカムとの当たり幅を調整できる。(中)リセットハンマーと同軸に置かれたリセットハンマーの規制バネ。重いハンマーを支えるため、バネには凹凸状のガイドが設けられる。(右)コラムホイールを引いて回す方式の作動ツメ。偏心ネジでコラムホイールとの噛み合いの深さが調整可能だ。

 しかしエル・プリメロは不死鳥のごとく蘇った。エベルに相応しい自動巻きを探していたCEOのピエール・アラン・ブルムは、ゼニスにエル・プリメロの在庫を照会。時計師のシャルル・ベルモは、屋根裏に隠したエル・プリメロの部品をブルムに提供した。81年のことである。ただしこの時点でもなおエル・プリメロは廃版のままだった。エベルに提供されたエル・プリメロは、あくまでも社内在庫(フルカレンダーの3019PHF)をかき集めたものでしかなかったのである。


 84年に、ゼニスはエル・プリメロの再生産に着手。86年にはキャリバー400という名称を与えられた。ゼニスの資料によると、新しいエル・プリメロは3029PHCとなる予定であった。後に40.0に変更され、最終的には400に落ち着いた。3019PHCとの大きな違いは、耐震装置とコラムホイール上の〝キャップ〟である。耐震装置がインカブロックからキフに改められたほか、遊動レバーと分クロノグラフ中間車レバーの挙動を安定させるため、コラムホイールにはS字状のキャップが被せられた。


 大きな改良を受けるのは98年である。4番車、ガンギ車、アンクル爪の形状が変更され、キャリバー400系は「400Z」に進化。ガンギとアンクルの噛み合いを改善するため、4番車の歯数は100から120歯に増え、対してガンギ歯は21歯から20歯に減らされた。69年初出のエル・プリメロは、ようやく400Zで完成に至ったのである。


 現在もなお、圧倒的な性能を誇るエル・プリメロ。仮にこれほどの高機能でなかったとしても、その設計は古典的なクロノグラフの完成形と言ってよい。しかし、もちろん弱点はある。強固なクロノグラフに比べると、巻き上げ機構は今もって脆弱であり、定期的なメンテナンスが絶対に欠かせない。確かに最新のクロノグラフに比べると、維持の手間はかかる。しかし丁寧に整備されたエル・プリメロは、古典的なクロノグラフの楽しさを存分に味わわせてくれる。今なおこの傑作が製造されていることを、素直に言祝ぎたい。

リバーサーの設計図

エル・プリメロの自動巻き化を実現した鍵が、コンパクトなリバーサーである。これは1969年3月26日に書かれたリバーサーの設計図。1月10日の発表後も、設計が続いていたことが分かる。棒状の部品がリバーサーの動きを規制する板バネ。