〝厚さ1m/m〟に構築される複雑機構
[オクタキャリバーの変遷と拡張]
オクタの成功は、優れたベースムーブメントが完成した時点で約束されたようなものであった。加えてジュルヌは、このムーブメントに高い拡張性を与えた。それが、文字盤の左側にできた巨大な余白である。このスペースを生かして、ジュルヌは毎年のように新しい機構を加えることになる。しかもその厚みはわずか1mmというものであった。
先述の通り、基本的にオクタコレクションは共通のケースを持っている。ジュルヌが述べたように、モデルごとにケースを作り分けたくなかったためだ。
しかしジュルヌという時計師は、決して外装に無頓着な人物ではない。時計を設計する際、まず文字盤のデザインから取りかかるという彼は(オクタも文字盤のデザインから始まった)、表向きのポーズとは異なり、外装に過剰なほどの執着を持っている。でなければ、創業間もない2000年に、文字盤メーカーを買収した理由は説明できないだろう。
しかしF.P.ジュルヌの関係者はこうも述べる。「ジュルヌが初めて懐中時計トゥールビヨンを作った際、最も手間取ったのはケースの製造だった。もしケースがあれば、彼はもっと早く時計を作り上げたのではないか」。初の作品を完成させた後に、ジュルヌは初めてケースサプライヤーの存在を知ったという。外装には興味がないと言い放ち、ケースの共通化という手法を選んだジュルヌ。その裏には、ケース作りで苦しんだ第1作の〝トラウマ〟があるのかもしれない。
2001年初出。堅牢なベースムーブメントに、薄い付加機構を重ねたモデル。ムーブメント全体に部品を分散させるというジュルヌの設計思想はこの第1作にこそ顕著だ。ジュルヌを代表する傑作であり、その完成度は今もって際立っている。自動巻き(Cal.1300-3)。Pt(直径38mm)。参考商品。
2007年初出。視認性を高めるため、時分針を文字盤の中心に移したモデル。といっても輪列をいじるのではなく、文字盤側に中間車を加えて対処している。なおパワーリザーブ表示を動かすラックが干渉しないよう、その位置はわずかにずらされた。基本スペックは上モデルに同じ。Pt(直径38mm)。501万8000円。
余談はさておき、ケースの共通化を実現したのは、ジュルヌの卓抜した設計手腕であった。まずはオフセットした輪列。通常輪列全体をリュウズ側に寄せることで、キャリバー1300は、文字盤側の12時、3時、6時方向に大きな余白を持てるようになった。もっとも、ただ寄せただけでは丸穴車と輪列が接触してしまう。そこでジュルヌは、丸穴車を小型化し、それを複数つなげることで手巻き機構自体を小型化してみせた。輪列をオフセットさせると、付加機構を載せるスペースは必然的に大きくなる。
加えて彼は、その大きなスペースに載せる付加機構を薄く仕立てた。その厚みは最大で1ミリ。とはいえ、ただ薄く作るだけでは強度に不安が残る。そこで彼は付加機構をモジュール化するのではなく、分厚く切った地板に固定する手法を選んだ。分厚い地板に固定できれば、付加機構の厚みを減らしても問題は起こりにくいだろう。01年初出の第1作「オクタ・リザーブ・ドゥ・マルシェ」が好例だ。これは12時位置に2枚のディスクを持つ日付表示と、文字盤中心近くにパワーリザーブ表示を置いたモデルである。それぞれの機構は完全に分けて配置されており、それがこのムーブメントに薄さをもたらした。
03年の「オクタ・リュヌ」は設計がいっそう巧妙である。7時位置にムーンフェイズを設けたにもかかわらず、ムーブメントの厚みはリザーブ・ドゥ・マルシェに同じ。付加機構を押さえるカバーをえぐり、そこにムーンフェイズと駆動機構を据え付けたためである。ちなみにオクタが載せるキャリバー1300はパワーリザーブの表示機構がかなり大きい。120時間表示のため、針を動かすラックを拡大せざるを得なかったためだ。そのためパワーリザーブ表示の近くに付加機構を載せにくいはずだが、ジュルヌはカバーを削ってムーンフェイズを据えるという荒技で、厚みを変えずに機構だけを増やしてみせた。
2003年初出。リザーブ・ドゥ・マルシェの7時位置にムーンフェイズを追加したモデルである。付加機構を押さえるカバーをえぐってムーンフェイズ機構を載せたことで、厚みはリザーブ・ドゥ・マルシェと同じ5.7mmに留まった。自動巻き(Cal.1300-3)。Pt(直径38mm)。参考商品。
(中)オクタ・オートマチック・リュヌ
オートマチック・リザーブにムーンフェイズを加えたモデル。なお近年のオクタにはオフセットしていない文字盤が増えた。ジュルヌ曰く「老眼で細かいものが見にくくなったから、表示を大きくした」とのこと。確かにインデックスも大きい。基本スペックは上モデルに同じ。自動巻き(Cal.1300-3)。Pt(直径38mm)。588万9000円。
(右)オクタ・ディヴィーヌ38mm
初めて標準的な文字盤を備えたのが、女性用のディヴィーヌ(2005年初出、38mmは06年に追加)である。ケースサイズは36、38、40mmの3種類。女性用と但し書きはしてあるが、男性も十分使える時計であり、凝縮感があり大変好ましい。自動巻き(Cal.1300-3)。Pt(直径38mm)。590万2000円。
多くの時計メーカーは、機構を変えずに、外装を変えることでバリエーションを増やそうとする。対してケースを変えずに機構を変えるという真逆のアプローチを選んだのがジュルヌである。これはジュルヌが設計者としてどれほど多くの引き出しを持っているかという証しでもあるだろう。
機構を変えるという好サンプルが、02年の「オクタ・カレンダー」だ。これはスペースを要するディスク式の日付表示とパワーリザーブ表示を取り外し、そこに非連続型(つまりカムとレバーで駆動される)の年次カレンダーを据え付けたものである。
“カレンダー”としか記されていないが、実は非連続型の年次カレンダーを搭載したモデル。文字盤中心から伸びた針が、レトログラード式の日付表示。部品を散らして薄型化を図るというジュルヌの設計思想がよく表れたムーブメントでもある。自動巻き(Cal.1300-3)。Pt(直径38mm)。参考商品。
発表当時、ジュルヌはこう説明している。「永久カレンダーも作れるが、正直それは望まない。最大の理由はケースにプッシャーを付けたくないからだ。私が作りたかったのは、より簡単にアクセスできる〝パーペチュアル〟だった」
面白いのはカレンダーの動力源だ。通常の年次カレンダーや永久カレンダーは日の裏輪列から動力をとる。しかしこの年次カレンダーは、一日に一歯ずつ進むデイトリングが、すべてのカレンダーの動きを司る。ちなみにこれはクルト・クラウスの設計したIWCのダ・ヴィンチにまったく同じ。リュウズだけでカレンダーを早送りできるだけでなく、ムーブメントの外周に置かれたデイトリングが動力源のため、カレンダー機構をムーブメント全体に散らしやすい点を、ジュルヌは高く評価したのだろう。
デイトリングがメインレバーを動かし、それが日車に噛み合ってカレンダーを動かす年次カレンダーや永久カレンダーは他社にも存在する。しかしさらにレトログラードを追加したのはジュルヌらしい。動きを司るのは日車に重ねたスネイルカム。針の戻しレバーがスネイルカムの切れ込みに落ち込むと戻しレバーが動き、それに噛み合ったラックが針を1日に戻す。戻しレバーのわずかな作動量だけで、針を300度以上動かせる理由は、大きなスペースを逆手にとって、テコの原理を最大限に効かせたためである。おそらく調整は難しく、薄い年次カレンダーとしては野心的過ぎるほどの設計だが、薄さと実用性を両立させようとした興味深い試みである。
これをベースに生まれたのが、09年の限定モデル「オクタ・パーペチュアルカレンダー」だ。基本設計は年次カレンダーに同じ。月車に載せた12カ月カムが、29日と30日の日送りを司る点もまったく変わらないが、7時位置に付加カムを設けることで、12カ月カムを永久カレンダー用の48カ月カム(これにより閏年の2月末の早送りも可能である)に見立てている。12カ月カムに補助カムを付けて永久カレンダーに仕立て直す手法は、最近の永久カレンダーでよく見られるものだ。しかしこのふたつを垂直ではなく、並列に置いたのが、薄さにこだわるオクタらしい。ちなみにこの永久カレンダーは、8時位置にジュルヌが嫌ったプッシャーを備えている。理由をたずねたところ「これで月の早送りをするため」とのこと。つまり時計を長期間放置しても、プッシュボタンを押して月を早送りできるので、カレンダーの合わせは容易、というわけだ。プッシャーを嫌ったジュルヌがあえて採用しただけあり、一応筋は通っている。
2009年初出。永久カレンダーは作りたくないと公言していたジュルヌが手掛けた、初の永久カレンダー。カレンダー機構自体は上の年次カレンダーにほぼ同じ。加えて8時位置のプッシャーで月だけの早送りが可能である。Ti(直径40mm)。世界限定99本。参考商品。
この発展系が、13年に発表された「カンティエーム パーペチュアル」だ。カレンダーの表示はすべて回転ディスク式となり、それに伴い機構は一新された。最大の変更点はデイトリングが、すべての永久カレンダーを切り替えるという仕組みを放棄したことだろう。重いディスクを瞬間的に切り替えるには、切り替えバネに力を蓄える必要がある。クイックに切り替わるデイトリングでは、力を蓄積できないのは道理で、そのためこの新しいパーペチュアルは、日の裏輪列からカレンダーの動力を取るという古典的な手法に戻った。その設計は極めて複雑だが、オクタ・カレンダーと同様に、部品を散らして薄型化を図り、テコの原理を生かして重いカレンダーを動かすという思想は一貫している。レトログラード針のコントロールが難しいことを考えれば、新作の方が機械としての安定性は高いだろう。
F.P.ジュルヌ初のレギュラー版永久カレンダー。2013年初出。年次カレンダーをベースにしたものではなく、完全なる新規設計。カムとレバーで動く非接触型のメリットを生かし、大きな表示を瞬時に切り替えるという特徴を持つ。なお月だけの早送りはこのモデルも可能である。Pt(直径40mm)。864万5000円。
これ以外にも興味深いモデルはいくつかある。ひとつは「オクタ・クロノグラフ」。これは時分針の軸にフラットなコラムホイール(ジュルヌのカタログにはカムとあるが、回転するのでコラムである)を置いたもので、文字盤側に設けた追加の4番車が中間車を動かし、文字盤中央のクロノグラフ車を駆動する。惜しくも生産中止になってしまったが、その簡潔な設計は最もジュルヌらしいのではないか。また洗練された設計を示すように、プッシュボタンの感触も極めて良好だ。
13年発表の「オクタ・UTC」は、7時位置の地球儀と、文字盤上のGMT針を連動させたもの。4時位置には地球儀を回転させるためのコレクターを持つが、構造上リュウズを3段引きにできないキャリバー1300の場合、コレクターの採用はやむを得ない。
巧妙な設計により、1ミリという厚さの中で付加機構を完結させてしまったオクタ。ジュルヌの発想と設計力には舌を巻くが、良くも悪くも彼が天才であることも忘れてはならないだろう。ジュルヌの時計師はこう漏らす。「オクタのムーブメントは大変に良くできています。しかし普通に分解して組み立てるだけでは動きません」。堅牢なベースムーブメントと、薄い付加機構がもたらしたオクタの卓越したパッケージング。しかしそれも組み上げることのできる優れた時計師たちがいればこそ、という事実も忘れてはならない。
2013年初出。付加機構のカバーをえぐって機構を追加するという設計手法はオクタ リュヌに同じ。しかし地球儀とGMT針が完全に連動するほか、コレクターを使って地球儀だけを単独で動かすことも可能。極めて実用的なGMT時計だ。Pt(直径40mm)。614万9000円。
2012年初出。ムーブメントとケースにアルミニウム素材を使用。現在はTiケースとなり、重さは60gとなった。ムーブメントを回転して載せたため、スモールセコンドの位置が6時に移動した。また9時位置には昼夜表示が加わっている。Ti(直径42mm)。318万5000円。
2004年初出。リザーブ ドゥ マルシェの外周に、1年間で1周する月と星座表示を備えたモデル。2枚のディスクからなる日付表示が直接これらの表示を駆動する。特別変わった機構ではないが、時計としての凝縮感は素晴らしい。Pt(直径40mm)。世界限定150本。参考商品。
2001年に発表されたオクタコレクションの最高傑作。時分針の軸に薄いコラムホイールを固定するという発想が際立っている。大きな地板を生かして、部品の配置にも無理がない。プッシュボタンの感触も現行のクロノグラフとしては例外的に優れている。Pt(直径38mm)。参考商品。