ジャック・ホイヤーが求めた
角型防水ケースとその発展

1950年代から60年代にかけて、腕時計の自動巻き化は急速に進んだ。残されたのはクロノグラフである。対してジャック・ホイヤーは、自動巻きクロノグラフムーブメントの開発を急がせる一方、それにふさわしい“新しいケース”を求めた。解をもたらしたのはケースメーカーであるピケレの提案だった。

モナコ

初代モナコのケース構造。標準的な2ピース構造に思えるが、ムーブメントを留める中枠とミドルケース、裏蓋が一体化され、それをベゼルと一体化したケースカバーが覆っている。水圧がかかると両者が押され、風防の下に敷かれたパッキンがつぶれて防水性を保つ。このケースが「コンプレッサーケース」である所以だ。

 ジャック・ホイヤーが「当時最も才能のある人々」と評したように、1950年代半ばから70年代初頭にかけて、ケースメーカーのピケレは、非常に野心的なケースを製造した。なかでも知られているのは、ケース内を真空にする「バキュームケース」、またはダイバーズウォッチに使われた「コンプレッサーケース」や「スーパーコンプレッサーケース」だろう。モナコが採用したユニークな防水スクエアケースも、実はコンプレッサーケースの派生形であった。

 1955年、ピケレはケースやリュウズ内にOリングを持つ、防水のコンプレッサーケースを開発した。これは、今の防水ケースの先駆けといってよいものだった。続いて同社は、より気密性を高めた「コンプレッサー2」ケースをリリース。構造はコンプレッサーに似ていたが、裏蓋とミドルケースが一体化し、それをケースが覆う設計となった。その構造は、5000系のG-SHOCKを思わせる。その最終形にあたるのが、スーパーコンプレッサーである。ねじ込み式の裏蓋にバネを内蔵し、防水性能をさらに高めたこのケースは、多くのダイバーズウォッチに採用された。60年代に製造された、リュウズふたつのダイバーズウォッチケースは、ほとんどがスーパーコンプレッサーと考えてよい。IWC然り、ジャガー・ルクルト然り、ロンジン然りだ。

 あくまで推測だが、ピケレのデザイナーは、ミドルケースをケースがカバーして気密性を高めるコンプレッサー2の構造が、スクエアケースに転用できる、と考えたのだろう。ムーブメントをミドルケースと裏蓋を一体化させたハウジングに収め、上からケースカバーを被せる。ケースを外すときは、専用の工具に時計を取り付け、風防を押してケースカバーを引き上げると、ミドルケースとケースカバーが分離される。ケースこそスクエアだが、モナコのケース構成はコンプレッサー2そのものだった。

モナコ ミドルケース

外した状態のミドルケースとケースカバー。取り外しには、033という専用のツールが必要で、裏蓋には033の刻印がある。初代モナコはすべてこのケースを持っている。

 大きな違いは、防水パッキンである。普通、防水用のパッキンは、裏蓋とケースの間に挟み込む。対してモナコでは、風防とミドルケースの間に敷かれるのみだ。つまり、防水性能を担保するのは、1枚の四角いガスケットだけなのである。かなり乱暴な構成だが、ピケレはミドルケースとケースカバーの噛み合わせ精度に自信を持っていたのだろう。事実、現存するモナコのムーブメントは、同年代のクロノグラフに比べて経年変化が少ない。もっとも、このガスケットは経年劣化で溶けやすく、しばしば文字盤にダメージを与えた。

 野心的なクロノマティック自動巻きとスクエアの防水ケースを持つモナコ。しかしその凝った構成は、価格を引き上げることとなった。19609年12月1日の販売価格は、クロノマティック入りのカレラが195USドル、オータヴィアが215USドル、モナコは220USドルとさらに高かった。これは、当時最も正確とされた、ブローバ「アキュトロン」の14Kゴールドケースモデル(200USドル)や、月面着陸でアメリカ人に強い印象を残したオメガ「スピードマスター」(185USドル)より高価だったのである。

モナコ

1997年のリバイバル以降、モナコは標準的な2ピースケースに改められた。ベゼルとミドルケースを一体化し、そこに4本のネジで裏蓋を固定する。切削技術の進化により、ケースの完成度は大きく高まった。また、スクエアケースにもかかわらず、気密性も向上した。

 さらにビューレンの不振も、クロノマティックとモナコの未来に暗い影を落とした。1972年、ビューレンを傘下に置くハミルトンは、ビューレンの解散を決定。それに伴い、クロノマティックのベースとなるマイクロローター自動巻きの製造は中止となった。ホイヤーはビューレンからストックパーツと製造機械を購入したが(おそらく、デュボア・デプラに移管されたのだろう)、コスト高になることは否めなかった。

 最終的に、モナコの息の根を止めたのは、1975年の大不況だった。スイスフランの高騰に伴い、ホイヤーのキーマーケットであるアメリカでの売り上げは、個数で53%、金額で48%の減となった。74年の時点で、ジャック・ホイヤーは売り上げが25%減になることを予想していたが、実際は40%以上減らし、145万スイスフランの赤字を出した。結果としてコストのかかるモデルの製造をやめざるを得なくなったのである。当然その中には、凝ったモナコも含まれていた。以降もモナコはいくつかのモデルが生産されたが、これらはケースの在庫処理という意味合いが強い。

 だが、製造技術の進歩は、モナコに再び光を当てることとなった。1997年、タグ・ホイヤーは復刻版のカレラをリリース。続いて同年に、スクエアケースのモナコも復活させた。もっとも、ケース構造はかつてのモナコとは別物だった。ケースカバーが裏蓋と一体化したミドルケースを覆うのではなく、標準的なミドルケースと裏蓋の組み合わせに改められたのである。裏蓋は4本のネジ留め。かつてはあり得ない構成だが、精密に加工されたケースと質を高めたOリングの組み合わせは、〝新型〞モナコに、掛け値なしの100m防水という性能をもたらしたのである。

 では、現時点でのモナコはどのようなラインナップとなったのか。詳細を見ていくことにしたい。