世界の若手時計師の育成と独立を支援するスイスの「ヤング・タレント・コンペティション」。2020年、同賞の優勝者として、日本人として初めて関法史氏が受賞の栄冠に輝いた。その偉業を速報する。
「ヤング・タレント・コンペティション」とは?
2015年より開催されている「ヤング・タレント・コンペティション」。自身も独立時計師として活躍し、今や世界の“目利き時計愛好家”から篤い支持を集めるフランソワ-ポール・ジュルヌ氏が率いるブランド、F.P.ジュルヌとアカデミー独立時計師協会(AHCI)が、時計業界の次世代を担う人材を発掘すべく、世界中から優秀な時計師の卵を探し出し、その中で最も将来性のある優秀な若者に賞を授与し、独立への道をサポートしてきたものである。
2019年からは、シンガポールを拠点とするアジア太平洋地域を代表するラグジュアリーウォッチのリテーラー、アワーグラスの協力を得ており、「ヤング・タレント・コンペティション」の優勝者には証書に加え、時計製作ツールの購入や自身の時計プロジェクトに活用できる2万スイスフランの賞金が授与される。
その2020年の「ヤング・タレント・コンペティション」優勝者が、10月22日、スイス・ジュネーブのモントル・ジュルヌより発表された。
栄冠を手にしたのは同賞初の日本人、関法史氏
2020年の「ヤング・タレント・コンペティション」の優勝者に選ばれたのは、同賞初の日本人受賞者となった関法史氏だ。そして、その作品が、今年3月に東京のヒコ・みづのジュエリーカレッジのウォッチメーカーマスターコースを卒業した関氏が、同校の卒業制作で手掛けた“球形ムーンとドラムのカレンダー搭載ポケットウォッチ”である。同校では希望すれば、1年かけて時計を設計・製造できるコースがあり、関氏は最終年次の3年生の時にそのコースを受講し、卒業制作としてこの時計に取り組み、見事、栄冠に輝いたのだ。
関氏は言う。「私は高い視認性をもたらす大きなムーンフェイズ表示を備えた時計を作ることに興味を持っていたので、この特別な懐中時計を製作しようと思いました。通常のムーンフェイズ表示が使用するディスクでは、デザインの可能性が大きく制限されてしまいます。そのため、より高い視認性を可能にする球体をムーンフェイズの表現に採用することにしました」。
そもそも、なぜムーンフェイズ表示に関心を持っていたのかと尋ねると、「私は自然のものが好きなんです。時計の根源である時間の概念は、自然現象に対して人間が定めた“人工的”なものです。対して、月は直感的に自然を感じることができます。このように自然を感じられる時計は“アート”とも通じます。時計の時を知る道具の部分と、自然を感じられる芸術作品の要素を併せ持った時計を作りたかったのです」
さらなる挑戦
直感的に自然を感じられるムーンフェイズ表示を、既成概念にとらわれずに、球体で表現した関氏。最も想い入れの強いムーンフェイズ表示をスムーズに動かすことに成功した彼だが、懐中時計の6時位置に巨大な球体ムーンフェイズ表示を組み込んだことで、一般的な日付表示ディスク(デイトリング)を載せることができなくなってしまった。そこで彼は、文字盤の下で水平方向に回転するデイトリングではなく、垂直方向に回転するドラム式の日付表示を考案した。
「スムーズに駆動するムーンフェイズ表示に対して、垂直方向に回転する日付表示が当初、期待通りに動いてくれないという問題に直面しました。また、この時計に合わせてテンプを大きくするため、振動数を毎秒8振動から6振動に落としたのですが、テンプを再設計し、新たに製造するのにも、とても苦労しました。今でもドラム式の日付表示の早送り機構の改善に取り組んでいます」
この大型の日付表示は、左の窓で月を、右の窓で日付を2桁で表現しているが、関氏が説明するように、それぞれの窓の2桁の数字は、いずれもふたつのドラムを垂直方向に回転させることで月と日付を切り替えるという独創的なものである。時計の裏側を見ると、球体ムーンの両側には垂直方向に回転する歯車が備えられ、この歯車がこれらのドラムを駆動しているのだ。
巨大な球体ムーンフェイズ表示と、垂直方向に回転するドラムによってそれぞれ2桁で示される大型の月と日付表示。そして、それらを邪魔しないように、時・分・秒を独立して表示するレギュレーター方式の採用。実は、関氏は卒業制作とは別に、夏休みに個人的なプロジェクトとしてレギュレーターウォッチに取り組み、すでに形にしていた。その経験がこの卒業制作時計のレギュレーターにも生かされていることは間違いない。
ムーブメントの設計と製造
関氏がこの懐中時計に搭載したムーブメントは、試行錯誤しながら自身で一から製造したパーツと、既存のムーブメントから転用したパーツとで構成されている。
「私が自身で製造した部品は、地板、ムーンフェイズ表示とドラム式のカレンダー機構です。香箱から4番車までの輪列の大部分は、長年時計業界で多くのメーカーに使用され、高い信頼性と堅牢性を持つ汎用エボーシュムーブメントETA7750から転用しました。しかし、この懐中時計に合わせてテンプを大きくするために、振動数をETA7750の毎秒8振動から6振動に落としてムーブメントを駆動させたかったので、脱進機をプゾー7040から取りました。そして、4本のアームを持つ大きなテンワを自身で製作し、ETA7750のヒゲゼンマイと組み合わせました」
結果的に、テンプ受けにはETA7750のエタクロン緩急針を保持したというが、そのテンプ受けと脱進機の受けには手作業で彫金が施されている。
「時計の外装部品も自身で製作しました。文字盤のギヨシェ装飾は専用の機械を使うことができなかったので、旋盤を応用して、エングレービングを施しました」
このように、ムーブメントの設計と製造において、自身の直感と感性を信じ、苦労を乗り越え、製作された“球形ムーンとドラムのカレンダー搭載ポケットウォッチ”。
この意欲作であり、労作が、時計業界の第一線で活躍し、大きな影響力を持つフランソワ-ポール・ジュルヌ氏をはじめ、フィリップ・デュフォー氏、アンドレア・ストレーラー氏、ジュリオ・パピ氏など、押しも押されもせぬ錚々たる審査員たちで構成される「ヤング・タレント・コンペティション」の審査委員会によって高く評価され、関氏が2020年の優勝者に選出されたことは、未来の時計業界を担う人材の発掘という本来の趣旨から見ても偉業であるが、やはり初めて日本人が同賞を受賞したことは、日本の時計業界にも希望を与えるものであり、大きな喜びをもって迎え入れたい。
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