2002年に発表されたファーストタンブールの18KPGバージョン。太鼓型の2ピースケースを持つクロノグラフである。ベースムーブメントはゼニス製のエル・プリメロ。自動巻き(Cal.LV277)。36石。3万6000振動/時。パワーリザーブ約50時間。18KPG(直径44mm)。100m防水。参考商品。
以降タンブールはコンプリケーションを増やしていくが、パーソナライゼーションが可能な「モノグラム・トゥールビヨン」は別として、他のラインナップには高度な実用性が追求された。08年の「オリエンテーション」や、10年の「スピン・タイム GMT」はもちろん、11年にリリースされた「ミニッツリピーター」ですら例外ではない。個性的な太鼓型ケースとユニークな機構で目を惹くタンブール。しかしその本質は、あくまでも旅で使える実用時計だったのである。
もっとも時計のデザインに際して、ルイ・ヴィトンは他の時計メーカーとはまったく違うアプローチを選んだ。具体的にはマーク・ジェイコブスが2000年以降に強調した「今やセクシーでボールド」(ブルームバーグ)という路線である。タンブールのデザインは明らかにそうだったし、04年にリリースされたトゥールビヨンは、より大胆な意匠を持っていた。
そしてルイ・ヴィトンのビジネススタイルも、時計業界への参入を容易にした。ベルナール・アルノーが経営を継承して以降、ルイ・ヴィトンは製造と販売を一貫させるようになった。つまり卸しを省いて、直営店に商品を並べるスタイルである。かつて時計業界に参入するには、モノを作る以上に、どうやって流通網を開拓するかが課題だった。しかし自前の流通網と直営店を持つルイ・ヴィトンは、いきなり時計業界に参入できた。今や時計業界の定石となった製販一体だが、先駆けはルイ・ヴィトンだったのである。
実用性とデザインにフォーカスして成功を収めたタンブール。さらなる飛躍のために招かれたのが、ハムディ・シャティである。ハリー・ウィンストン・レア・タイムピーシズの社長を務め、モンブラン時計部門の責任者に転じた彼は、ウォッチビジネスの拡大を目指すルイ・ヴィトンにうってつけだった。
12年、彼は著名なジャーナリストのナザニン・ランカニーニにこう語っている。「2002年に時計作りを始めて以来、私たちの狙いとは、すべての時計を社内で組み立て、クォリティコントロールを行い、そして時計を開発することです」。11年にルイ・ヴィトンは高名な複雑時計工房、ラ ファブリク デュ タンを買収。続いて文字盤工房のレマン・カドランも手中に収めたのである。