驚くべき博識で、IWCコレクターに敬意を払われるのが、“IWCミュージアムの主”こと、デヴィッド・セイファーである。ドイツとスペインで学んだ後、シュトゥットガルト大学で研究者となった彼は、2007年にIWCの社史編纂に携わり、10年から現職に就いた。「私を駆り立ててきた要因は、私自身がウォッチラヴァーであること。私は機械式時計のメカニズムと歴史に魅せられて、時計全体の歴史を学ぶようになった。とりわけIWCは私を魅了してくれた。最初に魅せられたのはクルト・クラウスの手掛けた最初のダ・ヴィンチ・パーペチュアルで、その後IWCで働く機会を得た。プロとしてIWCで働けて嬉しく思う。IWCの豊かな歴史は私を満足させてくれる」。そんなセイファーにとって、IWCの最も大きな魅力とは何なのか? 「私にとってIWCとはハート、つまりムーブメントだ。たとえデザインが変わっても、150年もの間、常にハートの正確さが最も重要だったのです」。
在籍35年のマルティン・ハーバースティッシュが、ムーブメント・アッセンブリー部門の責任者である。現在は、主にキャリバー52000系と、59000系の製造を監修する。なぜ彼はIWCに就職したのか? 「昔、ドイツ語圏のスイスにある時計メーカーがIWCしかなかったからだよ」。しかし35年も在籍しているとは、よほど相性が良かったのだろう。「IWCで働いていて嬉しいのは、まるで会社が家族のような点だね。長く在籍しているから多くの人を知っているよ。また静かな環境で、好きな時計に触れるのも嬉しいね」。
IWCで極めて大きな意味を持つのが、ケーシングの担当部門である。ムーブメントをケースに収めるだけではなく、完全に傷なし、埃なしという基準をクリアせねばならない。責任者はデヴィッド・モラゴン。IWCで研修を受けた後にそのまま入社した、生粋のIWCっ子だ。入社後、サービス部門ではムーブメントのオーバーホールを担当し、精度調整部門に短期間所属した後、現職に就任した。「見習いとしてIWCに入り、今年で17年目になる。IWCがもっと小さな社屋だった頃から、今まで時間を過ごしてきた。共に成長してきたIWCとは、私にとって家族のような存在だし、私の携わっているアッセンブリーの部門は特別な存在だと思っている」。
複雑時計を組み立てる時計師には、しばしば哲学者のような人物がいる。複雑時計部門で責任者を務めるクリスチャン・ブレッサーもやはりそういったひとりだ。「IWCの魅力は、ムーブメントに確かな品質があること。顧客が対価を払って購入したラグジュアリーな時計や車は、確かなクォリティを持たねばならない。個人的な目標は、それだけの質を与えて、さらに超えていくことだ」。では彼はなぜ17年もIWCに在籍しているのか? 「複雑時計のムーブメントはデリケートで、組み立てには集中力がいる。それは私にとって癒やしであり、新しい世界に飛び込むような気分をもたらしてくれる。私はこの感覚を楽しんでいるよ」。
筆者は半世紀以上も昔の逸話を思い出した。ある日、IWCの経営陣がアルバート・ペラトンを呼び出して問うた。「ヒゲゼンマイを巻き上げる熟練工の賃金が高すぎる。平ヒゲにできないのか?」。対してペラトンはこう答えた。時計に精度を与えるために、巻き上げヒゲは不可欠だ。だから彼らの賃金は妥当なのだと。正直、振動数の高い現行ムーブメントならば、平ヒゲでもかなりの精度は出せる。しかし巻き上げヒゲの方が等時性に優れるのは事実であり、だからこそIWCは頑なに巻き上げヒゲを搭載する。なるほど、ペラトンが君臨した会社ではないか。
同じく2階には、コンプリケーションの組み立て部門があり、時計師たちがムーブメントを組み上げていた。「ダ・ヴィンチ・パーペチュアル」を作る手を止め、時計師のクリスチャン・ブレッサーが話してくれた。「なぜIWCで働いているかって? 私がIWCに加わったのは17年前のことだ。スイスにある多くの時計会社を訪問したが、家族のような感じを与えてくれたのはIWCだけだった」。
シャフハウゼン市街の中心部にあるIWC。新棟の落成に伴い、中央棟の1階にはミュージアムが設けられた。展示されているのは、歴代IWCの傑作とその資料。室内の一角を指して、セイファーが手招きしている。見ると、IWCとポルシェデザインがコラボレーションして作り上げた傑作、「オーシャン2000」のミリタリーモデルが並んでいる。「ミュージアムにはぜひ、IWCのポルシェデザインを並べたかった」と語る彼にとって、オーシャン2000がずらりと並ぶ様子は、悲願だったようだ。元大学の研究者が携わっているだけあり、それぞれの展示は見やすく、説明も明確だ。IWCらしい分かりやすさは、ミュージアムもまた例外ではない。
自社製ムーブメントの組み立て責任者とコンプリケーション部門の責任者。彼らふたりに共通するのは、在職期間の長さと、他部門へのコミットメントだ。時計師にくちばしを突っ込まれることを嫌う設計者が多い中、IWCでは昔から、時計師が設計に〝文句を言う文化〟が根付いているらしい。ハーバースティッシュはこう語った。「私は自社製ムーブメントの51000にいろいろ文句を言ったよ。19回はアップグレードされたね」。アッセンブリーの責任者がこう言って胸を張る会社など、いくつあるだろうか?
東棟を抜けて中央棟に戻ると、最上階にマーケティング部門がある。そこを抜けて渡り廊下を通り、川沿いの別棟に向かうと、R&D部門とデザイン部門がある。室内の造作は気鋭のIT企業のようであり、窓の外には、ライン川と対岸の緑が広がっている。なるほど、創作にはうってつけの環境だろう。
さらに奥へと進むと、R&D部門を率いるステファン・イーネンが迎えてくれた。改めて少し説明しておこう。02年に入社した彼は、フライバッククロノグラフのキャリバー89000系の設計に携わり、その後R&D部門の責任者に抜擢された。簡単に言うと、クルト・クラウスの後継者である。そして今や彼は、ムーブメントだけでなく、外装の設計までも監修する、いわばIWCのキーマンとなった。しかしその重責にもかかわらず、イーネンの柔らかい物腰は昔と何も変わっていない。彼に限らず、物腰の柔らかさは、IWCの人たちに共通する美点だ。
「IWCと他社との違い。それは私たちがスイスの西側から離れていること。ドイツ語圏にある孤島のようなものだ。だから時計作りのアプローチは西側とは大きく異なる。率直で、より技術的だよ」。彼が例として挙げたのは、新しい「ダ・ヴィンチ・トゥールビヨン」のレトログラード式日付表示だ。