与えられた課題はすべて困難だったが、ノーと言ったことはない。そしてほとんどをやってのけたんだ - クルト・クラウス
have never rejected any offers for difficult tasks.
And in the end, more often than not I succeeded. - Kurt Klaus
93年、IWCはグランドコンプリケーションにトゥールビヨンを加えた「イル・デストリエロ・スカフージア」を発表した。トゥールビヨンを設計したのは、かつてIWCに在籍していたリヒャルト・ハブリングと聞いていたが、パピの事例同様、最終的に完成させたのはクラウスだったらしい。「あなたはどこでトゥールビヨンの設計を学んだのか?」と尋ねたところ、彼は率直に答えている。
「パウル・ゲルバーからだよ。私はゲルバーにトゥールビヨンの設計を学んだ。ただゲルバーとハブリングのトゥールビヨンは、動くには動いたが、量産化は難しかったね」
しかし多くを学ぶといっても、クラウスの業績は、エボーシュの改良から永久カレンダーの設計、そしてミニッツリピーターの製品化とあまりにも幅広い。さまざまなことに向き合って、正直いやにはならなかったのか?
「与えられた課題はすべて難しかったが、ノーと言ったことはない。そして、できなかったこともないね」。その好例には、機械式水深計を備えた「GST・アクアタイマー・ディープワン」がある。基本設計はリヒャルト・ハブリング。ただし完成させたのは、設計途中でIWCを去ったハブリングではなく、まったく門外漢のクラウスだった。
「ETA2892に耐磁性の部品を載せることもやったね。ポルシェデザインがコンパスウォッチを作ることになった。ところが当時のETAは、脱進機が耐磁してしまう。そこ耐磁性のある素材を脱進機に使ってみた」
要望に対して、決して〝ノー〟を言わないクラウスのスタンスは、やがて豊かな経験を彼に与えることになったのである。
そんなクラウスの集大成のひとつが、2000年に発表された自社製自動巻き「キャリバー5000系」だろう。直径36・6㎜に、7日巻きというロングパワーリザーブを持つこのムーブメントは、ペラトンの後継者らしい、重厚な設計に特徴がある。あくまで筆者の私見だが、ダ・ヴィンチは簡潔さを求めるクラウスらしさを体現した機械だった。対してキャリバー5000系は、いかにもIWCといった成り立ちを持つ。どちらもクルト・クラウスが手掛けたムーブメントだが、このふたつを並べて、同じ設計者によるものと推測するのは難しい。つまりそれぐらい、クラウスの設計には、良い意味での〝幅〟が生まれていたのである。もし彼が〝学ばない時計師〟であったなら、IWCはどうなっていただろうか。設計の一貫性は増したかもしれないが、実用的な時計メーカーから脱皮することは難しかっただろう。
クルト・クラウスという人は、設計の長所と短所を指摘するだけで、決して無理強いをしなかった - ステファン・イーネン
Mr. Klaus regularly advises us and points out advantages and disadvantages
regarding certain movement constructions.
But he never insisits on a particular advise.- Stefan Ihnen
ルクで時計師としての教育を受けた後、オッフェンブルクの大学で精密工学を専攻。2002年IWCに入社。06年9月からR&D部門の責任者を務める。
「93年に発表したポルトギーゼ・ジュビリーが成功を収めた後、96年にはポルトギーゼ・クロノを作った。その後で、懐中サイズの自動巻きムーブメントを作れないかと考えるようになった」。なお、IWCの公式掲示板で管理人を務めるマイケル・フリードバーグは、懐中サイズで自動巻きを作ろうと主張したのは、5000系の共同開発者であるデニス・ツィンマーマンだったと述べる。しかし本稿ではクラウスの記憶に従うことにしよう。
「懐中サイズで新しい自動巻きを作りたいとブリュームラインに伝えたところ、ならば駆動時間を7日間に増やせと求められた」
同じ機能ならばプライスを抑え、同じプライスならば機能を増やすことを旨としたブリュームラインらしい要求だ。これに対してクラウスは、約7日間以上という長い駆動時間をシングルバレルで実現させている。
「2000年のプレスカンファレンスの際、多くのジャーナリストに、なぜ香箱をふたつにせず、ひとつにまとめたのかと聞かれたよ」
彼らの疑問はもっともだ。香箱の数を増やしてひとつあたりの主ゼンマイのトルクを減らすほど、トルク管理は容易になる。今のロングパワーリザーブ機がマルチバレルを好む一因だ。「シングルバレルにすると、たしかにトルクの管理は難しくなるね。ただ香箱を増やすと、長期間の耐久性をあまり期待できない。そこで敢えて香箱をひとつにした。ただし私がシングルバレルを採用できた本当の理由は、ペラトンにまでさかのぼれる」。
自動巻きの主ゼンマイ、とりわけトルクの強いゼンマイは、香箱内部で滑る際に、しばしば内壁を削ってしまう。対してペラトンは硬化処理したアルミニウムを香箱に用いることで、耐久性を増している。筆者の知る限り、IWCがこれを採用したのはキャリバー852以降である。以降IWCのペラトン自動巻きは無類の堅牢さを誇るようになった。
クラウスはおそらく、新型キャリバーにも往年の名機に並ぶ耐久性を与えたかったのだろう。彼はペラトンが採用した〝硬い香箱車〟を、新しい自動巻きにも採用した。調速脱進機も同様である。振動数は、当時としても決して高くない1万8000振動/時(現在は2万1600振動/時)。しかし巻き上げヒゲと、彼がストックしていたキャリバー853系の脱進機を流用することで、優れた精度を実現した。かつてペラトンが巻き上げヒゲの採用に固執したことを考えれば、クラウスがペラトンの愛弟子であるという、これは何よりの証しだろう。巻き上げ機構もやはりペラトン式。歯車の噛みあわせではなく、ツメを引っ掛けて香箱を巻き上げるペラトン式の自動巻き機構は、大きく重い反面で、良く設計されていれば耐久性に優れ、巻き上げ効率高い。当然巻き上げるツメの素材は、昔のペラトンに同じく硬いベリリウム合金製だ。
「ブリュームラインはまず日付なしのムーブメントを作れと求めた。日付表示付きはその後から発表するのだと。私は加えて、センターセコンドにも対応できる設計にしておいた。後からセンターセコンドに仕立て直すと、再設計に5年はかかるからね。将来を考えて拡張性を持たせておくことは大切だ」
クルト・クラウスは、1999年に現役を退いたが、以降も主要なムーブメントの設計にはアドバイザーとして携わっている。彼が最後に手掛けたのは「ポルトギーゼ・トゥールビヨン・ミステール・レトログラード」と「ポルトギーゼ・トゥールビヨン」であった。
「私は美しい時計が好きだ。だからトゥールビヨンのキャリッジを12時位置に置こうと思った。加えてシースルーにしたかったから、フライングトゥールビヨンとして設計した」
堅牢さを好むクラウスが、敢えて作ったフライングトゥールビヨン。しかしそこはペラトンの愛弟子、キャリッジを支えるベースは無類の頑強さを誇っている。またキャリッジを支える軸に、ボールベアリングを採用した。
実際の設計を行ったのは、クラウスの後継者たちである。ルック・ボジョワ、ジャン-フランソワ・モジョン、そしてステファン・イーネン。中でも「どうしようもないほどペラトンとクラウスの弟子」と公言するイーネンは、師匠についてこう語っている。
「私がクラウスさんに初めて会ったのは2002年2月のことだ。クルト・クラウスという人の特徴は、設計の単純化にあると私は思っている。永久カレンダーが好例だろうね。普通に設計していくと、部品点数は倍になるだろう。今のパーペチュアル・デジタル・デイト・マンスも、デイトリングがカレンダーを駆動するという根本は85年のダ・ヴィンチと同じだ。確かに設計は大きく異なるが、堅牢な点も受け継いでいるだろう」
イーネンに前述したクラウスのコメントをそのまま伝えた。時計師であって良かったと。
「設計者が時計師であることは重要だろう。というのも、図面を見ても部品の大きさは分からないからだ。自分でバラしてみないと、どれだけ部品が小さいのかは実感できない。クラウスさんからは、時計師であることの重要性を教わったよ」。クラウスから学んだことは他にもいろいろあると彼は続ける。
「クルト・クラウスという人は、こうしなさいとか、こうしろとは言わない。設計の長所と短所は指摘するけど、無理強いはしない。普通、あれほど経験を積んだ時計師ならば、もっと偉そうだし、閉鎖的になるだろう。しかし彼は常にオープンだし、惜しげもなくノウハウを教えてくれる」
実際、どういったアドバイスを受けたのかと聞いたところ、イーネンは旧アクアタイマーの「スプリット・ミニッツ・クロノグラフ」を例に挙げた。これはケースの9時側にあるスイッチのオンオフで、分針に隠れているスプリットミニッツ針が、フライバック〜リスタートを行う時計だ。いわば、秒ではなく分スプリットクロノグラフである。
「スプリットセコンドに同じく、スプリットミニッツ針の動きは、クランプで規制する。私たちが設計したものを見て、クラウスはトルクに対して設計が弱い(=レバーが細い)のではないかとアドバイスしてくれた。ただ彼は、こうしなさいとは言わなかったね」