現在、コンプリケーションウォッチの開発部門を率いているマイケル・フリードマン(彼は長きにわたって同社ミュージアムのヒストリアンを務めてきた)たちと共にオーデマ ピゲのDNAを洗い出し、それをベースに新しいカタチを与えたのは、当時のクリエイティブディレクターであったクロード・エマネゲーだ。ボールペンでのドローイングを得意とする彼は、1999〜2003年まで同社デザイナーとして在籍。その後はフリーランスとして活躍していたが、2015年に復帰。オクタヴィオ・ガルシアの後任としてクリエイティブディレクターに就任している(18年5月に再び離職。現在はフリーランス)。コード11.59のコンセプトワークが16年頃から始まったことを思えば、エマネゲーは持てる才能のすべてをコード11.59に注ぎ込み、デザインの完成と同時に再び去って行ったということになる。エマネゲーといえば「ロイヤル オーク コンセプト」(02年初出)のデザイナーとしても知られるが、「ロイヤル オーク オフショア」(1993年初出)を手掛けたエマニュエル・ギュエ(現EGスタジオ代表)と同様、ジェンタの最高傑作にメスを入れるという難問に苦慮したに違いない。コード11.59のデザインでは、ジェンタの登場以前に歴史をさかのぼってDNAを抽出。自身の最高傑作に仕上げたのだ。
マイケル・フリードマンは、コード11.59のデザインワークに参加した当時を振り返りながら次のように語る。
「スイス高級時計産業は、その愛好家たちも含めて保守的なものです。しかしオーデマ ピゲの歴史は、革新の歴史でもありました。1910年代から流行に逆らったクリエイションをしてきたのですから。それが可能だったのは、美しいファセットを作れる職人がジュウ渓谷にいたからだと考えています。だからコード11.59にも、最も難しいファセットを採り入れました。何しろ途中から幅が変わってゆくのですから、これはロイヤル オークよりも難しい。考えてみれば、ロイヤル オークやオフショアなど、コンセプトが理解されるのに時間を要したモデルほど、長く愛されていますね」
フリードマンは、コード11.59が持つ装着感の良さを挙げて、エルゴノミクスデザインの終着点を目指したという。腕に巻くと、スッと重さが消えるのだ。「ウォッチデザインのジェンダーレス化が進む中で最も大切なことは、ユーザーが時計をどう感じるかという部分です。コード11.59は一気にデリバリーせずに、少しずつユーザーの感性に訴えていこうと決めていました。ユーザー自身に時計の良さを、時間をかけて発見して欲しいと願っています。デジタル世代の新しいユーザーは情報を頭だけで理解しがちで、体感する情報はあまり得意ではない。しかし実際には、体感しないと分からない情報の方が圧倒的に多いのです。これはアートやクラシックカーなどと共通する感性だと思いますが、つまりコード11.59とはそうした時計なのです」
CADや工作機械の性能が向上して、優れたデザインや設計が短時間で構築できるようになったとしても、それを手で仕上げられなければ意味がないとフリードマンは強調する。ツールが進化しても、作品を作るのはあくまで作家や職人だ。「新しい技術と職人の技は、我々にとっては同じ比重を持っています。時代がどれほど移り変わっても、それがジュウ渓谷の伝統なのです。時計産業に限らず、過ぎた時代を忘れてはいけません。それが新しいアイデアを生むことも多いのですから。我々の〝製品〞にではなく、〝仕事〞に興味を持っていただきたいですね」
各所からの情報を総合すると、コード11.59の年産数は2000本程度になるらしい。その多面的な魅力が浸透してゆくのには一定の時間を要するだろうが、その時にはもはや手遅れということも十分にあり得る。コード11.59のファーストモデルは、新たな歴史を切り拓いた〝未来のヴィンテージ〞となるに違いない。