AUDEMARS PIGUET
薄型を作り続ける名門のノウハウが結実した成果
1940年代以降、薄型時計の製造で世界的な名声を得たオーデマ ピゲ。近年は、大きく厚い「オフショア」などに傾倒しているものの、かつてのDNAは、今も同社に根強く残っている。今年発表された「ジュール・オーデマ」とは、そんなオーデマ ピゲにしか作り得ない薄型時計の傑作と言えるだろう。名門ならではのノウハウを追うべく、取材陣はル・ブラッシュの工房を訪れた。
今年、ロイヤル オーク〝以外〞のモデルをテコ入れしたオーデマピゲ。彼らが力を入れたのは、新型ムーブメントを搭載した「ミレネリー」と、薄型の「ジュール・オーデマ」コレクションである。新しいミレネリーと同モデルが搭載するキャリバー4101については、本誌第36号(66ページ)で解説した通りだ。基本性能に優れたムーブメントであり、テコ入れとしては十分すぎるほどだろう。しかし、筆者は、薄型ムーブメントを載せた新しいジュール・オーデマにはそれ以上に魅せられた。とりわけ、極薄の名機キャリバー2120を載せた「自動巻き Extra-Thin」は、今年の白眉と言って良いのではないか。
現在、オーデマ ピゲは自社製の基幹キャリバーを3つ擁している。手巻きのキャリバー3090、自動巻きの3120、そして、薄型自動巻きの2120系だ。前ふたつは90年代以降の設計であり、当然、生産性は考慮されている。対して、2120の基本設計は1967年(設計はジャガー・ルクルト)。オーデマ ピゲに設計と生産が移管された後も、その基本構造は変わっていない。生産性はお世辞にも高いとは言えないだろう。筆者がル・ブラッシュにあるオーデマ ピゲの工房を訪問した際、その2120系がまさに組み立て中であった。
現在、2120系の組み立てに携わるのは6名。その責任者がフランソワ・サンチェス氏である。オーデマ ピゲに在籍すること39年、いわば2120の生き字引きである。「3090の組み立てに必要な時間は3時間から3時間半。一方、2120系は約8時間かかります」。2120系のムーブメントの厚さはカレンダーなしで2.45㎜。厚さを抑えるため、香箱はブリッジだけで支えられており、自動巻き機構も複雑な地板に埋め込むように配置されている。これほど凝ったムーブメントだと、ただ部品を組むだけでは動かないだろう。
部品調整のプロセスを見せてもらった。まず目を引いたのは、香箱の穴開けである。正しくは、バリ取りと穴開け、穴の硬化作業だ。香箱真が収まるよう、穴を100分の2㎜から100分の3㎜拡大させる。加えて穴を硬化し、耐久性を持たせるという。別の場所では、ローターのアガキ(軸の上下方向の遊び)を調整していた。2120系は地板に埋め込んだルビーベアリングでローターを滑らせる。そのため、アガキが適切でないと、ローターはうまく回らない。指でローターを押さえて、アガキを調整するのだが、その幅は100分の2㎜。部品の工作精度がいくら上がったとは言え、薄型ムーブメント、とりわけ、2120系ほど複雑なものの場合、調整は欠かせない。しかも、一度組み立てられた2120系は、各部の動作をチェックした後、惜しげもなく分解される。ただの自動巻きにもかかわらず、二度組みを行うのだ。かつて、ある関係者が「2120は複雑時計ほどには面倒だ」と嘆息したはずである。
聞けば、サンチェス氏は来年には引退するという。彼が去った後、ノウハウの塊のような2120系の組み立てを指導できる人間はいるのだろうか。「『ガム・ド・モンタージュ』というノウハウを記した本を作りました。丸1年かけて、完成したのは2010年です」。ページを開くと、組み立てる際、どこを修正するのかなどが細かく記されている。「かつて、オーデマ ピゲは、2120系を年に3000個から5000個も作っていました。だから、組み立てのノウハウは十分にあります」。加えて、オーデマ ピゲは、2120系の設計を進化させた。関係者は語る。「昔、設計元のジャガー・ルクルトに部品の設計変更を依頼したのですが、彼らには直せなかった。だから、自社で設計を変えました。例えば、今の2120は香箱真をきちんと穴石で支えています。また、香箱自体にも特殊なメッキを施しています」。香箱が金色なのは、硬化処理として金と銅、そして、カドミウムのメッキをかけているためだ。サンチェス氏も「自社でムーブメントを作るようになってから、生産性は上がりましたね」と言う。
薄型時計の場合、外装の組み付けにも、やはりノウハウが必要だ。工房の2階では、Extra-Thinの文字盤と針が取り付け作業中であった。「2120の場合、文字盤と針を取り付けるのに1時間はかかります。カレンダー付きの2121は約1時間20分です」。ロゴに保護テープを貼り、丁寧に針と文字盤のクリアランスを整えていく。その緻密さは、前ページの文字盤と針の写真が示す通りだ。かつて、2120系に針を取り付けられる職人はひとりしかいなかった。今は増えたと聞くが、それでも4人だという。薄型時計の製造とは、いまだに熟練工が支配する世界なのだ。
2011年の新作。名機中の名機、Cal.2120を搭載する。サイドを膨らませたケースは、従来のジュール・オーデマに同じ。しかし、サイドの張り出しを抑え、ベゼルを細身に仕立てている。あえて「平たい」文字盤と併せ、意匠の完成度ははるかに高まった。安価ではないが、かかる手間を考えれば決して高価ではない。18KWG(直径41mm)。2気圧防水。194万2500円。
初出1967年。設計はジャガー・ルクルトによる(ベースはCal.920)。センターローターで、かつ、2番車を中心に置くという手堅い設計ながら、2.45mm(カレンダーなし)という薄さを実現。自動巻きを代表する傑作である。36石。1万9800振動/時。パワーリザーブ約40時間。
サンチェス氏が述べたように、かつても2120などを載せた薄型時計は存在した。しかし、中身は進化し、ムーブメントをくるむ意匠も当時とは異なる。新作のジュール・オーデマが良い例で、薄型とは言え、70年代風の平板さはなく、きちんと立体感が備わっている。加えて言うと、以前のジュール・オーデマと違い、ケースサイドの処理も巧みだ。「ケースサイドをまっすぐ落とすと時計が厚く見えます。だから、厚みを感じさせないように丸みを与えました」。こう説明するのは、デザイン部門に所属する、ルハス・ゴップ氏だ。「以前のジュール・オーデマは、ケースサイドの膨らみの幅が広かったのですが、今回の新作ではやや薄くして、少しエッジを利かせました。併せて、ベゼルも細くしています」。同社がベゼルを細くするようになったのは2008年のこと。今年はそれを薄型に転用したわけだ。
ベゼルを細くすると文字盤は拡大する。しかし、ジュール・オーデマは、従来のようなエンボスではなく、平たいサテン文字盤を採用した。サンプルを見せてもらうと、筋目の深さを変えた文字盤が、ずらりと並んでいた。ゴップ氏はサテン仕上げの理由を「50年代風だから」と語ったが、サテンの深いものを選ぶことで、平たい文字盤に見られる間延び感はまったくない。そのバランスたるや見事なものだ。
筆者もすっかり忘れていたが、かつて、オーデマ ピゲは薄型時計作りの第一人者であった。工房を回った限りの印象だが、薄型時計作りのノウハウは、今もってオーデマ ピゲに根付いているように感じた。そんな彼らの作り上げた薄型が悪かろうはずがない。もし、薄型時計を探している人がいるなら、筆者は無条件で今年のジュール・オーデマを推したい。これこそが、名門にしか作り得ない薄型時計である。
張り出し、複雑な曲線を描いて先端に落ち込んでいくラグ、文字盤の大きな開口部など、今年のジュール・オーデマに共通する特徴が見て取れる。「見た目でも薄く感じられるようにデザインした」とはデザイナーの談。
今年の新作。必ずしも薄型時計のカテゴリーには入らないが、ケースの厚さは9mmに留まる。実用性だけを考えれば、右ページのモデルよりお勧めか。近年のオーデマ ピゲらしく、針や文字盤などの質感も良好だ。とりわけ、強めのサテンを施した文字盤は出色の完成度を見せる。価格も戦略的。18KPG(直径39mm)。2気圧防水。157万5000円。
初出2004年。設計はCal.3090も手掛けたクロード・キュルタ氏。スイッチングロッカー式の自動巻きに、センターセコンド輪列を持つ。テンプの慣性モーメントがやや小さいため、ドレスウォッチ向きのムーブメントである。40石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約60時間。
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