審美性と実用性を両立させる新手法
最後を締めくくるのは、文字盤とベゼルの表現についてである。かつてこれらの部品は多彩な仕上げを持つことがなかった。しかし技術進歩の恩恵を受けて、今やさまざまな試みが散見される。とりわけ文字盤の鮮やかな色味は、かつての高級時計が決して持ち得なかったものだ。その実際をセイコーとオメガに見る。
シリコンニトライド セラミックス製のベゼルにリキッドメタルとラバーを埋め込んだベゼルを持つモデル。自動巻き(Cal.9900)。39石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。Ti×セラミック(直径45.5mm)。600m防水。114万円。問オメガお客様センター☎03-5952-4400
今も昔も、文字盤に彩色する方法はふたつしかない。ラッカー仕上げかメッキかである。前者は生産性が高く、耐候性に優れ、発色も鮮やかである。反面、発色を良くするため塗膜を厚くすると、下地仕上げの細かいニュアンスが隠れるうえ、経年劣化で塗膜が割れやすくなる。高級時計ではなく、生産性を重視した時計の多く(例えばミリタリーウォッチ)が、ペイントの黒文字盤を好んで用いた理由だ。
一方のメッキは、下地仕上げの細かなニュアンスが出せる反面、発色は安定せず、耐候性も良いとは言えなかった。かつてメッキで施せるのは、金、銀、または黒のみであり、しかもメッキで施した黒色は、発色がペイントほど鮮やかではなかった。
ペイント文字盤を得意とする会社は、現在5社ほどある。F.P.ジュルヌ傘下のカドラニエ・ジュネーブ、ロレックス、ブルガリ、そしてセイコーエプソンと、機械式グランドセイコーの文字盤を製造する昭工舎だ。中でも独自のノウハウを持っているのがセイコーエプソンだ。現在同社はクォーツとスプリングドライブを搭載したグランドセイコーとクレドール向けに、良質なラッカー文字盤を製造している。そんな同社の、他社との最大の違いは、ラッカーの厚みである。スイスのメーカーが吹くラッカーはごく薄く、表面に吹く保護用のラッカーも、15〜20ミクロン程度(ブレゲは数ミクロンという)しかない。対してグランドセイコーのラッカー文字盤は、下地が150ミクロン、上に塗る保護用のラッカーも100ミクロンある。厚すぎるほどの仕上げだが、結果としてこの文字盤は、鮮やかな発色と、独特の深み、そして驚くほどの耐候性を得た。今や多くの時計メーカーが、セイコーエプソンの手法を模倣しようと試みるのも理解できる。
グランドセイコーらしい、黒のポリッシュラッカー文字盤を持つモデル。自動巻きスプリングドライブ(Cal.9R65)。30石。パワーリザーブ約72時間。SS(直径40.5mm)。10気圧防水。45万円。問グランドセイコー専用フリーダイヤル TEL:0120-302-617
メッキの仕上げ自体は、1930年代以降大きくは変わっていない。しかしメッキの温度管理などが厳密になった結果、メッキでさまざまな色を、しかも安定して出せるようになった。青とグレーが好例だろう。被膜が薄いため、下地処理の繊細なニュアンスを残しつつも、鮮やかな発色を持てるようになった。
また近年では、オメガが文字盤の仕上げにPVDを使うようになった。これはメッキより発色が安定しているうえ、被膜はメッキ並みに薄い。青く彩色したにもかかわらず文字盤のエンボス仕上げが潰れていない理由である。また塗装のように時間がかからず、メッキのように温度や薬品の管理が必要ないため、生産性も悪くない。今後オメガをはじめとする各社は、PVDを使った文字盤を増やすのではないか。また同社はセラミックスにラバーとリキッドメタルを埋め込んだベゼルも完成させた。金属ガラスの一種であるリキッドメタルは、硬くて変形に強く、特にスクラッチに強い。また結晶化する前に固まるため精密鋳造に向く。身近な例では、iPhoneのSIMを抜く付属ピンがリキッドメタル製だ。ケース自体を金属ガラスで成形したパネライもあるが、これはまだ判断が付かない。
ともあれここでは、審美性と実用性を両立させようとする、さまざまな試みを取り上げた。今後は外装以上に、文字盤の仕上げで新しい仕上げが見られるに違いない。とりわけ女性用の動向は要チェックである。